第4話 殺人鬼の独白(1)

 なぜ人を殺してはいけないのか、なんてほざく馬鹿を皆殺しにしたい。

 法治国家だからとか、人殺しを認めると誰もが誰かを殺す世界になるからだとか、人が殺されるのはいいけど自分が殺されるのは嫌だからとか、ぐだぐだ妄言を吐くくだらん人間など全員殴り殺したい。

 もちろん老若男女みさかないなく殺すのが正しい、なんて言ってるわけじゃない。

命乞いする人間を蹴飛ばし四肢を切り刻み断末魔の叫びを聞くのが三度の飯を聞くのが好きだ、なんて古き良きサイコパス殺人鬼なんてそれこそ首を吊ったままマシンガンで蜂の巣にでもすればいいんだ。

 俺が言ってるのはそんなことじゃない。

 こいつは死ぬべきだ、殺したっていいほど下劣で下等なクソな人間だと思ったら、容赦なく抹殺することはまったく悪いことではないってことだ。 

 たとえば身の回りの人間を召使にしか思ってないような老人だ。老人は敬え、なんて学校じゃ教えられたが、今の老害どもはどうだ?

 コンビニやスーパーの店員、駅員やバスの運転手には常に上から目線の居丈高。命令口調であれこれと言い募り、親切に教えてやっても理解できずそれを相手のせいにしてすぐ怒鳴る。まるで我儘な幼稚園児だ。ろくに働きもせず、年金でのうのうと暮らしているくせに周囲に対して常に攻撃的で、健康な人間を恨んでやがる。

 そのくせ、たまに奮発して高級レストランに行けば辟易するぐらい卑屈になるんだ。ひっきりなしに頭を下げて、愛想笑いを浮かべて、おとなしく会計を済ませて帰るんだよ。どんな下品な性格してるんだこんな爺さん婆さんどもは? なんでこんなやつらを尊敬して尊重しなくちゃいけないんだ?

 もちろん頭の悪い若い奴らもどんどんぶっ殺していい。単に親ガチャで当たりを引いただけなのに、いい学校へ進学したのも大企業に就職したのも自分が努力した結果だと思い上がり傲慢にふるまう。

 周囲の人間に恵まれ、家に帰れば勉強ができる環境。そういった世界が当たり前だと思ってるゴミ屑。やろうと思えばいつでも勉学に励み、自己を磨き、より豊かな生活を求め努力する、なんて環境など与えられるどころか想像もできないまま底辺の生活を強いられる。

 俺はこれっぽっちも悪くないのに、気が付けばまともな家族も友人も恋人も仕事もない。だが、苦しみを訴えればそんなの自己責任だと徹底的にあいつらは叩きまくり、自分の子どもにああいう人間にはなるなとにこやかに説くんだ。クソが。

 いいか、どんな理由があろうとも、暴力は絶対にふるってはいけません、なんていうヤツなど絶対に信用するな。そんな戯言をのたまう阿保はガンガン殴っていい。殴って蹴って刺して首を絞め、相手が死んじまうならそれでいいんだ。

 弱者の戯言だ、って顔してるな。暴力が認められるわけがない、どんな理由があるにせよ暴力を、人殺しを認めてしまったら人類は猿と変わらなくなる、か?

 Ape Shall Not Kill Ape――猿は猿を殺さない。

 まさしくその通りだ。昔の映画でなあ、こんなエモいキャッチコピーついた作品があるんだよ。

 納得いかないか? ならこんなクソはどうだ?

 どうにも眠れなくて、夜中に散歩に出た。冬の寒さがひいて、昼間はパーカーでも汗ばむほど暖かったが、夜も深まってくると空気がどんどん冷えていって、冷たい風が膨らみつつある桜の蕾を刺すように吹く、そんな夜だった。

 俺は季節の変わり目に弱い。決まって頭が痛くなり、寝つきが悪くなる。錠剤をビールで流し込み、それでも変に気が高ぶって眠れやしない。しかたなく、コートを羽織って外に出た。煎餅布団に寝そべってても煩悶するだけだってのは今までの人生でよくわかってたからな。 

 満月が異様に輝いてた。ガキの頃、ばあちゃんと一緒にベランダに立ってよく月を見てた。

 ほら、お月さまをようく見てごらん、黒い染みみたいなのがあるだろう、ほら、もっともっとようく見てごらん、ウサギがねえ、お餅をついているように見えるだろう?

