第11話 TRUE LOVE(終)
「ただいまぁ」
「おかえり、朝ご飯食べるよね?」
「うん、いただきます」
朝帰り、じゃなくて当直明けの土曜日の朝、ゆぅちゃんのお味噌汁を飲んで幸せを嚙みしめる。
病院の当直の場合は朝が終業ではなくその日の夕方までのことが多いが、今日の私は在宅クリニックの当直明けである。
私は今、週に一度、クリニックへ出向している。
金曜日の朝八時から当番医として出勤、施設や自宅への訪問診療をして、緊急の
病院に勤務していながら在宅クリニックの当番医をするというのは今まではあまり聞かなかったけど、後期高齢者の数がこれからも増え続けることを考えれば、病床の数は限られているので在宅が増えることは当然のこと、その診療のカバーをするのも病院の役目なのだと思う。
私としては、土曜日が夜勤明けでフリーとなり、毎週ではないが日曜日が休みになることも多いので、ゆぅちゃんと休みが合うためとてもありがたい。
私の体調面を考慮してくれての配置なのかもしれない。
もしかしたら、荒井さんあたりが口添えしてくれた可能性もあると思っている。
なんにせよ、与えられた仕事は責任をもって働いている。
それに、このクリニックは研修医の時にバイトをしていた縁もあって、温かく迎えてくれる。
働いているスタッフも良い人たちなのだ。
「少し寝る?」
「うん、そうしようかな」
昨夜はあまり仮眠出来ていないから、睡眠で体力回復しよう。健康大事!
「ゆぅちゃんは? 何か予定あるの?」
「午後からね」
「うん」
「デートしたいなって思ってる」
一瞬思考が停止する。
デート、したいって、誰と?
「ゆぅちゃん、私とデートしてください」
右手を上げて立候補する。
その権利、誰にも渡さない。
「喜んで!」
そうと決まれば、早く寝よう。体力大事!
ご飯を食べ終え、片付けをして、着替えをして、寝室へ。
「久美~」
洗濯物を干し終えたゆぅちゃんが顔を出した。
「ん?」
「ちゃんと寝れそう?」
眠ってしまえば熟睡出来るタイプだけれど、以前より寝つきが悪くなった私を心配してくれている。
「添い寝してくれたら眠れると思う」
我儘なリクエストをしてみる。
「仕方ないわねぇ」
なんて言いながら、ゆぅちゃんだって嬉しそうじゃないか。
今日も素敵な一日になりそうだ。
大好きな温もりに包まれて、眠りに落ちた。
「ねぇ、先生……」
ある日、思わず発した私の言葉。
数秒の沈黙の後、振り向いたゆぅちゃんの顔は今まで見たことがない表情をしていた。
そりゃそうか、私が生徒だったのはもう随分前のことだし、先生と呼ばなくなって久しいのだから。
「どうしたの突然、何かあったの?」
「別に、なんとなく。懐かしいなぁって」
「昔を思い出していたの?」
「まぁ、そんな感じ」
なぜ思い出していたのかは、今はゆぅちゃんに言いたくはない。
「久美だって、先生じゃない」
「まぁね。医局ではお互いに先生って呼ぶからさぁ、先生が渋滞しちゃってる。あ、職員室でもそうだよね?」
「そうね、堅苦しい雰囲気にはなるわね」
「あ、でもね。在宅医療のクリニックではね、院長が『しょうちゃん』とか『しょうちゃん先生』って名前で呼ばれているんだよ」
「えっ、院長なのに?」
「そう、院長って呼ぶのはオペレーターの人と最近入った職員さんくらいでね、私にも名前で呼んで欲しいって言うの。院長っていうキャラじゃないからって」
「そうなの?」
「親しみやすい人だけどね、私は医者としても人としても尊敬してる、素敵な人だよ」
「へぇ、ベタ惚れみたいね」
「うんそう、ベタ……いや、違うよ、私が惚れてるのはゆぅちゃんだけだからね」
