毒チェス。妻はいいわけをゆるさない。

三雲貴生

一話完結

 アメリカのチェスプレヤー、ボビー・フィッシャーが旧ソ連のボリス・スパスキーを倒したニュースが世界中に流れていた時代。日本でもチェスが流行していた。


 特に僕の妻が、チェスにハマっていた。

遅れて、僕もチェスを習い始め、妻の誕生日には、競技用チェスセットをプレゼントした。


 そんな仲よし夫婦だった僕たちにも、冬の時代が訪れた。


 いつもなら、仕事帰りに玄関で三指ついてお迎えしてくれる妻が現れない。怪訝に思い台所に向かい妻に帰宅を告げ機嫌を伺う。


「ただいま帰りました。頼子はどこぞ?」


 妻は、後ろを向いたまま挨拶にもこない。なだめすかして話を聞くも「答えはあなたの胸中にございます」と言ってツンツンしている。


 つっけんどんな態度の妻に、いいからチェスをしようと勧めた。


「いいことを思いつきました。チェスセットにこれを使いましょう」


 妻のコレクションの小瓶が32個。チェスセットの形をしている、妻のお気に入りだ。


「中に毒を仕込みました。白は私の分。黒はあなたの分。なんでも入れて構いません」と言ってきた。


 お仕置きだと言う。


「だから僕はなにも悪い事はしてないよ。きっとお前の気のせいだ!」


 そういいわけするが妻はゆるしてくれない。


 毒といっても、死ぬようなものではございませんから。ちょっとめまいや吐き気。熱が出て寝込むくらいです。といってムフフと不気味に笑う。


 ひょっとして僕の浮気を疑っているのだろうか? 身に覚えはないのだが……。


 台所を借りて、黒のチェス小瓶に毒を仕掛けていく。僕の仕掛けた毒はハバネロとワサビとトウガラシ。ちょっと舌がしびれて汗がダラダラ、吐き気もあるかもしれないが、べつだん体に害はないはずだ。残りの小瓶にはジュースを入れておいた。きっと妻は毒入りの小瓶を飲むはずだ。


 それではルールを説明しよう。チェスのルールは知ってるね? それに、ちょっと意地悪を足している。必ず取ったコマの瓶の中身を飲まないといけない。毒は16瓶の中にひとつだけ。ポーンであったり、クィーンであったり。キングであっても良い。ただキングだと、チェックメイトのあとに飲むから、ルール上では毒を飲ませても負けだ。もしゲーム中に毒を飲んだら、チェックメイト関係なく、即、負けとなる。わかったかな?



 ☆  ☆  ☆



「それではゲームを始めましょう!」

 妻はビショップの前のポーンを進める。

「あなた──昨日はどこに居ました?」

 僕はキングの前のポーンを進める。

「どこって仕事だ」

 妻はナイトの前のポーンを進める。

「コレは、フールズ・メイトだね」


 たった2手。白黒合わせて4手でチェックメイトしてしまう悪手だ。だが、家庭ルールではコレは良手。僕が黒のクィーンでチェック・メイトして僕の勝ち。ただし、取った白のキングの毒を飲まなければならない。妻は、僕に毒を飲ませたがっている。その一点で、フルーズ・メイトを仕掛けたのだ。「チェックメイト」僕は妻の策略に乗り、白キングの瓶の中身を、一気飲みした。


「……」

「どうしました?」

「甘い──コレは?」

「ニンジンのジュースですね──悪い?」

「いや 悪くないけど……」

「1回戦目は、あなたの勝ちです。2回戦目にまいります」


 妻は、ゲームを辞めることを許してくれない。


 2回戦目は、僕が妻のクィーンを、アカラサマに毒っぽいから、取るのをためらっていると、白ポーンの壁で身動きできなくなり、妻の勝ち。ビショップふたつとナイトふたつのジュースを飲まされる結果となった。


「3回戦目にまいります。昨晩はお楽しみでしたか?」


「毒よりきついって……」甘いジュースが胃をキリキリさせる。


 3回戦目は乱戦となる。お互い、ルーク前のポーンを残し、あとはルークの2瓶とクィーンの1瓶が残った。キングはチェックメイトされるまで温存されるので、この際数えていない。僕は白キングの瓶の中身を飲んだので、きっと妻の毒入は、クィーンかルークだ。


 チェスが膠着状態になり、妻の詰問がはじまる。


「私の妹とは仲がよろしいのですね?」

「……」

「どこまでお許しになったのですか?」

「……」

「ねえ、わたしとどこが違います? 若さですか?」


 ば、ばれてる。昨日は、妻の妹殿と百貨店に行った。妹殿には、内緒にとお願いしていたのだが。どこからばれた?


「ねえ、質問の意味わかりませんか?」妻の笑顔が怖い。喉がなったので妻のルーク瓶の中身を頂いた。ジュースだった。残りはルークひと瓶、クィーンひと瓶。居た堪れない。


「妹殿には、お世話に成って……イヤイヤ。意味が違う、意味が……。妻の顔が怖い。「お前の、頼子の指のサイズがわからなくってな。聞いてみたんだよ妹殿に……」そう言って妻の目の前に結婚10年記念の指輪をプレゼントした。


「まあ」とたんに妻の機嫌が治る。


「結婚10周年おめでとう。ところでゲームは続けるかい?」


「もちろんだわ。こんな楽しいゲームは久しぶりね?」


 僕の黒ポーンがクィーンに昇格して予備のクィーンが盤上に現れた。


 妻は僕のクィーンを獲って、その中身をクィっと飲む。


「うべぇ!!」


 僕の毒は予備のクィーンにあった。つまり盤上に毒はなかったのだ。妻の勘違いだった。ベッと舌をだした妻が愛らしい。


「うそっ。なに入れたの?」


「ハバネロとワサビとトウガラシ……」


「私を殺す気?」


 ちなみに妻の毒は白クィーンにあった。死なない程度だと言っていたが、試しに飲んだら3日間寝込んだ。



   ─了─

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

毒チェス。妻はいいわけをゆるさない。 三雲貴生 @mikumotakao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