 ばあちゃんはにこにこしながら指さしたもんだが、ガキのころにはさっぱりわからなかった。まんまるな黄色い円に、黒いものが浮かんでるな、ぐらいにしか思わなかった。

 でもよ、その夜中に散歩したときに浮かんでいた月を見たとき、ようやく理解したよ。確かに、あの黒い染みみたいなのは、餅をつくウサギの形をしていた。どうしてガキのころはわかんなかったんだろうな? せっかくばあちゃんが押しえてくれたのに。

 まあそんなことはいいか。とにかく痛む頭に辟易しながら、夜道を歩いていた。

 十分ほど歩くと、住宅街を抜け土手が見えてくる。十メートルもない小さな川で、土手だってそんな高いもんじゃない。休日になると段ボールをソリ代わりにして滑る子供がいるが、すぐに飽きてキャッチボールでも始めるような、小ぶりな土手だ。

 それでも、小川のせせらぎを聞きながらぼんやり冷たい空気に触れていれば、だんだんと頭の痛みは引き、気分はすっきりとしてくる。冷たい闇をかきまわすように流れる川を眺めて、大きく深呼吸して白い息を吐いた。

 すると、か細い悲鳴のような声が耳に届いたんだ。どこかの赤ん坊の泣き声かと思ったんだが、周囲の家はひっそりと夜に埋もれて、しんと静まり返っていた。

 気のせいかと首を捻るうち、悲鳴のような声はいっそう高まった。意味のある言葉になっているわけじゃないが、助けを求めるようにも聞こえ、マジで何かヤバいことが起きてるのか? と焦り始めた。

 頭の代わりに心臓がどくんどくんと痛いほど高鳴った。誰かが誰かに教われている? 殴られて蹴られて刺されて首を絞められている?

 悲鳴のようなか細い声を辿る。足音を立てないようにゆっくりと雑草を踏みつけ進むと、橋のたもとで、闇にまみれてうごめくような人影が見えた。

 満月を見上げ、もう一度深呼吸する。目を馴らして、人影が何をやってるかを見極める。

 マジかよ、と思わず声が出て、口を押えたぜ。

 制服姿の女子高生が、猫の首を絞めていた。

 腰まで伸びた髪の毛を揺らし、女子高生は小さな猫――もしかしたら、生まれたばかりかもしれねえ――の首を両手でつかんでいた。シュークリームを食べるように、明らかに力を込めず、それは一気に子猫を潰さないように加減して首を絞めていた。

 明らかなクソ野郎だ。小さくか弱い猫の首を絞めるやつなんて、天地がひっくり返ったって救いようがない底辺人間だ。そうだろ? 

 気が付けば、俺はその女に飛びかかっていた。可愛くも不細工でもない女子高生の顔が驚愕に歪み、その中央の鼻っ柱に思い切り拳を入れてやった。

 格ゲーのようにその女は吹っ飛んだ。子猫は宙に放り出され、でもくるりと受け身をとって一目散に夜の闇に消えていった。

「な、なに……」

 鼻血を出しながら、女子高生はふらふらと立ち上がった。この県屈指の進学校で、最難関大学に毎年何十人も合格者を送り出している高校だ。その制服も、吹き出した血に塗れ濡れているのが暗闇でもわかった。

「痛い……何よ、なんでいきなり殴るのよ……」

「ああ? 猫の首絞めてるやつがどの口叩いてんだよ」

 女子高生は親の仇を見たように俺を睨みつけ、口から血が混じった唾を吐き出す。

「お前、なんで制服なんて着てるんだ? 頭おかしいんじゃねえの。一発でどこの学校行ってるかわかるじゃねえか」

 いくらこんな夜更けの、住宅街を離れた小さな土手とはいえ、通り過ぎる人間が皆無ってわけじゃないだろう。眠れずにほっつき歩く奴だっているはずだ。俺みたいに。

「しょうがないじゃん。あたしらがイジって遊んでたクラスメイトがさあ、いきなり先生にぶちまけんたんだよ。ワタシ苛められてますーたすけてくださいーって。

 あたしが通ってる学校、世間的には可憐で高貴なお嬢様学校だから。そういうのがあると極端に騒いで。すぐに家にも連絡行って」

 女子高生は鼻血をだらだら流しながらもべらべら喋る。目を凝らすと、どこかのアイドルグループのセンターにいてもおかしくないようなルックスをしている。

「まず職員室で事実関係の確認とか説教とかされて。やっと終わったと思ったらとっくに両親に連絡行っててさ。ママは号泣してるしパパは顔真っ赤にしていじめなんて最低だ、お前はもっと優しくていい子だったじゃないか、なんて怒鳴るわけ。

 うんうん、わかるよ。いじめなんて本当にどうしようもない、性根が腐った底辺連中がやることだって。

 でもさ、うるさくない? うちらはイジってるんじゃん? 遊んであげてるんじゃん? 苛めとイジりの区別がつかないのか、なんて言うけど、ついてるよ」

 おもむろにスマホを取り出し、動画を再生する。放課後の教室だろうか。そこにはいかにも気弱そうな小柄な女子が、目の前の女子高生に向かってワイシャツの袖をめくる。

 すると、剃っていないのか結構な長さの腋毛がむき出しになる。

 そのとたん、女子たちの爆発するような笑い声がスマホのスピーカーを震わした。

「ウケるでしょ? センスいいでしょ? こんなの苛めじゃなくない? いじめって、殴ったり蹴ったり、お金奪ったり、それか無視じゃない? だとしたらさ、これはイジりでしょ? みんな大爆笑してるし。