ゆぅちゃんは少し驚いたように目を丸くした後、ふわりと笑った。
「試すような言い方してごめん、久美の周りには素敵な人が多いからちょっとだけ不安になったの、だけどこうやって気持ちを伝えてくれて嬉しい」
本当にこの人は。
「可愛いやきもちだね」
世間的にどんなに立派な人でも、高貴な人だって、ゆぅちゃんと比べたら。いや、比べるまでもない。
私にとってのゆぅちゃんは、唯一無二の人なのだから。
そう、あの教室で出会った日から、ずっと。
「そうそう、その在宅クリニックの院長がね。今度、介護休暇を取るんだって」
「介護休暇?」
「そう、お母さんの介護のために一ヶ月お休みするらしくて」
「へぇ、凄い。上の人がそういう制度を使えば、他の人も利用しやすくなるわね」
「親思いでもあるし、スタッフ思いでもある」
「久美が憧れるわけね」
「そう、それでね。院長が休みの間は、私が診察を受け持つことになってね」
「まぁ、院長代理なの?」
「いやぁ、院長の代わりなんておこがましいけどさ」
その話を聞いた時には荷が重いと思った。
だけど今は、私を信用して任せてくれるなら、精一杯やってみたいと思っている。それが自信に繋がるような気がしている。
「久美が久美らしくすれば大丈夫よ」
「なにそれ、ゆぅちゃんは私に甘すぎだよ」
「だって、好きなんだもの。しょうがないじゃない」
そんなゆぅちゃんの言葉は、私にとって最高のエールとなる。
そして私は心に決めたことがある。
期待に応えて、院長の代わりを務めあげることが出来たなら。
私なりのケジメの付け方。
それを考える度に、つい思い出してしまう。あの頃の二人に思いを馳せてしまう。
「ゆみこ先生」
「なによ」
「今日は先生呼びで抱いてもいい?」
「なっ、なに言ってるの」
焦った顔が可愛い。
「背徳感で燃えそうじゃない?」
真面目なゆぅちゃんには刺激が強いだろうか。
「馬鹿ね」
そう言いながら、満更でもなさそうだし。
私に甘いゆぅちゃんだから、きっと許してくれるのだろう。
「あ、ゆぅちゃん。今大丈夫?」
「うん、ちょうどお昼休みだから」
「今夜ね、クリニックの院長と食事をすることになったから、その連絡なんだけど」
「そう、わかったわ。遅くなりそう?」
「たぶん大丈夫だと思うけど。帰る時に連絡するね」
「うん、よろしく」
「じゃあね、午後も頑張って」
「はーい、久美もね」
通話を終えた私は、心の中でガッツポーズをする。
夕飯要らないよっていう連絡だけならメッセージでも良かったのだけど――電話が通じなければそうするつもりだった――運良くゆぅちゃんの声が聞けたから、これで午後の仕事も頑張れるってものだ。
ゆぅちゃんも、そう思ってくれているかな? そうだったらいいなぁ。
病院の仕事を終えてから、クリニックへと向かう。
来週からはクリニックへの正式な出向となる。そのための打ち合わせだ。勤務は基本的に月曜日から金曜日、朝九時から夕方六時まで。なんて健全な働き方だろう。
ただ、院長の代理なので判断力は要求される。
「岐城先生、お疲れ様です。来週からですね、デスクはこちらを使ってくださいね、この電話が鳴ったら院長直通の用件です。まぁ、ほとんどかかって来ないので大丈夫だと思います。診察は今まで通り後藤さんが付きますので、判断で迷ったら彼女に聞いてください」
「看護師さんにですか?」
同行ナースの後藤看護師はベテランで、私も信頼を置いている。だけどそこまで?
「ええ、大体のことはそれで間に合います。もし彼女が判断出来ないと言ったら私の方に連絡ください。いつでも大丈夫ですから」
「はい、承知しました」
「それじゃあ、ご飯に行きましょうか」
え、これだけ?
