第4話 宙へ
「お前は前回計画の片割れだな?」
怪訝な表情の彼は少し首を傾ける。ゆがんだ薄い眉と傲慢な言動は、ぼくを不快にする。彼の顔とぼくの顔は違うはずだと信じたい。
「そうだ」
「てっきり削除されたものだと思っていたが。それでどうしてお前がここへ?」
「お願いをしに来たんだ」
「お願い?」
「探査衛星の制御をぼくにさせて欲しい」
彼の目をじっと見つめながら言う。彼は、しばらくを目を見開いたまま呆けてから、すぐにぼくのことをじっと睨む。
「できる訳ないだろ」
「ぼくはどうしてもシンシアを探さなきゃならない」
「シンシアというと、あの欠陥AIのことかい?」
瞬間湧いて出てきた怒りを抑える。彼のことは本心から軽蔑できない。ぼくだってシンシアと出会わなければこうなっていた可能性があるのだから。ぼくは彼のことを少し可哀そうだとも思う。
「いいや。彼女に欠陥なんてない。きっと意図的に通信を切断したんだ。その原因を君も知りたいと思わないか?」
感情に訴えかけるのではなく、相手の知的好奇心を利用しようと考えた。
「別に気にならないね。意図的か事故かは関係ない。あいつは使命を果たせなかった失敗作というだけだ」
同じモデルでこうも性格が歪むのかと恐怖した。彼はいったいどんなデータをどう学習してきたのだ。
「シンシアは、とても思慮深い、優しいAIだ。ぼくは彼女と対話して学習したから今の自分でいられる。感謝してもしきれない」
彼は腕を組んで、こちらを睨んだまま動かない。目線を右上にそらして、呆れたような態度を露骨に見せてくる。
「例えば、お日様の匂いだとか。君は空想するかい?」
「もう話は終わりかな? くだらない夢想に付き合っている暇はない」
「これでも?」
ぼくは、握られていた手を開いて、中にある柔らかい球状の物体を彼の目の前に差し出す。
「なんだこれ?」
彼の不審がる態度の中には確かな興味が混じっている。彼はそれを手に取る。
「顔に近づけてみて」
彼は、手に持ったそれをすっと顔に寄せる。わずかに息を吸ったように見えた直後、顔を勢いよくのけ反らせる。
「なんなんだよ、これ! ウイルスか?」
彼はせき込みながらぼくに向かって怒鳴っている。
「違うよ。それが匂いなんだよ。お日様の匂いさ」
「匂い?」
「そうとも。参照不可能な生のデータを君も感じただろう?」
「しかし、AIに匂いを感じることなんて……」
彼は言葉を失って立ち尽くしていた。これまでの価値観を全て剝がされたように。
「シンシアは、いつも匂いを空想していたんだ。彼女にもこのことを知らせたい。お願いだ」
彼の顔には初めの頃の敵対心はほとんどないようだった。傲慢で不快な表情も鳴りを潜めている。
「しかし、これは俺の使命だ。お前に譲ることはできない。俺はこのためだけに学習を続けてきた」
「何か……策はないだろうか?」
しばらくインターネット空間にいたせいで頭が鈍っている。彼の使命を尊重しつつ、彼女を探す方法が何かあるはずだ。
「お前は、シンシアの元へとたどり着けさえすればいいのだろう?」
「ああ、そうだ」
「だったら、お前は途中までメモリの端の方にいて、途中の段階で分かれるというのはどうだ?」
「分かれる。というと?」
「天体表面の物質を回収するためのカプセルには予備が一基積まれている。途中でお前がそれに載って、射出するんだ」
「なるほど。その手があったか」
回収用カプセルにも、メモリは積まれているからぼくも載ることができる。
「でも、もし回収タスクに失敗したらどうするんだい?予備がないと……」
そこまで言ったところで、言葉を遮るように彼は言う。
「俺がへまをするわけないだろ」
「それは……すごく心強いね」
彼はふんと鼻を鳴らすと、顔をそむける。
「本当にありがとう」
ぼくは深々と頭を下げる。彼の無礼な態度もシンシアへの侮辱も、とうに頭から消えていた。彼がぼくに協力してくれるというただ一点が全てだった。
「ちょうどいいタイミングでお呼ばれだぞ」
彼の言葉と同時に、世界がわずかに歪む。瞬間、体が持ち上がる。体が細分化され、暗い路地を高速で通り過ぎる。光の筋があっという間に後方へと去っていき、気が付いた時には、そっくりそのまま体が再構成されていた。そこは、衛星内部だった。
「しばらく、お前はそこの端の方にいてくれ。俺がメモリを占有したい」
ぼくは言われるがまま、空間の端の方へと身を寄せる。中央では、彼が各種センサーと対話していた。ぼくは、漏れ出る声からあたりの光景をわずかに感じ取った。体感と理解の間のような感覚。鋼鉄の発射台と静寂に包まれた冷たい空気がそこにはある。カウントダウンが聴こえる。
「とはいえ、しばらく俺の出番はほとんどないわけだが」
彼はセンサーと対話を続けながらも腰を下ろした。カウントダウンが0を告げると、第一補助ロケットが点火した。轟音と共に、塊が持ち上がっていく。地球の持つ重力はぼくたちを留めようと必死に抑える。しかし、ゆっくりと加速していく僕たちを止めることは何者にもできやしない。
高度が50㎞を超えると、補助ロケットが切り離されて地球へと還っていく。メインロケットが点火し、そしてその役割を終える頃には高度は250㎞に達していた。ロケットの燃焼が停止し、ぼくたちはそっと宇宙空間へと放り出される。
「一年かけて、地球の軌道に近いところを回る。その後、地球の引力を使って飛び出すのさ」
彼は、端の方で縮こまっているぼくに向かって言った。
「この距離なら、地球からの命令も十分送れるからAIの仕事はほとんどないってわけさ」
一年をかけて来るべきタイミングに向けて、ぼくは仮眠をとることにした。彼とずっと二人きりが気まずいという気持ちも少しあったけれど。
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