第四十六話 風来坊と噂は風が運ぶ

「よう。ここ、いてるかい?」

「……あんたか。そのせつは世話んなったな。いいぜ、座んな」



 その夜のことだ。



 いつぞやの城のつかいを名乗る小役人が難癖なんくせをつけてきた時に、話に割り込んで仲裁をしてくれたあの旅人風の装束しょうぞくの客だった。またこの前と同じく一番端の、一番遠いカウンター席にくたびれた身体を預けるように腰を下ろす。




 と。


 ――かちゃり。




「ほれ、飲みな」

「い、いや――俺はまだ注文を……」

「そいつはこの前の礼だ。それにな? この店にゃあそいつっきりしか置いてねえ」

「……」


 あいかわらずそのがっちりと線の太い立派な体格をほこりっぽい薄汚れたマントの下に隠し、その風格ある黒々とした髭面もフードに隠れてしまい見えなかった。だが、その中で大きな唇が不敵に笑みを形作ったのが銀次郎にも分かった。


「では、遠慮なくいただかせてもらう。あいかわらずぜにがなくってな――」

「ほう? 金剛石ダイヤモンド級の大冒険者様ともあろう御方がかね?」

「……ははっ。見破られてたってワケだ。参ったな」



 ぐびり。

 男は苦笑する口元にカップを添え、至福のひと口を流し込むと、むう、とうなる。



「やはり、美味い」

「へへ。そいつは良かった」

「一応断っておくが、世辞でもなんでもないからな。あと……何も銭が惜しい訳じゃない」

「分かってらあ。……それ、次のを注いでやる。よこしな」

「ありがたい」



 ――こぽ、こぽぽ。

 男はカウンターの上に太い腕を重ねて置いて、その様をじっと見つめていた。



「ゆっくりしてってくれ。そいつまでは店のおごりだ。……次からは銭を貰うぜ。きっちりとな」


 男は静かにうなずいた。


 その刹那、鼻先に男の放つ匂いがかすめ、銀次郎はひそかに口の端を引き上げる。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






「それって本当なの、スミル?」

「ほ、本当だって! シ、シーノに嘘つく訳なんかないだろ……」


 今夜もまた慌ただしい時間が過ぎ「喫茶『銀』」の店内には、いつもの古参の常連客――シーノ、ゴードン、スミル、そしてシリルが顔を揃えていた。すると、突然言い合いがはじまる。


「うーん……でもさ? それってただの噂話じゃないの?」

「違う、違うってば!」


 疑わしげな眼を向けられて泡を喰ったのはスミルである。


「この前から大変なんだって! なんでも、城お抱えの大魔導士にお告げがあったらしくって」

「なんだいなんだい、そんな大騒ぎして!」


 香織子とシオンと三人で楽しくお喋りしていたシリルが不機嫌そうに顔をしかめて言った。


「一体なんだってのよ。ねえ、あんた?」

「近頃噂になってる『魔性の者』ってのの話をしてるんだ、スミルが。この前話したろう?」

「ああ、あれね――」


 と、相槌は打ってみたものの、噂好きで物知り顔をしたがる亭主の言うことは、いつも話半分で耳に入れているシリルには今ひとつピンときていないらしい。


 そこを銀次郎が察して言う。


「どんな話なんだね、ゴードン?」

「なに? ギンジローも知らんのか? まったく仕方ないな――」


 やれやれと呆れ顔で首を振ってみせたものの、ゴードンはいつにも増していきいきとして見える。やおら立ち上がり首にかけた白い布切れをしゅっと取ると、禿げ頭をひと拭き話しはじめた。


「スミルの言う『魔性の者』ってのはな? 近頃街を賑わせている『新たなる脅威』のことだ。つまり、この世界から人間という人間を追い出して、自分らのものにしようって連中のことだ」

