第3話 さよなら、また今度ね2
思い切りむせてメロンパンを吐き出してしまう。心臓がどくんどくんと飛び跳ね、緊張のような息苦しさが全身を覆う。
恐る恐る振り返ると、ショートカットの髪を寝癖のようにワックスで波立たせた、わたしと同世代であろう少女がじっとこちらを見据えている。
「悪い、驚かせたか?」
大きく澄んだ瞳がゆれる。膝丈ほどのショートパンツに白いワイシャツとラフな格好だが、驚くほどさまになっている。
「どうしたんだよ? 大丈夫か? 具合悪いのか?」
怯える子犬をなだめるように、両手をわたしの肩に置く。
慌てて振り払い、後ずさる。
なんでわたしのことを知っている?
母のことを知っている?
母が死んだこと――いや、殺されたこと。
「ネットで見るよりかわいいじゃん」
大きな目をまたたかせ、今度はわたしの手を握る。見た目の印象とは裏腹に、てのひらは固い。
「なあなあ、いい加減答えてくれよ。あんた、御子柴まおりだろ? 母親をさ、チャップマンにぶっ殺された、さ」
大きく首を振る。握られた手を振り払おうとしたが、痛いくらい強くつかまれ離すことが出来ない。
「――あ、あなたはだれ?」
ようやく言葉を返すと、少女は眩しそうに目を細め、薄い唇の端をそっと上げる。
「わたし? わたしはナギサ、コジマナギサだよ。映画監督目指してる」
「え、えいが?」
「あ、別にまおりのことをネタにしようってわけじゃないよ。わたしは現実や社会の問題を掘り下げて、告発して、エネルギーを滾らせてさ、そのままスクリーンにぶつけるような、ドキュメンタリー志向じゃないんだ。好きだけどね、社会派も。大島渚は神だと思ってる」
いったい、さっきからこの少女は何を言っている? 大島渚とは昔の映画監督のことだろうか? 見た目は凛として綺麗だが、話が飛んでいて理解できない。
ナギサと名乗った少女はわたしの手を取ったまま隣に座る。男の子はもちろん、女子の友だちともあまりべたべたすることはないのでどこか恥ずかしい。
「あの、コジマナギサ、さん?」
「ん? ああ、大島渚と血縁関係はないよ。渚って漢字は同じだけど、わたしのコジマは児童の児にアイランドの島、だから。ああ、島は同じか」
「いや、そんな名前とかはどうでもよくて」
「どうでもいいってことはないじゃん。どんな名前をつけられたかで、人生の半分は決まるんだよ。運命ってやつが定まるんだってさ」
わたしの手を握ったまま、顔を覗き込むように大きな目を近づけてくる。
「って、そんなことよりもさ、あんた、御子柴まおりってことでいいんだよな?」
「うん、そうだけど……えっと、渚さん」
「渚でいいよ」
「そういうわけには……じゃなくて、ど、どうしてわたしのことを知ってるの? さっき、ネットがどうとか」
「そりゃ母親がさ、連続殺人鬼に殺されたらそっこうあがるでしょ。だいたいどこらへんに住んでるか、どこの高校に通っているか、残された家族構成とか普通に載ってるし」
あえて、目を背けていた。何か凶悪な事件が起きるたび、マスコミも報道していないような加害者や被害者の情報がネット上を駆け巡るのなんて日常茶飯事なことは理解している。職業や顔写真、住所はもとより、どんな趣味があったか、どんな性格だったか、友だちや恋人の有無、それらが真実だと裏付ける証拠など何もないまま拡散して、あっというまに事実として定着する。
当然憶測に基づくデマが飛び交い、誹謗中傷が渦巻く。各々が勝手に推理し、同情し、糾弾する。毎日毎日当たり前のように発生し、いつの間にか消えて別に話題に移り、炎上する。
わかっているから、怖くてネットを覗けなかった。母が殺されたと知ったとき、さまざまな感情があふれるなか、炎上案件になる、と思いもよぎったのは否めなかった。
やっぱり、わたしたちも「ネタ」にされてるんだ――
級友たちの顔が浮かぶ。呆然とするわたしを慰めてくれた。母を亡くし学校を休んでいるあいだ、先生たちは全校生徒が参加する朝礼を開き、くれぐれも身勝手な言葉を報道陣に応えないこと、被害者であるわたしに配慮した態度で接することなど言葉を尽くして説明した。
遠巻きにわたしを見てはこそこそと噂したり、腫れ物にふれるような態度の人も多かったけど、わたしを傷つける言葉を吐くようなことはなかった。