もっと詳しく患者さんのことを打ち合わせるのかと思ったのに、あっさりと終わって場所を変えることになった。
「あの、しょうちゃん先生」
「ん?」
歩きながら、私は一番聞きたかったことを尋ねた。
「どうして私だったのですか? 病院からの指示ですか?」
あの休職から約半年、最近は残業も多くなっている。幸い身体の不調はないが、病院よりもクリニックの方が良いとの判断だろうか。
「逆だよ、私の方から岐城先生を貸してほしいってお願いしたの。普段のね、患者さんとの関りを見ていて一番適任だと思ったから。迷惑だったかな?」
「いえ、そんなことないです。評価していただいてありがとうございます」
「さぁ、どうぞ」
どうやら、目的地に着いたようだ。
え、ここって?
お店で夕食を摂るのだとばかり思っていたのに、連れて行かれた場所は……
院長の家?
「しょうちゃん、おかえりなさい。岐城先生もいらっしゃいませ」
「あれ、後藤さん?」
「さぁさぁ、とりあえず上がってね」
「お、おじゃまします」
いつも通り元気で笑顔いっぱいの後藤さんに連れられて、手洗いをして、椅子に座り、あれよあれよと食事が運ばれてきた。
「先生、アレルギーや苦手なものはなかったのよね?」
「はい、何でも食べられます」
そういえば、ちょっと前に聞かれたっけ。
「良かった、それではいただきましょうか」
院長は、いつもよりにこやかに手を合わせる。
「いただきます」
私も後藤さんも、それに倣い手を合わせた。
「うわっ、美味しい」
「でしょ、いっぱい食べてね」
「お口に合ってよかった」
満足そうな院長の笑顔と隣で微笑む後藤さん。
「ゆきの煮物は絶品だよ、この茄子の煮びたしとかさ」
「はい、美味しいです」
「ちょっとしょうちゃん、若い子は揚げ物とかの方がいいんじゃない?」
「そっか、唐揚げいっとく?」
「あ、はい。わぁ、これ。味付け何ですか? すごく美味しい」
「これね、塩こうじ」
「へぇ、勉強になるなぁ」
「あ、そうだ。岐城先生はお酒飲める人? 何か飲む?」
「あまり強くはないですが、少しなら」
「なら軽いもの準備するね、しょうちゃんは?」
「ノンアルでお願い。ゆきは好きなだけ飲んでいいから」
「ありがと、そうするね」
なんだかクリニックにいる時とは二人ともイメージが違う。
仕事とプライベートはしっかり分けているって感じ。
「あの――」
「ん、どうした?」
「お二人は、一緒に暮らしているのですか?」
ここへ来た時から感じていたこと。
二人の会話や雰囲気、これってどう見ても恋人、いや、なんなら夫婦っぽい。
「え?」
「あれ? 知らなかった?」
「はい」
「そっか、ごめん。岐城先生はうちのクリニックに入って長いから、知っているとばかり思ってた」
「そうなの、二人で一緒にここで生活してるの、えっと、大丈夫かな?」
「え、何がですか?」
なぜか二人とも、申し訳なさそうなそんな表情をしているが……
「えっと、そういうのがダメな人もいるでしょ」
「そういうの?」
「同性愛とか、マイノリティなことに関してってことだけど」
「あぁ、それは全然です。私も彼女と暮らしていますし」
「あら、そうだったの。へぇ、お相手は医療関係者?」
後藤さんの表情が一気に明るくなって、前のめりだ。
「ゆき、そんなふうに突っ込んで聞いたら駄目だよ」
「あ、大丈夫です。彼女は教師です、中学校の先生」
「へぇ、出会いは?」
「ゆき、それ以上は……」
「あぁそっか、ごめん。ちなみにうちはね、ありがちだけど同じ病棟でね――」
「ちょっと、ゆき。何を言い出すの?」
焦っている院長の顔が新鮮だ。
「へぇ、どちらからアプローチしたのですか?」
「それは……私から……かな」
