第4話 Atonement

 その日は昼の冬晴れの空から一転して、放課後は夕立のような激しい雨が降っていた。


 いつもは逃げるように教室を出る美咲も、今日ばかりは傘もなくどこで雨が弱まるのを待とうかと目的もなく廊下を歩きながら窓の外の空を見上げていた。


 本当にふらふらと目的もなく歩いていたつもりだったのに、気付くと美咲はあのC棟多目的教室の前に立っていた。普段は使われていないこともあって、中は埃っぽく机の並びも歪んでいる。


「こんなところにいるはずもないのに」


 もしかしたらここに七希がいるんじゃないか、なんて御伽話おとぎばなしのような結末を妄想していた自分を恥じる。


 あの日、七希の助けを求める視線から目を逸らしたこと。それは誰にも言えるはずがない。言えるとするならば、七希本人にすべてを捧げて罪を償う時だけだ。


 諦めて多目的教室を出ようとしたところで、誰かが中に入ってくる。よく見ると生徒指導の白烏玲央だった。

 頭には三角巾を巻いて、手にはホウキと雑巾のかかったバケツを持っている。


「どうかしましたか? この教室は誰も使っていないのですが」

「すみません。雨が止むまで時間を潰してて」


 美咲が素直に謝ると、白烏はじっと美咲を見つめて無言で持っていたホウキを差し出した。


「では、お掃除を手伝ってもらえませんか?」

「え? いいですけど」


 手伝う理由など一つもなかったが、ここではっきりと断れるような性格はしていない。美咲は差し出されたホウキを受け取って、雨の降りしきる外へ通じる窓を少しだけ開ける。湿った空気に入れ替えても教室の中の淀みは消えなかった。


 床を掃くと、薄く積もっていたほこりが舞い上がって窓から差し込む雨空の弱い光に照らされながら踊っている。


「時間を潰すと言っても、どうしてこんな誰もいないところに?」


 机を一つずつ丁寧に拭きながら、白烏は美咲に尋ねた。


「たまたまです。校内を歩いていたらここに来ていて」

「本当に?」


 どこか引っかかる物言いで白烏は聞く。まるで答えを知っていて美咲にそれを言わせたいようだった。


 言えるわけがない。美咲が七希を裏切ったことはあの一瞬、目を逸らしたというそれだけ。誰にも気付かれていないし、美咲がこの罪を告白するのは七希本人だけのつもりだった。


「それはよかったです。それでこそこれを渡すかいがあるというものですよ」


 そう言って白烏は微笑む。雑巾をバケツに放り投げてゆっくりと胸ポケットの中に手を入れたと思うと、封筒を一枚取り出した。


「今年はあなたで最後ですね」

「それってどういう意味?」


 白烏は美咲の質問に答えることなく、片付けもせずに立ち去っていった。

 封筒を開く。そこには薄赤色の紙が一枚だけ入っている。


『貴殿を三年M組への編入を命じる。M組生は二月一日にC棟多目的教室に出席すること。なお、出席のない場合は当校を退学処分とし、貴殿の秘密は公に暴露される』


 淡々と書かれた紙面を見て、美咲はほこりっぽい多目的教室を見回した。

 いったい何の因果だろう。ここで救われて、ここにすがって、ここで脅迫されるなんて。


 ただ同時に美咲は感じていた。根拠は少しもないが、きっと七希も呼ばれている。

 そして顔を合わせたとき、美咲の贖罪しょくざいは終わるような気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Help meとは叫べない~僕たちが高校を卒業できない理由~ 神坂 理樹人 @rikito_kohsaka

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