でも、みんなネットでは積極的に「祭り」に参加していたのだろうか。クラスメイトの母親が連続殺人鬼に殺された。自分たちはみんなが知らない情報を知っている。顔も知っている。どこに住んでいるかも知っている。クラスでの立ち位置、性格、友人ならカラオケで歌う曲もどんなキャラクターグッズが好きかも把握している。
これらを「燃料」として炎上に注ぐ。自分の発言が注目され、拡散され、バズる。わたしのこと、被害者のことなどまったく考えず、自分が主人公になりたくて、クラスのみんなのみならず、担任や教頭や校長だって祭りに参加して、情報を流し続けているかもしれない。
わたしだって、普段交流のないクラスメイトだったら、やっているかもしれない。
そう考えると、よく覗いているSNSも開けなかった。すぐに自分のアカウントを非表示にして、嵐が過ぎ去るのをひたすら待った。
しかし、アカウントを非表示にしても、やはりわたしに関することはあることないことが渦巻いているのだろう。ついにこうして、興味本位で近づいてくる人間が現れた。
渚はわたしの動揺を観察するかのようにじっと見つめる。秋風が木の葉をゆらし、さらさらという音がやけに耳に残る。
「自分で見てないのか? まあ見ないか。結構うざいことも書いてあるしな。みんな勝手だよ。ホラー映画を観てないのかね。ああいう喚いているモブキャラなんてまっさきに殺されるんだよな。ゾンビに噛まれたりな」
「……わたしに、なにを聞きたいの?」
怖さと同時に、苛立ちもわく。目の前の少女はもとより、勝手にわたしのことを流す人たちに。
「母のこと? 母がどういう人で、どうして殺されたのかってこと? それともわたし? 母が殺されたとき、どこにいたか? どう思った? 殺人鬼に狙われたことに、何か心当たりはあるってこと?」
「ん? 何かいきなり喋るようになったな」
「ふざけないでよ!」
ネットの情報をたどってわたしに突然接触したと思えば、映画のことを持ちだしたりからかうような言葉を吐く。何をしたいんだこの子は。
「ネットにあることないこと書かれてるだろうなっていうのは想像つくよ。でも、ほんとうに情報を集めてさ、わたしを特定して捕まえるって、おかしいんじゃない。そんなに注目されたい? バズりたい? 映画を撮るとかなんとか言ってたけど、わたしのこと動画にしてどこかのサイトにあげるの?」
渚は傷ついたように目を伏せる。しかしすぐに短い髪の毛を撫でつけ、唇を舐めると挑発するように睨んでくる。
「違う。わたしはドキュメンタリーは撮らないって言ったろ? まあ確かにネットの情報鵜呑みにして、まおりに会うため一時間かけて来たのは自分でもどうかと思うけどさ、でも、マジで出会えたらさ、テンションあがるでしょ」
「あなた、本当におかしいんじゃない」
「いや、ホントにさ、わたしは正直、まおりの母さんのことも、家族のことも、もちろん殺人鬼チャップマンのことも、どうでもいいんだ。どうでもいいって言うと怒る? でも、わたしがまおりに会いたいと思ったのは、事件のことは関係ない」
「事件のことは……関係ない? じゃあ、なんで、わたしに会いに来たの?」
「わたしが初監督予定作品に、主演として出てほしいんだ」
「――はあ?」
なんとも間が抜けた声が出てしまう。何を言っているのかもちろん把握は出来る。しかし、まったく理解できない。
渚はまるで愛の告白を終えた少女のように頬を上気させ、伏し目がちになり自分のつま先をみる。
「……ダメか?」
「あなた、おかしい。絶対に変だよ。なんでわたしをつけ回して、目の前に現れて、いきなり映画に出てくれとか、なんなの? 馬鹿にしてるの? どうせ誰か隠れてて動画回してるんでしょ?」
「だからカメラなんてまわして」
「うるさい!」
自分でも驚くような大きな声が飛び出す。赤ちゃんを抱っこした若い母親が眉をひそめ、わたしたちから離れていく。赤ちゃんは呆然とこちらを眺め、なぜか笑った。
「ほっといてよ……なんで見ず知らぬの人にまで馬鹿にされなきゃならないの……」
マスコミに付きまとわれた日々が甦る。母が殺されてから連日、インターフォンを鳴らされ、カメラをもった記者たちに囲まれ、矢継ぎ早に質問された。
なぜお母さんは狙われたんだと思う?
