第四十二話 喧嘩するほど
シオンが
「いらっしゃいませ」
「や、やあ、キャリコちゃん」
毎朝、勤めのない日でも店に顔を見せるスミルの同僚のひとりだ。
が、どうにも
見せる笑顔もどことなくぎこちない。
「あ、あの……キャリコちゃんってさぁ……カ――カレシ、とかいるのかい?」
「珈琲、でいいですよね? マスター、注文入りました! ……別にいませんけど」
「あ――そ、そうだよね……何言ってんだ、ってハナシだよね! ご、ごめ――いないの!?」
「ですから――はい」
すっぱりと断ち切られた前髪の下から、じと……と
「じゃ――じゃあ俺と――!」
「……特に必要としていないので。すみません、ごめんなさい」
命をも
「……」
ライは右手を差し伸べた姿勢のまま、珈琲が冷めるまで彫像のように固まっていたという。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その翌日だったか、翌々日だったかの話である。
「いらっしゃいませー!」
「いよぉ、シオンちゃん! 今日も元気だなぁ! こっちまで元気になっちまうぜ!」
つい最近、『喫茶「銀」』で見かけるようになった旅の行商人らしい。まだ若く、声も幾分高いが、強い日差しに褐色に焼け、腕っぷしも足もがっちりとしている。
「なー、シオンちゃん? 俺ら、この前のデートの返事待ってんだぜ? で――どう?」
「こ、珈琲、飲みますよね? マ、マスター、注文でーす!」
「ふーん、そーやってごまかしちゃうんだ? また俺ら、寂しく宿のベッドで泣くことに……」
「い、いえいえ! ……あ! ちちち違いますよ? デート、オーケーした訳じゃなくて……」
丁寧に整えられた眉の下の、猛禽類のような鋭いまなざしで真っ直ぐに見つめられてしまい、シオンはたちまちあわあわと慌てふためいた。なおも
「じゃあ、いつにする? 俺らは明日でも
「お……お休み……な、ないので……。す、すみません! ごごごごめんなさいぃぃぃっ!」
半分冗談、半分本気のうまくいったら超ラッキー、という軽いお誘いのセリフは、
「……しゃーない! 別の女、探すかぁ!」
旅の行商人はひと息でカップの残りを飲み干すと、早速目当ての女見つけて駆け出した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「……いーい? あのね、シオン?」
「ふわぁい……おねえちゃん先輩ぃ」
聴こえぬフリの銀次郎の横手で、ふたりの孫娘がなにやら真剣な顔つきで話し込んでいた。もう客はおらず、店の扉には『閉店しました』と銀次郎自身では読めない字が下げてある。
「あんたねぇ……毎度お客に声かけられるたびにカップ割ってたら、お店のカップが全滅しちゃうじゃない! あんなもん、テキトーにあしらっておいたらいいの! いい? 分かった?」
「だ、だってぇ……あたし、どうしたらいいか分かんなくなっちゃって……」
「だーかーらー!」
今言ったでしょ、と言わんばかりに首をふるふると振りつつ、香織子はシオンに具体的な例を挙げては、こういう時にはこう、と模範的な返答の仕方を教えているようである。それでも銀次郎はまるで聴こえていないフリを続けては、やれやれ、と肩を
「あんな連中のセリフなんて、ちっとも心がこもってないもの! いい加減なのよ、ふんっ!」
そう締めくくり、煮えくり返った腹を
「へへへ。それじゃあ
「ちょっと、マスター!?」
――おっと。
銀次郎はうっかり滑らした口を押え眉根を寄せた。
そこに香織子が、がっ、と食ってかかる。
「そういう言い方はやめて、って言ったよね!? 魔族を悪者呼ばわりするのは駄目、って!」
「す――すまねぇ……そういうつもりじゃ――」
「だだだ大丈夫だよ、おねえちゃん!」
慌てたシオンは転げるように走り出て、ふたりの間に割って入った。どちらも本気ではないことは知りつつも、やっぱり大事なふたりが争うのを見るのは嫌なシオンなのである。
「ギンジローとおねえちゃんがちゃんと教えてくれたから、魔族が嫌な言葉じゃない、ってことは、シオン、分かってるよ? 喧嘩はしないで――」
だが、銀次郎も香織子も、その魔族という種族が『一度、この世界を終わらせかけた』というところまではシオンに話していなかった。
そして、シオンの頭から生え伸びてている『白の二本角』が、その
「だけど――!」
それでも怒りが収まらない香織子は、ぷい、とそっぽを向いて銀次郎を責める。
「デリカシーがないのよ! なんでも冗談って言えば許されると思って! だから、男って!」
「すまねえ、って言ってるだろうが」
こうなると、元々短気な銀次郎も、かちん、ときてしまう。
「ロクに男も知らんくせに分かったような口利くな、小娘
「……はぁ? 何のことよ?」
イラついた表情で香織子が歯を
「なんで家飛び出して、俺んちに泊めてくれ、だなんて半べそかきながら頼みこんで来たのか、いまだにひと言も教えちゃくれねえだろうが? そうそう、あいつもそうだった、
「……自分だって秘密にしてる癖に!」
「はぁ? なんだって!?」
「ス――ストップっ! ふたりともやめてよぅ!!」
顔を突き合わせて互いの鼻先に噛みつく寸前、たまらずシオンが涙目で割って入った。すると、そんなシオンの心中を察したのか、気まずそうに、ぷい、とそれぞれ別の方向を向いた。
どうなるものか……とやきもきしながらシオンがふたりを見比べていると――。
先に口を開いたのは香織子だった。
「パパ――あたしのパパがね? ………………再婚したいんだって。だからよ。これで満足?」
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