言い訳ドラゴンスレイヤー

兵藤晴佳

第1話


 昔々のお話。

 この世界の東の果てに、色鮮やかな花が咲き乱れる小さな島があったんだとか。

 そこには誰も住んではいませんが、こちらから渡っていった人は、島のはるか彼方にある、別の世界からやってきた人に会うことができたといいます。

 ただし、生真面目な人は、たとえ探しに行っても会うことはできず、涙ながらに帰ってくるしかありません。

 もっとも、よくよく考えてみると、そんな人たちは毎日のように汗水流して働いているのですから、旅に出たりはしないものです。

 出かけていくのは、物好きだったり、夢見がちだったりして、人生を踏み外した人たち。

 この、商売道具をかついだ旅芸人も、そんなけしからん連中のひとりでした。

「やれ、都は私にふさわしくない。それならいっそ、この世界の果てまでも、ただ歩けるだけ歩いてみようか」

 こんな言い訳をしている人は、かえってなかなか死んだりはしないものです。

 やがて、旅芸人は白砂の浜辺にたどりつきました。

 辺りを見ても人影はありません。

 薄曇りの空の下、目の前には小舟が一艘あるきりです。

 その向こうには、水平線の彼方からこぼれる淡い光が、海の果てまで続く薄い雲をぼんやりと照らしています。

「どうやら、これが世界の果てへと向かう船らしい。そうでなくとも、この世にはもう用のない身体、海の藻屑と消えようと構うものか」

 そんなことを言いながら乗り込んだ小舟は、漕ぎもしないのに海へ滑り出ると、どこまでも進んでゆきます。

 どれほどの間、波の上を漂っいたことでしょうか。

 やがて、船は離れてきたのとそっくりの浜辺へと乗り上げました。

「何のことはない、もとの場所へともどってきただけではないか」

 ため息つきながら降り立った足元には、可愛らしい花が咲いています。

 ぽつりぽつりと、しかし、どこまでも。

 もしやと思って踏み込んでいった先には、色鮮やかな花が咲き乱れています。

「やはり、ここがこの世の果てであったか」

 喜びのあまり、背中を草花の上に投げ出して転がると、見上げた先には抜けるような青空があります。

 そこにひょいと顔を突き出したのは、可憐な娘でした。

 天上の音楽かと思うような美しい声で尋ねます。

「いかがなさいました? あなたはどなたですか?」

 惨めな身の上が恥ずかしくて、旅芸人とはとても答えられません。

 娘は瞳の澄んだ眼を見開いて、さらに問いかけます。

「どうして、名乗ってはくださいませんの?」

 旅芸人は、苦し紛れの言い訳をします。

「名乗れぬ身の上なのです」

「どうして?」

 更に問い詰められた旅芸人は、ふと思いついて答えました。

「魔法使いは、真の名を名乗れません」

「まあ!」

 無邪気に大喜びする娘の笑顔の可愛らしいこと。

 旅芸人は、いつのまにか恋に落ちていました。


 そこに現れたのは、立派なガウンをまとった恰幅のいい美青年です。

「何者ですか?」

 うっとりとしている旅芸人の想いに気づいたらしく、不機嫌に尋ねます。

 それが、娘には気にならない様子。

「魔法使いでいらっしゃるんですって」

 ほう、と口元を歪めた青年は、矢庭に宙へと舞い上がりました。

「ならば、このくらいのことはできるな?」

 またもや旅芸人は、とっさに言い訳をします。

「真の魔法使いは、術をひけらかさぬもの」

 尊敬のまなざしを向ける娘に、青年はいらだちを隠せません。

 悔しげに地面へ降りて尋ねます。

「どこから来た?」

「遠くから」

 厳かに答えると、青年はなおも問い詰めます。

「何をしに来た?」

「遠くまでゆく旅の道半ばにて」

 そこは旅芸人、こんな芝居はお手のものです。

 青年は言葉に詰まり、娘は感動の溜息をつきます。

 旅芸人は問い返します。

「そなたは何者か?」

 間を持たせるためなのですが、青年は苛立たしげに答えます。

「貴様ごときに名乗る名などない」

 こんなやりとりを続けていれば、青年はいずれ、呆れ疲れて去っていくだろうというのが旅芸人の読みでした。

 ところが、娘がそこに割り込んできます。

「この方は海の公子でいらっしゃいますの。私は……」

「名乗るでない」

 娘を叱りつけた海の公子は、旅芸人に言い渡します。

「何の資格があってここにいるのか。証が立てられぬなら、今すぐ立ち去るがよい」

 