殺した犯人に心当たりはある?
今の気持ちを一言!
胸が苦しくなる。嘔吐しそうな不快感が喉元までせせりあがり、唾を強く飲み込むと深呼吸する
母がなぜ殺された? 犯人は誰か?
わたしにわかるわけがない。わたしは単なる平凡な女子高生で、名探偵じゃない。なぜこんな簡単なことが、この大人たちに通じないのだろう。
今の気持ち?
言葉にできるはずがない。母が嫌いだったので、殺されても悲しくはないです、とても言えばいいのだろうか。だが、気持ちなんてつねにふわふわしていて、手にふれたとたん霧のように拡散し、また形を変えて心の中に巣食っていく。
自分の気持ちなんてわかるわけがない。突然母が殺され、取り残されてしまった気持ちに説明なんてつけられない。
結局、顔を伏せ登校するしかなかった。父が話をつけてくれたのか、一カ月もするとマスコミの人たちは現れなくなった。ただ、無言でうつむくだけのわたしに、舌打ちが浴びせられたことは胸に突き刺さっている。
「わたしは違うよ。まおりを傷つけるマスコミやネットの連中とは違う」
まるでわたしの心を読んだかのように渚は言う。
「違うって……現にわたしを探し出して、からかってるじゃない」
「からかってなんかない。本気なんだよ。わたしは普段ネットもあまり見ないし、どんなSNSも使ってない。あんなの、いたずらに時間が溶けるだけだ。馬鹿が発信して阿保が騙されるツールだ」
「でも、現にわたしを突き止めた。SNSに広がった情報を犬みたいに嗅ぎまわったんでしょう?」
「たまたまなんだよ。単に都会の名画座で、何がかかるか調べてただけだった。ファスビンダー特集が組まれるっていうのはどこかで見てた。ただどこの映画館でやるか忘れてさ。ただ確認してた。ちなみに何がかかるか知ってるか? ペトラ・フォン・カントの苦い涙と13回の新月のある年にだぞ! やばすぎないか?」
映画の話になると、たちまち渚は大声を出し、破顔する。
「全然知らないし、そんな映画とわたしを探しだすこと、なんの関係があるの?」
「だからさ、たまたまなんだよ。ファスビンダーはコカインをやりすぎて死んだんだ。いわゆるドラッグだろ? ああいうのって、キマるとかハイになるっていうけど、実際やったらどうなるんだろ?
なんか興味を持ってどんどんリンクをたどるうち、連続殺人を犯した奴らを特集するページにたどりついた。子どもばかり四十人殺して育てていた豚に喰わせたロシアの酪農家とか。そのページにさ、今まさに世間を騒がす殺人鬼、チャップマンの事件も上がってた」
チャップマン、その言葉を聞くたび、氷を無造作に服に入れられたかのように悪寒が走り、鳥肌が立つ。
渚はそんなわたしの態度にはまるで無頓着で言葉を続ける。
「今までの被害者の名前、年齢、性別から家族、友人や恋人の有無、どんな学生生活を送ってきたか、どんな音楽が好きでどんな漫画を読んできたか、マジらしい記事からどう考えてもデマだろって情報も盛りだくさんだ。
くだらない、ってページを閉じようとした。そしたらさ、四人目の被害者、つまりまおりの母さんだよな、その娘ってキャプションがついて、わたしと同年代の女子の写真が載ってた」
「それがわたし……ってことだよね?」
「ああ、コメント欄に『可愛すぎ!マジ女神!』『俺がチャップマンなら、こっちをヤったよ』なんてクソコメントがはびこってて、すぐにページを閉じた。わたしはさ、連蔵殺人鬼もひどいけど、こんな言葉を垂れ流して馬鹿も同じぐらいゴミだと思う。地獄に落ちろって。
でもさ、すぐに閉じたんだけど、まおりの顔はずっと残ってた。単に綺麗なだけじゃない。あれは文化祭なのか? 中庭みたいなところで友だちと並んでさ、ビニールプールに水風船浮かばせてただろ」
5月の文化祭のことだろう。喫茶店は調理の手間がかかるからやだ、お化け屋敷は仕掛けつくるのが面倒くさい、など消極的な理由が並び、結局既製品の水風船を買ってきてビニールプールに浮かべて釣らせるだけの、なんとも盛り上がりにかける、けど楽な出し物に決まった。
