第1話 雪灯花咲く、春の野の
「……ゅ……リューリュ!」
どさっ、という音をたてて、リューリュの手から
あわてて拾い上げ、誤魔化すようにばふばふと風をつくる。が、吹子の先は足元の燃えかすにむいていたから、あたり一面がたちまち、灰だらけになる。
「あっ、ひゃっ、ごっごめんなさい!」
「リューリュ。あんた、朝からおかしいよ」
口元を左のすそでおおい、右手をうちわのように振るいながら、隣の
「もう、いっちまいなよ。昨日の夜、なにがあったの。いきなり支度部屋に飛び込んできたあのさむらい、シュンゴウっていうんだっけ、幼馴染なんだろ」
「う、うん」
リューリュの頭と肩にも、うっすら、灰が積もっている。サヨが手を伸ばしてそれを払いながら、ことさら難しい顔をつくった。
「……あいつと、しでかした、のか?」
「しでっ……!」
リューリュの吹子が、また、新しい灰の嵐をつくった。こんどはリューリュとサヨだけでなく、ぜんぶで八つある火口の担当者ぜんいんが、咳き込んだ。
「ばか。もう、吹子おきな。ちょっと水のみにいこう」
サヨが左右のおんなたちに挨拶して、リューリュの手を掴んでたたせた。釜炊き処の質素な木戸をあけ、裏庭のなかほどにある
八つの火口のうち六つまでは火を絶やしてはならないことになっているから、リューリュとサヨが抜けているいま、残りのふろたきたちは休めない。だから、休憩時間は、
小屋の中は外見の粗末さににあわず、清潔に整えられている。ひんやりとした室内。サヨとリューリュは並んで床几に腰をおろした。手には、たっぷりの水がたたえられた升。
「それで。なにがあったの。もうすぐ朝の風呂の時間もおわりだから、裏づとめたちの賄いにかからなきゃいけない。そしたらもう、夜まで喋る時間ないよ。いうなら、いまだよ」
サヨがせかすように、一息にそういい、水を飲んだ。
「……」
リューリュはじっと下をむいたまま、言葉をはっしない。
「……じゃあ、やっぱり、しで……」
「ちがっ、そんなじゃ、ないっ!」
「じゃあ、なにさ。あたしにも言えない、ってかい」
サヨは、リューリュよりひとつ年上で、ことし十八になる。このヨギリの家に召し抱えられたのがちょうど同じ頃だったし、郷里も近かったからすぐに親しくなった。寝所も同室である。いまでは友人というより、姉妹のような存在といえた。
「……なにがなんだか、わからないの」
「お屋敷の、奥にいったのかい?」
リューリュは、驚いてサヨの顔をみた。
「おとこと出来たんじゃなくて、それでも言えない、っていうんなら、それしかないだろ。あんたさ、大丈夫なの? なにかあたしにできること、ないのか」
サヨは、昨夜、リューリュ自身が案じたのとおなじことを連想している。
が、リューリュは、ふるふると首をふって否定した。
「サヨが心配してくれているようなことじゃない……とおもう」
昨夜。
奥座敷、その最奥部の、姫の部屋。姫の名は、
この家、ヨギリは、鬼族のなかでももっとも格式がたかく、武名は世に隠れもない名家である。その後継者、おんなながら鬼族としての能力がもっとも鮮明にあらわれているという、鬼鏡姫の、その命が閉じかけようとしている現場に、リューリュは呼ばれたのだ。
原因不明のやまいが、鬼鏡姫のからだを蝕んでいた。
医師たちがいかに手を尽くしても、恢復しない。屋敷中、いや国中の薬草、まじない、祈祷をもってしても、痛みをとることさえできなかった。
昨日は、鬼鏡姫のちょうど十七歳の誕生日であった。
枕元に当主ヨギリをふくむ重臣があつまり、もはや実質的なとむらいとなっている状況で、侍従の末席のおとこが、ある噂を同僚に伝えた。
そのことばは、ふだんであれば黙殺されたであろうが、状況が状況であった。どんなちいさな手がかりでも、姫を癒す可能性があるのなら、当主ヨギリは千金をだして、いや己のいのちに替えても、望んだのである。