「追い出す? つまり――殺す、ってことじゃないの?」

「それがおかしなことに、どうも違うらしい」


 ゴードンはシーノに頷いてみせると、むすり、と大仰に顔を顰めた。


「俺の聞いた限りでは、だが。……もちろん、その『魔性の者』は恐ろしく強い連中だ。だが、無駄に人間と争って殺すより、生かして便利にこき使った方がいい、そう考えているらしい」

「ぼ、僕もそう聞いた。同じだ」


 スミルは落ち着かなげにかくかくと何度も頷いて続ける。


「で、でも、どうして今まで攻めてこなかったんだろう? 今までだって機会はあったろうに」

「それは――」



 と、突然ゴードンは、居間の方で別の話をしていた香織子とシオンの方を気にするようなそぶりをみせて言葉をためらった。


 香織子とシオンもまた、静かになったのを気にして見返す。



「……構わねぇよ」


 そこで助けを求めるゴードンの視線を受けて銀次郎は頷いてみせた。


「香織子も、シオンも、そういう話はきちんと自分で考えて飲み込める、賢い子たちだからな」

「ああ……うん、そうだな……」


 それでもゴードンには勇気がいったのだろう。

 ごくり、と唾を飲み下してからこう続けて言った。




「今までは――魔族がいたからだ」




 そこにいる一同が、はっ、とシオンを見つめる。

 しかし、シオンは引き結んだ口元に、ぐっ、となお力を込めて、頷き返した。


「連中は、魔族を恐れていたのさ。人間より強く、人間より賢く、人間より恐れを知らない魔族をな。だが……『異界びと』の勇者、《白の導き手》アルーシュ・アルナシオンの手によって、魔族の長、ルゥ=ルゥナス=ルファルナスは倒れた。だからだ、だから連中は動いたのさ」

「でもでも!」


 シーノはたまらず燃えるような赤い髪を振り乱して問い返す。


「それだって、魔族のすべてが滅びちゃったワケじゃないんでしょ!? それに、人間たちにだって、あたしたちにだって我らがグレイルフォークの英雄。《十傑じゅっけつ》がいるじゃないのさ!」

「そ、そのうち少なくとも、ひとり、いないけどね……」

「揃ってなくたってなんとかしてくれるわよ!」

「ジ、ジョットさん以外は、普段どこにいるのかも分からないけどね……」

「もう! スミルはやなことばっかり言うんだから! 教会にいた頃とおんなじ! いーだ!」

「おいおい……」



 ともに孤児として教会で育てられたという幼馴染のシーノとスミルは実に対照的で、シーノが楽天的なら、スミルは悲観的だ。スミルが慎重で堅実とすると、シーノは大胆で放縦ほうじゅうである。


 が、それで始終喧嘩をしているようでいて、互いを信頼しているように銀次郎には思えた。なんとも不思議なものである。



 しかし、嫌な記憶がある銀次郎は、ぴしり、と釘を刺しておく。


「もうそのへんで終いにしとけ。そのうちカップだの皿を割られちまう。高かねえが、惜しい」

「あぅ……」

「あ、あはは……」


 やれやれ、と笑みを浮かべたままかぶりを振った銀次郎に、ゴードンが耳打ちをする。


「……おい、ギンジロー?」


 といっても、あいかわらず声が大きいのでほとんど意味はない。


「お前さん、なんでも城から、王様直属の近衛兵の長、ハーランド・スミッソン団長が頼みごとに来たのをすげなく断って、らしいじゃないか。もう噂になっとるぞ?」

「…………ほう?」


 おとなしく耳を寄せていた銀次郎は、ぱっ、と退き、やけに面白がっているような悪戯小僧の顔つきで香織子に無言で合図を送る。すると、香織子は、もうやだ……、と小声で呟いたかと思うと、両手で顔を覆って膝の間に埋めるように小さくなってしまった。


 銀次郎は振り返り、


「やたらこそこそ話してる客がいたのはそういう理屈か。合点がいった――」



 そして――。

 まだ一番端の、一番遠いカウンター席に腰を下ろしたままだった男に声をかける。



「――で、あんたが直々お越しになったってぇワケだ。図星だろ、金剛石級の大冒険者様よ」



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