第5話 小さな兵隊

 エンドロールが終わった後も、主人公はずっとスクリーンを走り続けてるんじゃないか。

 劇場を出たあと渚に言うと、彼女は心底満足したように頷き、わたしの肩をぽんぽんと叩く。

「わかる。やっぱりカラックスは最高だよ。デヴィッドボウイの『モダン・ラヴ』がずっとずっと頭の中に鳴り響ている。マジでかっこよすぎ」

 渚がわたしの前に現れて一週間が経った。あのあと強引にマクドナルドに引っ張られ、いかに映画が素晴らしいか、人類がつくった最高の芸術かということを延々とまくしたてられた。

 正直、マニアックな映画の話は半分も理解できなかったし、渚が撮る映画の主演にわたしを選ぶうんぬんは断固拒否した。それでもいつしかSNSや学校のこと、母のことを忘れて同世代との会話を楽しむ自分がいた。

「とりあえずまおり、一緒に映画を観に行こう。名画座でかっこいい映画が始まるからさ」

 思わず頷くと、渚は満面の笑みを浮かべ、一息にコーラを飲みほした。

 連絡先を交換し、マクドナルドを出ると彼女は短い髪をかきあげ、夕暮れに染まる秋の風を気持ちよさそうに浴び、わたしをじっと見つめる。

 気恥ずかしくなってうつむくと、彼女はわたしの肩に手を置き、マジでさ、と力強い声で呟く。

「映画って最高だから。わたしと映画撮ってればさ、絶対損はさせないよ。最高に素敵な体験が待ってるからさ。くだらない日常なんて、ぜんぶぶっ飛ぶよ」

 わたしの手を取り、指を絡ませ強く握る。恥ずかしい。

 渚はわたしを引っ張り、図書館を通り過ぎると大股で歩いていく。閑静な住宅街の一角に、駅前のシネコンと呼ばれる映画館と比べるとずいぶんこじんまりとした建物の前で止まった。

「汚れた血、二枚お願いします」

 そうして初めて渚と観た映画は、今までテレビや無料配信で観ていた映画とは明らかに違う、難解で、不合理で、しかし感情が鷲掴みにされスクリーンから一瞬たりとも目が離せず、途中で息をするのも忘れるぐらいのめりこんでいた。

 あれから一週間、やはり学校には行っていない。大学で重要な発表があるらしく、父もあまり家にいないし、いても書斎にこもって顔を合わせない。

 家事をこなし、本を読み、勉強したり近所の公園や土手を散歩したりする。このままじゃダメだとわかっているけど、教室で級友や先生の目にさらされる勇気は出てこない。

 渚と見た映画をネットで調べ、三部作の第二部だっと知り一作目と三作目を配信でレンタルし観る。単純なようで容易に筋を辿れない物語に、テレビに流れるドラマやアニメとはまったく違う地味ながらも迫力ある画面。単純に面白かったと言えるような作品ではないけど、小さなスマホの画面からずっと目が離せずにいた。

 三作品とも、世間と交わることが出来ずはみだしてしまった人間たちの物語だ。

 彼ら彼女らが彷徨い、傷つき、スクリーンにしか映らない亡霊のように浮かんでは消える姿は今のわたしにすっと染みこみ、絡み合い、たゆたい続ける。

 もっと、渚に映画のこと教えてもらいたいな。映画の主演なんて絶対お断りだけど。

 窓を開け、冷ややかな秋の風を頬に浴びながらあくびをすると、タイミングを見計らったかのようにインターホンが鳴り、驚く。

 また、マスコミの人たちだろうか。母の死後に比べたらほとんど来なくなったが、暴力的とも呼べるようなカメラのフラッシュと突きつけられるマイク、早口でまくしたてる記者たちの言葉は身をすくませる。

 インターホンは絶え間なく鳴り続ける。嫌だったが、もしかしたら宅配業者の人かもしれない。

 一階に降り、ドアスコープを覗くと、そこには笑みを浮かべる渚がいた。

「な、渚?」

 慌ててドアを替えると、渚は口角をあげ、猫みたいに目を細める。

 先日とは違い紺色のブレザーに膝丈のスカート。制服姿だ。

「どうしたの、今日平日だよね?」

「見ればわかるだろ。サボったんだよ」

 よく見るとスクールバッグには小さく赤い鳥が刺繍されている。県下でも屈指の進学校の校章だ。

「お、この赤い鳥、かわいいよな。周りはダサいっていうけど、わたしは好きなんだよ」

「……渚、頭いいんだね」

「別に良くないよ。ペーパーテストでいい点取ればいいんだから。何も考えなくても、答えがあらかじめあるものを暗記すればいいって、つまらないだろ」

 渚は赤い鳥を指でなぞり、唇を尖らせる。

「というか、いきなり来ないでよ。ラインで連絡くれればいいのに」

「わたし、ラインとか苦手なんだ。文字だけでやり取りするって、どこか返事疲れるっていうか。顔合わせて会話する方が、楽だしな」

「だって、わたしがいなかったらどうするの」

「別に。そのへん散歩してさ、映画に使えそうな景色や風景、転がってないかなーって探したり、それこそ「モダン・ラヴ」をスマホから爆音で流してさ、全力疾走するのも楽しいかもな」 

「……で、今日は突然、どうしたの? 学校、またサボったの?」

「学校なんてもう終わったよ。まおり、今何時だと思ってるんだ?」

 慌ててスマホを確認すると、16:00と数字が点滅している。

 まだお昼過ぎだと思ってた。パスタを茹で食べてから、少し眠ってしまったのだろうか。なんだかまんまニートな生活に恥ずかしくなる。

「ほら、ずっと家にいたら自堕落になるだろ。どんどん動くのがかったるくなって、それが自己嫌悪になって心に溜まっていって、体がさ、重くなっていくんだよ。するとますます動けなくなって、それがまた嫌になって心が沈んで……で、最後はさ」 渚は目を剥き舌を出し、自分の首を両手で絞める――ふりをする。

「こうなってこの世から消えるなんて、つまらないだろ。だから、外に出ようまおり。今日も映画を観に行こう」

 つながっているようで強引な展開に、ちょっと笑ってしまう。

「うん――ありがとう」

「え、何が」

「いや、元気づけてくれてるんだよね。他人みたいなわたしの家までわざわざ訪ねてきてくれて」

「他人じゃない、友だちだろ」

 怒ったように唇を尖らせる。

 いや、そもそもネットストーカーのようにわたしをつけ回し、生活圏を特定して突然接触を図ってくるような人間だ。感謝するいわれもなく、むしろ警戒しなくてはいけない相手だ。

 なのに、どうも渚とラインしたり、こうやって顔を合わせて話していると安心している自分がいる。おかしいと思ってるけど、わたしを見つけ出し自分が撮る映画の主演女優になってほしいと言ってのけたこの子に馴染んでくる。

「ほら、行くよ」

 強引にわたしの手を引っぱる。

「ちょっと待ってよ。全然メイクしてないし、街に出るなら、もうちょっと服選ぶから」

「んじゃあさっさと着替えておいで。化粧は無しね。まおりはそのまんまのほうがかわいいから」

 なんでそんな恥ずかしいことをさらっと言うのだろう。部屋に戻ろうとするわたしの背中に、





 

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殺人鬼について私が知っている二、三の事柄 @nehangirl

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