ことばは上位に順にあげられ、奥仕えの長であるジゼクをつうじて、当主ヨギリに伝えられた。
家につたわる呪いのうた。
その一節とおなじ花の名を、歌うおんながいる。
ジゼクの判断で、そのおんなと懇意という、武者房のさむらいを使わした。鬼族が裏に踏み込めば、家中の騒動となる。姫の危急も、まだ公にはされていない。といって、だれにでも頼めるものではない。その若い武者の、シュンゴウという名は、奥にもその仕事ぶりとともに聞こえてきていたのだ。
連れてこられたおんなは、いまだ少女と形容すべき細い体躯で、しかしまっすぐにものを観る瞳をしていた。
ジゼクがうながすなか、彼女、リューリュは、祖母から伝わったというわらべ歌を恐る恐る、うたった。
ふたつのつきの、あわさるよいの、はるののの、せっとうかさく、はるの、のの、ゆきつゆのそそぐしののはの、ながるるつゆをゆめくさの、はなにたたえる、はるののの。
その場の重臣のほとんどは、驚きながらもその意味を解さない。が、ジゼク、そして当主ヨギリもすでにうたの途中で動いていた。
侍医に命じ、うたにあわせて、薬を調合させる。
この春の月食の日の雪のつゆ。まじないの道具として用いられることがあり、家中にも備えがある。紫乃の葉と呼ばれる薬草をそれで煎じ、夢草花という、ふつうは薬草としてもちいることのない、しかし香りのたかい春草の花弁をあわせて、やすませ、じゅうぶんに冷めてから、姫のくちに注ぐ。
しばらく苦悶の表情をうかべていた姫は、やがて厳しくよせていた眉をとき、しずかな寝息をたてはじめた。
それからの奥は、たいへんだった。
侍医たちはより精度を上げてくすりを調合するために走り、重臣たちは部下に国中の材料をあつめるよう命じ、当主は嗚咽しながらむすめを抱き上げようとしてジゼクに諌められ、シュンゴウとリューリュは、このこと固く内密に、のちに褒賞をとらせる、とだけことばをうけて、追い出されるように部屋を出た。
帰りは、ふつうに、廊下をあるき、互いになにもいわずに武者房と裏庭の支度部屋にそれぞれわかれて、寝床にはいった。
いま思い出しても、昨夜のことは、まったく、夢としか考えられなかった。
朝は、シュンゴウにももちろんあっていないし、果たしてその出来事がほんとうに自分の身に起きたことなのか、リューリュは、いまだふわふわした夢のなかにいるような気持ちでいるのだった。
サヨには、このことを言うわけにはいかないと考えている。口止めされたこともさることながら、それこそ、夢でも見てたんじゃないの、と言われると思ったからだ。
かといって、親身に心配してくれているサヨに、なにも説明しないのも……と、もじもじと逡巡しながら、リューリュは俯いている。
サヨがそんなリューリュに、なにか声をかけようとした、そのとき。
「……リューリュ! リューリュはいるかい!」
おもてから声がする。釜炊き長の老婆、キヌの、しわがれた声だった。
リューリュとサヨは、あわてて立ち上がった。しまった。もうそんなに時間がたっていたか。休憩時間を超過したと、叱られる。
庭にでると、キヌが、奇妙な表情をして立っていた。こころなしか、震えている。
「す、すみません、すぐ戻ります……!」
サヨが短くわびて、作業衣の裾をたくしあげながら走ろうとする。リューリュも続くが、キヌがその腕を掴んで、とまらせた。
「お、おまえ、なに、やらかしたんだい」
「……?」
リューリュとサヨが、目を見合わせる。
「風呂に……裏づとめのものの風呂に、じ、ジゼクさまがお越しだ……おまえに、リューリュに、せなかを流してほしいと」
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