 探し求めていた居場所に、美しい娘。

 旅芸人は、引くに引けなくなりました。

「よかろう」

 そう言うなり、商売道具の荷をほどきます。

 娘は、興味津々で尋ねました。

「それは、何ですの?」

 旅芸人が答える前に、海の公子は呻きました。

「なるほど、魔法には触媒が欠かせまい……」

 その目の前で閃かせたのは、指の間のガラス玉です。

 手のひと振りであらわれては消え、現れては消えるのに、娘は目を奪われます。

 海の公子も、黙ってガラス玉を見つめるしかありません。 

 どうやら、いずれも手品を見たことがないようです。

 右手にあったはずのガラス玉は瞬く間に左手へ移り、口の中に放り込んだはずなのに頭の後ろからつかみ出されます。

 娘は海の公子に尋ねます。

「これは、何の魔法ですの?」

「瞬間移動だ……」

 渋々と答える目の前で、旅芸人は無数の花びらを宙に舞い上がらせては手の中に消し去ります。

 見とれる娘を気にしながら、海の公子はひとりでうなずいてみせます。

「なるほど、生成消滅の魔法だな……」

 さらに旅芸人は身を翻します。

 あっという間に姿を現したのは、華麗なマントに身を包んだ風の化身でした。

 驚きで声も出ない娘の前で、海の貴公子は叫びます。

「ならば、海を渡るこの風、打ち破ってみせよ!」

 手のひと振りで巻き起こったのは、凄まじい突風。

 旅芸人の仮面と衣装は、あっさりと吹き飛ばされてしまいました。

 呆然とする娘をちらりと見やった海の貴公子は、勝ち誇って笑います。

「その資格もない人間風情が、世界の狭間の聖なる島で海の貴公子に挑むとは身の程知らずな! わが許嫁をたぶらかした罪は重いが、見逃してやる。いますぐ立ち去るがよい!」

 娘を抱えて空高く飛び去って行くのを、旅芸人はただ、見送るしかありません。

 それでも、はっきりと見えたものがあります。

 娘の眼には、涙が光っていました。

 その声は微かながら、耳にはっきりと届いていました。


 ……私を連れて行ってくださいませ、あなた様の世界へ。



 旅芸人は、娘を追って一面の花園を駆け抜けます。

 やがてたどり着いたのは、その島の浜辺でした。

 渡し守と思しき男が、一艘の船を守っています。

 乗り込もうとする旅芸人を押しとどめて、咎めました。

「何の資格があって、この海を渡ろうというのか」

「私を待っている者がいる」

 とっさに答えましたが、渡し守は納得しません。

「かの国は変化へんげの国。その姿しか持たぬ者は入れぬ」

 仮面と衣装は、海の貴公子に吹き飛ばされてしまって、もうありません。

 旅芸人はとっさに答えました。

「この島の向こうで呪いにかけられ、かような姿にされたのだ。変化の国でなければ元に戻れぬ」

 ようやく、渡し守は頷きました。

「よかろう。乗るがよい」

 海の上を滑るように進む舟は、やがて真珠色の霧に包まれます。

 渡し守は尋ねます。

「変化の国のお方なら、進む先がお分かりのはずだ」

 ここでも旅芸人は言い訳をします。

「それが分からぬまでに、呪いはひどいのだ」

「じゃあ、ここで立ち往生だ」

 困ったような返事と共に、舟を漕ぐ手は止まりました。

 娘の悲しげな顔を思い出して、旅芸人は船から身を乗り出します。

「危のうございますぜ!」 

 海へ転げ落ちそうになるのを、渡し守が慌てて抱き止めます。

 そこで旅芸人の目に見えたのは、あの眼に浮かんだ涙の光でした。

「あちらへ!」

 指さす方向へ舟を向けると、まばゆい光に包まれた桟橋が見えてきます。

 そこへ漕ぎ寄せたところで、番人と思しき男が訪ねました。

「何の資格があってここへ来たのか」

 旅芸人はもう、言い訳をしませんでした。

「この国に、私の助けを待つ者がいる。他に誰の許しがいるというのだ! 連れて行け! 海の公子のもとへ!」


 その剣幕に押された番人の取り次ぎで、駆けてきたのはあの娘です。

 そこで声を上げたのは、あの娘です。

「お待ち申し上げておりました!」

 それを遮るように、海の公子が旅芸人の前に立ちはだかります。

「身の程知らずが……我が真の姿の前にひれ伏すがよい!」

 渡し場から、海の中へざんぶと飛び込みます。

 再び姿を現したのは、大きな海龍シードラゴンでした。

 大きな翼で波しぶきを立てて舞い上がると、舟は大きく揺れます。

 海の中に落ちた渡し守は泳いで桟橋にしがみつきましたが、旅芸人は船にしがみついています。

 業を煮やしたのか、海の公子が姿を変えた龍は、急降下してきます。

 大きなあぎとを開いたかと思うと、勢いよく旅芸人にかぶりつきました。

 海龍の大きな身体が、水柱を挙げて海の中へ沈み、娘の悲鳴が上がります。

「やめて!」

 どれほど経ったでしょうか。

 桟橋の上で泣き崩れる娘の前に、浮かんできたものがあります。

 それは、気を失った海龍でした。

 旅芸人は、どこへ行ったのでしょうか。


「ここは……」

 旅芸人が目を覚ましたのは、白砂の海岸でした。

「あの島の向こうです」

 答えたのは、あの娘でした。

 まだ呆然としている旅芸人に、目を輝かせて尋ねます。

「いったい、何があったのですか?」

「癇癪玉です」

 聞きなれない言葉なのか、娘は首を傾げました。

 旅芸人は語って聞かせます。

「かぶりつかれた瞬間、荷物の中にあったのがいっぺんに破裂したのは覚えています。でも、その後、何があったのか……」

 さあ、と娘は空を見上げました。

 何と言い訳しようか、考えているかのように。

 たぶん、ついさっきまで、ふたりはそこにいたのでしょう。

 おそらくは、やはり龍に変じた娘が、気を失った旅芸人を運んできたのでしょうが、それは永遠の秘密で終わったはずです。

 いや、それは言われずとも、察しがついたのかもしれません。

 だって、旅芸人は娘と、いつまでもいつまでも、幸せに暮らしたのですから。 

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言い訳ドラゴンスレイヤー 兵藤晴佳 @hyoudo

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