11.後宮の死神は死を愛でる

「――魁閻」


 優しい声がした。


「魁閻、起きる時間だ」


 ひやりとした冷たい手に頬を撫でられる。

 ゆっくりと目を開けると、柔らかい笑みを浮かべる紫苑に顔を覗き込まれていた。

 どうやら彼女の膝を枕にして眠っていたらしい。


「遅い目覚めだな」

「――呪いはどうなった」

「自分で確認してみよ」


 魁閻は体を起こし、腕を確認してみる。


「……消えている」


 体を蝕んでいた呪いの刺青は消えていた。

 襟元を寛がせても、刺青は跡形もなく消えている。


「よく、死なずの呪いを乗り越えた……魁閻」


 紫苑とは別の声が聞こえた。

 おも怠そうな、今にも消え入りそうな掠れた声。


「――父上」


 寝台に横たわっている男――魁閻の父親、現皇帝である魏魁劉からだった。


「次の帝はお前だ、魁閻」


 咳き込みながらも力強い声で、はっきりと帝は息子にそう告げた。


「皇帝たる権威を見せつけた者を跡目とするのでは……」

「見せたではないか。お前は、死なずの呪いを解き……この後宮の者たちの命を救った」


 呆然とする魁閻に皇帝は微笑を浮かべる。


「皇帝になる証――それは、死の仕組みを知ることだ。上に立つ者は命の尊さを、そして死の恐ろしさを知らなければならない」

「最初から……仕組んでいたのか」


 その問いに皇帝は微笑む。


「私は芙蓉を心から愛していた。そしてそれを妬む者たちが魁閻を狙うことを私たちは知っていた。だから芙蓉は命がけでお前を守り――お前に害なす者を呪い殺した。お前の中に魂を宿し……」

「でも、俺は毒を盛られたときに死ぬ運命だったと……」

「王は死の運命も覆す。俺も……そうだった。だから、連れて逝ってくれる者を待ちわびていた」


 魁劉の言葉に魁閻ははっとする。

 自分の中にあった母の魂。そして、二人が真に愛し合っていたのだとしたら――。


「母上は、貴方の死を待っていたのか。貴方を連れて、共に逝くために」

「どんな呪いがかかっていたとしても、人はいずれかならず死ぬ。私も、お前と同じように死に呪われていたからな」


 父はそう呟きながら、大きな手で息子の頭を優しく撫でた。


「王とは孤独な者だ。強くなれ魁閻。お前はもう、支えてくれる者がいるであろう……」

「……また私に面倒事を押しつけるのだな、お前様は」


 呆れ混じりに死妃がため息がつくと皇帝は申し訳なさそうに笑った。


「私の知らぬところで勝手に私を巻き込みおって。お前様たち王族はいつも私を振り回す」

「だが、そのお陰で寂しくはないだろう? 紫苑」

「……ふん。お前様のその生意気なところ昔から癪に障る。魁閻が似なくてよかったわ!」


 まるで旧知の友のように紫苑と魁劉はいい争っていた。

 ふてくされていた紫苑だがふと急に真面目な顔になった。


「……だが、別れというものは必ず来る。そろそろ時間だ、魁劉」

「そうか……」


 すると紫苑は青い炎がついた短い蝋燭を魁劉の前に差し出した。


「死妃よ、我が愚息を頼むぞ」

「……お前様の頼みであれば仕方があるまい。いずれあの世で」

「――いずれ、あの世で」


 紫苑は皇帝の額に口づけを落とす。

 そして魁劉は小さく息をつき、消えかかっていた蝋燭の火を消した。

 その瞬間彼の体の力がだらりと抜けていく。


「父上――」

「魁劉は死んだ。ようやく、彼は旅立てたのだ。見送ってやれ」


 皇帝の体が光を放ち、その胸から青い蝶が現れる。

 すると今度は魁閻の中から一羽の青い蝶が現れ、二羽は寄り添うように旅立っていく。


「愛する者を守り、愛する者と共に旅立てた。これまでの道筋は想像を絶するものだったであろうが……二人は幸せだろう」

「……ああ」


 魁閻は紫苑と二人でその蝶が見えなくなるまで見守っていた。


「紫苑。俺はこれからどうなる」

「死ぬべき時に死ねなかった者は……壊れるときがくるまで、この肉体のままこの世を彷徨い続ける」


 私と同じように。と紫苑は悲しそうに笑った。


「私も、遠い遠い昔に死ぬ機会を逃した。それからずっと……ここに居続けている。何代も皇帝の死を看取ってきた。きっとこれからもそうだろう」

「……だが、俺も同じだ」


 魁閻は紫苑の手を取り、その目を見つめる。


「俺も同じく死ぬべき時を逃し彷徨う身となった。俺が死ぬときは、お前も一緒につれて逝こう。だから――俺の妃にならないか」


 その言葉に紫苑は目を見開いた。


「お前様は、なにをいっているかわかっているのか?」

「信用できない人間を妃として向かえるのも嫌だからな。俺はお前がいい。死が二人を分かつまで、というやつだ」

「な――」


 信じられない目をしながらも、紫苑の瞳は揺れ動いていた。


「死神を妃にしようなど……意味がわからない」

「……だが、俺といたら飽きないだろう。お前の大好きな死が沢山見られるかもしれないしな」

「前言撤回だ。お前様はくそ生意気な王だ!」


 それは紫苑なりの答えだった。

 魁閻は微笑み、愛おしそうに死妃の頬を撫でる。


 とある国に、不老不死と恐れられる王と死を愛でる死神の妃がいると噂されている。

 二人の話が続くか否かは――これからのお楽しみである。



「後宮の死神は死を愛でる」 完

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後宮の死神は死を愛でる 松田詩依 @Shiyori_Matsuda

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