そのときに撮った写真だろう。数か月前のことだが、ひどく昔のように思える。一緒に撮った友人たちの顔もどこかおぼろげだ。
母の事件があってから、LINEやメールで慰め、励ましてくれた友人たち。だが、文化祭の写真がネットに残っているということは、あの子たちの誰からがアップしたのだろうか。
吐き気がする。渚が心配そうにこちらを覗きこみ、そっと頬に触れる。
「さわらないでよ」
跳ねのけようとした手首をつかまれる。思いのほか強い力に驚く。
「な、なんなの? それでわたしの顔を見て、映画に出てもらおうってわたしのことを探し出したの? ありえないよ。変だよ。そんなの」
「じゃあこのまま引きこもってるのか? 最近行ってないんだろ、学校」
「そんなの、渚に関係ない」
「わたしが外に連れ出してやる。わたしの映画はオールロケだからさ。まあもちろん、セットなんて建てる金がないからだけど」
わたしの手首を握ったまま、ころころと笑う。
「わたしがはじめて観た映画はさ、6歳のとき、小学校に入学したお祝いだなんて言って映画館に連れて行かれて観た『スタンド・バイ・ミー』なんだ。もちろんリアタイじゃない。名画座でかかってて、親もまあまあ映画好きだし、自分たちも観たかったんだろうな。三人で見たんだよ。
その楽しさったらなかったな。大きなスクリーンに映し出される、明らかに日本とは、わたしの住む町とは違う建物、空気、人間たち。
一瞬で飲み込まれた。6歳だからさ、対して字幕なんてわからないはずなのに、気が付けば主人公たちと旅してた。意地悪な兄貴を殺してやりたいほど憎み、歌をうたいながら線路を歩いた。凶悪な犬から逃げ、仲間とからかいあって笑う。もう、最後の最後までわたしは映画の中で冒険してた」
渚は大きな目をせわしなく動かし、わたしの手を放し両手を広げたり拳を突き上げたりとにかく早口でせわしなく喋る。
こんなの無視して早く逃げなきゃ、と思いながらも、とにかく楽しそうに話す渚から目が離せない。
ああ、自分の好きなことをめいっぱい楽しそうに喋る姿は、推理小説について語る父にそっくりなんだ。
「幕が下りて、場内に明かりがともる。楽しかったか? なんて父さんが話しかけてきたけど、映画の中に没入しまくっててさ、このオジさんだれ? クリスやテディはどこにいったの? って泣きそうになったの、いまでもよく覚えてるよ」
渚は立ち上がり、両手の親指と人差し指を組み合わせて長方形を作る。カメラのつもりなのだろう。
「よし、今から映画館に行こう」
「だから、なんでそんな話に」
「いいから。つらいときも悲しいときも、映画があればどうにかなるよ。映画は人を救うし、孤独にもする」
図書館に備え付けられた時計が鳴り始めた。陽光はますますきらめき、どこまでも広がる青い空を、飛行機雲が切り裂くように飛びぬけていく。
「もうお昼か。わたしさ、この近くに美味しいカレーの店知ってるから、まずはそこ行こう。おごるから。その後映画だな」
もう何を言っても渚はあきらめないだろう。明らかにおかしな子だけど、ひたすら拒絶して何か暴力をふるわれてはかなわない。カレーをおごってくれるというし、少しだけ付き合った方がいいだろう。
自分そう言い聞かせると、まあ、ご飯して映画見るくらいなら……と返す。するといきなり抱きつかれた。
甘い香りが鼻孔をくすぐる。柔らかな胸の感触にどぎまぎしてしまう。
「よーし! 最高のカレーを食べて、最高の映画を観よう! ちょうどいま、基本中の基本の映画がかかってるからな!」
「基本中の……基本?」
「そうだよ、映画を撮るものならさ、これを観てなきゃ話にならない、絶対に体験してなくちゃいけない映画だよ」
渚はわたしの体を抱きしめ、ぐらぐらゆらす。
「そ、その映画って――」
「勝手にしやがれ!」
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