第四十一話 看板娘ふたり

 朝である。


「いいや、駄目だ」

「どうしてよ!?」

「どうしてもこうしてもねえ。駄目なモンは駄目だ」


 銀次郎ぎんじろう香織子かおりこは怒りの表情をあらわに、ムキになって激しい言い合いをしていた。何度かそれを繰り返し、どうにもならずれたように銀次郎は言い、ぷい、と背中を向けてしまう。


「そのために一生懸命シオンの帽子、編んであげたんじゃない! どうして駄目なのよ!?」

「おめえさんは知らねえだろうが、シオンはな――」

だ、って言うんでしょ? そんなの、とっくに知ってるわよ!」


 香織子のセリフに銀次郎は、ぎょっ、として、苦々しく顔をしかめて首を振る。


「……シリルの奴に聞いたな? ったく、いらねえことをべらべらと……。どこまで聞いた?」

「どこまでだっていいでしょ」


 ぷい、と香織子はそっぽを向く。

 それからひと呼吸いで、ゆっくりと話し出した。


「昔々魔族がどうしたこうしたなんてのは、シオンには関係ないことじゃない! シオンだっての大切な孫でしょ? それとも違うの? やっぱり関係ない子だって思ってるの?」


 思いがけず香織子の口から飛び出したセリフに、銀次郎は動きを止めた。香織子の口からそう呼ばれることは――案外悪くなかった――どころか、とても心地よい気分だった。


「……そうだな」


 まだ怒り心頭の面持ちの香織子を見つめ、銀次郎はそっとこう告げて、にいっ、と笑った。


「うん、そうだ。そうに違えねえや」

「でしょ?」


 香織子もつられて笑う。

 そこに寝ぼけまなこのシオンが騒ぎを聞きつけて居間の方から姿を見せた。


「もう! おねえちゃんもギンジローも朝から何大騒ぎしてるのよ? びっくりするじゃない」

「あ! シオン! マスターがね、シオンにもお店手伝ってもらいたいって!」

「ホ、ホント!?」


 またひと回り大きくなり、香織子と同じ高校生の身体つきになったシオンは飛び跳ね喜んだ。


「やった! やった! あたしもお手伝いしていいのね!? 嬉しいなあ!」

「た・だ・し・! お店でやることとかルールとかお作法は厳しく教えるからね。分かった?」

「うん! よろしくね、おねえちゃん!」

「はい、よ?」


 まだ小さいつもりのシオンにいきなり抱きつかれ、うっ、とよろけながらも香織子はわざと厳しい怖い顔をして、不思議そうなシオンの鼻先にひと指し指を突き付けてこう言った。


「こういう時はね? はい、よろしくお願いします、先輩、って言うのよ。いい、シオン?」

「分かりました! よろしくお願いします、おねえちゃん先輩!」






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






「いらっしゃいませー!」

「い、いらっしゃいませ……」

「ほら! もっと大きな声で! いい、シオン?」

「い、いらっしゃいませー!!」


 看板娘がふたりに増えて、無口でおっかなそうな顔をした頑固がんこじいさんだけだった『喫茶「銀」』はたちまち華やかさを増した。不慣れながらも初々しいふたりのやりとりに、客たちの顔つきも自然と笑顔になる。



 元々は銀次郎ひとりで切り盛りするつもりで、香織子にも忙しい時分だけの手伝いを頼んでいたものが、いつの間にか三人そろって店を開けるのが決まりになっていた。さすがに香織子が、シオンの耳付き帽子にあわせてメイド服を着たらどうかしら? と言い出した時には止めたが。



「な、なあ、ギンジロー? あのふたり、あんたの孫娘なんだっていうじゃないか。本当か?」

やぶから棒になんでえ、トット。……何が言いたい?」


 スミルたち城の門兵のひとり、トットがしまりのない顔で尋ねてきたのでこたえると、


「い、いやぁ……どっちもギンジローに似なくて、可愛らしく育ってよかったなぁ、ってさ」

「……おい。ひとつ釘ぃ差しとくぞ? ウチの孫に色目使いやがったら――!」

「う、うわぁあああああ!」


 のそり、とカウンターの奥から銀次郎が出てきた途端、あの日の悪夢のような記憶が蘇って、大急ぎでカップの残りを飲み干したトットは頭を抱え叫びながら店を飛び出していってしまう。


「違う! 違うって! またあの魔法はこりごりだぁ!」


 残りの客は無様な姿を見て大笑いする。


 あの夜の騒動はもはや知らぬ者のない銀次郎の武勇伝だ。店で厄介なことをしでかすと、見たことのない奇妙な魔法で、足腰が立たなくなるほど投げ飛ばされ、手ひどい目にわされるらしい、と。そこもまたこの店の人気のひとつのようだ。


 と、しばしば耳にするその話が気になっていた香織子は、銀次郎の隣に寄り添って囁いた。


「ねえ、マスター? その『魔法』って何の話? もしかして――!」

「使えるわきゃねえだろ、バイト。あれだよ、あれ。合気道って奴だ」

「へえ! 昔、銀じいが習ってたのよ、ってママがよく言ってたけど……まだ覚えてるの?」

「へへへ。ほれ、昔っから『老いたる馬は、みちを忘れず』って言うじゃねえか」

「えっと……それ、はじめて聞いたけど」



 ただ、実際の話、香織子とシオン、ふたりの年頃の娘目当てに、『喫茶「銀」』に通う客が増えてきたのも事実であり、銀次郎にとっては今までとは少し違った意味で頭の痛い話だった。



 香織子は、この世界では珍しい艶やかで癖ひとつない長い黒髪の少女でいて、全体的に細く、肌の色は抜けるように白い。眉にかかるあたりですっぱりと切り揃えられた前髪の下からは、少し皮肉めいた切れ長の黒い瞳が覗き、口元もきりりと凛々りりしさがある。だが、立ち振る舞いは親切丁寧で、細かいところまで気が回り、覚えも良いものだから常連客からの人気があった。



 一方、シオンはというと――。


 これまたこの世界では珍しいらしい、名前のとおり紫苑しおん色のゆるやかにうねる髪に、香織子のお古の可愛らしい花をモチーフにしたヘアピンをふたつ飾り、その下には小さい頃よりはいくぶん色褪せたあかね色の瞳がくりくりと愛嬌をふりまいている。ただ、その仕事ぶりはというと未熟で、それもまた愛嬌、で済めばいいが、お客に迷惑をかけることも少なくなかった。その初々しさがいい、という者もいるのだが、銀次郎としては決して快く思ってはいなかった。



(まあ、足りねえとこ補い合って、まあまあいいコンビじゃねえか。さすがは俺の孫娘だぜ)


 そうまんざらでもない気分で眺めてはいたのだが、



 ――がちゃーん!



「こーらっ! シーオーンー!? まーたやったわねー!?」

「あわわわ! ご、ごめんなさい、おねえちゃん先輩ぃー!」


 やれやれ、とひとり苦笑しつつ白い頭をく銀次郎であった。



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