 これ考えたわたし、すごくね?」

 改めて動画を見つめ、女子高生は血を垂らしながらげらげら笑う。スマホにうつる腋毛を晒した女子も目に涙をためながらも、周囲に迎合するように弱弱しい笑みを漏らした。

「なのにさあ、寄ってたかってわたしを責めるから。そっちのほうがいじめじゃん。意味わかんない。だから着替えるまもなく家出て、ずっと土手歩いたり、スマホで推しのアイドル動画見たりして」

「で、むしゃくしゃが収まらないから小さな猫をいじめてた、ってことか?」

「まあいじめてたってか、だからイジリなわけ。別に本気で猫の首絞めて殺すわけないじゃん。そこまでサイコパスじゃないし」

 さあどうだ? こんなクズでもほったらかしか? いじめはいけません動物を大切にしましょう反省しなさい、なんて説教して、最後は人間言葉を尽くせばわかりあえる、絶対に暴力なんてふるってはいけません、とかのたまうのか?

 ひとしきり笑ったあと、女子高生はスマホを操作しながら俺をちらちらと見る。馬鹿にするように口角をあげ、鼻を鳴らす。

「で、わたしに何か用? わたし殴って猫助けて、満足でしょ。正義感満たされた? あんた、さえない格好してるし、どうしようもない人生おくってるって感じだけど、少しは気が晴れた?」

 ぎりぎり、と何か硬い物体が削れる音がして、それは自分の歯ぎしりの音だと気付く。体が火照っていくのとは対照的に、頭痛は弱まり、脳味噌に直接冷風をかけられたみたいに意識が澄んでいく。 

「何こっち睨んでるの? マジでキモいし。どうせあんたみたいな三軍は、腋毛女に同情してるんでしょ。

 くだらない。絶対にカーストは動かない。わたしはずっと一軍だし、あんたみたいなのは永遠に三軍。底辺がこっち見てなんか言ってってくること自体が不愉快。いい加減あっちいけ」

 思い切り足を踏み出し、全力で女子高生をぶん殴る。俺の拳が相手の鼻を潰し、鼻骨が砕ける音が川のせせらぎに混じりはっきりと聞こえる。 

 もんどりうった女子高生に馬乗りになり、持っていたスマホを奪い投げ捨てるとそのまま顔面に拳を振り下ろす。ざけんなてめえぶっ殺すなど泣きわめいていたが、すぐに意味不明な絶叫に変わる。

「うるせえ……うるせえ……」

 耳障りな雑音にますます苛立ち、俺は相手の血に染まった手を動かす。ぜいぜいと荒い呼吸が漂い、それは自分の呼吸だと気付くといっきに息苦しくなり、いったん立ち上がると思い切り息を吸った。

 新鮮な夜の空気が心地よく、何度も深呼吸する。そのまま空を見上げると、今までの人生でも一番だと思えるほど大きくて、光り輝く満月が浮かんでいた。

 そんな満月を吸いこむように深く深く息を吸い、大きく吐くと地面を見下ろす。 

 誰もが羨む、偏差値も格式も高い制服に身を包んだ女子高生――だった物体が横たわっている。スカートがめくりあがり細く長い足の付け根を覆う純白のショーツまで見える。

 顔はトッピングと焼き方を間違えたぐちゃぐちゃのピザみたいで、ここまでくるとグロさはあまり感じない。

 傍らに落ちていたスマホを拾う。画面に触れると暗証番号を入力するよう求められ、俺はそのまま川に投げ捨てる。

 よく見ると学校名がデザインされた黒い鞄も置かれていた。中を覗くと化粧ポーチや財布、手帳などが雑然と突っ込まれている。

 水玉模様がプリントされた表紙を開くと、友人なのか、同じ制服に身を包んだ女子たちがみんなで舌を出してピースサインしている写真が貼ってある。

 なおもめくると、【見るべき映画!】と一行目に大きく書かれ、その下に「パーマネント・バケーション」「レザボア・ドッグス」「ロング・グッドバイ」などといった映画のタイトルが並んでいる。

「……ジャームッシュにタランティーノ、アルトマン?」

 思わず声に出して呟くと、視界が揺れ始める。

 体が火照るように熱くなり、それはやがて笑い声となって俺の口から迸った。

 おいおい、こんなクソ女が大層な映画見てるじゃねえか。頭からっぽの、くだらねえ友だちとつるんで自分より弱い人間をイジめていきがってるようなゴミ人間のくせに、まさか俺と映画の趣味が被るなんて。

 腹がいたくなるまで笑い、涙まで出て来た。ぜえぜえと荒い息を吐き、哄笑がおさまるのを待つ。

 手帳をポケットにしまうと、さっきまで女子高生だった物体を見下ろす。

「……案外、俺たち友だちになれたりしてな。都会に行って名画座で『蛇の道』と『蜘蛛の瞳』見てマックでだらだら語りったり、とかな」

 

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