「へぇ、しょうちゃん先生からかぁ」
真っ赤になりながらも素直に答えてくれる院長の可愛らしい一面を見た。
「私もありがちなんですけどね、中学の時の先生に恋をしました。あ、付き合い出したのはちゃんと高校を卒業してからですよ」
「えぇ、もしかして初恋? 素敵だねぇ」
「はい、もちろん。素敵な人なんですよぉ、後藤さんの料理も美味しいけど、ゆぅちゃんのご飯もめちゃくちゃ美味しくて、怒ると怖いけど私のこと甘やかしてくれるし……って、ごめんなさい喋り過ぎました」
久しぶりのアルコールで気分が高揚しているみたいで、つい惚気てしまった。
「いいよ、いいよ。もっと聞きたいな! ね、しょうちゃん」
「うん、まぁ。幸せな話は良いね」
人生の先輩であり職場の上司なのに、この二人の雰囲気がやけに話しやすくて……普段、こんなこと大っぴらに話せないから嬉しくて。
私は心の内をさらけ出した。
「実は、籍を入れようかと思っているんです」
まだ誰にも言ったことがない――ゆぅちゃん本人にも――私の決意。
「まぁ」
「それは、おめでたいね」
二人は笑顔で、心から祝福してくれた。
「ありがとうございます」
「お代わり、持ってこようか?」
院長はキッチンへ立つ。
「しょうちゃんの分もね~乾杯しよっ」
後藤さんが背中に語りかける。
「もちろん、そのつもりだよ」
さすが、息が合っている。
「お二人は籍を入れてないのですか?」
「うん、入れてないよ。でも、プロポーズは何度もしてくれたよ」
異性間では当然のように籍を入れる、だけど同性間では少数だろう。
それぞれの事情や考え方もあるのだろう。
「あっ、そういえばプロポーズ……」
「してないの?」
「はい、まだ……しょうちゃん先生、ご教授ください」
「え、なに?」
グラスを乗せたお盆を手に、院長が戻ってきた。
「プロポーズのプロの、しょうちゃんに教えて欲しいんだって」
「なに、それ。ゆき、また変なこと言ったの?」
「嘘は言ってませーん」
「プロポーズの極意なんて、教えるまでもない」
乾杯の後、院長はあっさりと言い切る。
「岐城先生の気持ちを、そのまま伝えれば良いでしょ?」
「シチュエーションは?」
「それは、なりゆきで」
「そうなのですか?」
「あぁ、そうかも」
二人の顔を見れば、二人とも頷いている。
そうなの?
「ごめんね、ゆぅちゃん」
「なにが?」
「遅くなったあげく、迎えに来てもらっちゃってさ」
居心地が良かったため、帰りは終電近くになってしまった。
院長はタクシーを使うよう提案してくれたのだけど、そうなればタクシー代はもちろん出すと言うだろうし、申し訳ないので固辞して帰ってきた。
ゆぅちゃんに、今から帰ると連絡したら駅まで迎えにきてくれたのだ。
「たぶん、こうなるだろうなって思ってたから」
「ごめん」
「楽しかったんでしょ?」
「うん、とっても」
「だったら、私も嬉しい」
「ゆぅちゃんって、やっぱり素敵な人だよね」
「えっ、なに言ってるのよ、まだアルコール抜けてないの?」
「えぇ、心からの本心だよぉ」
「はいはい、ほら、お家に着いたよ」
「はーい、ゆぅちゃんありがと。明日はお休みだから家事でも何でもするね」
「ん、期待してるわ」
私だって、ゆぅちゃんのためならなんだって出来るもん。
「岐城先生、疲れてませんか?」
クリニックの仕事も3週目、残りはあと1週間と少しとなっている。
さまざまな緊急の症例もあり、院長代理である私には全ての情報があがってくる。
それぞれ担当の医師が対処するものの、家族への連絡や説明等はこちらで行うこともある。
今のところ大きな問題となることもなく過ぎているが、これはひとえに日々の診療で信頼関係を築いてきたスタッフのおかげだろう。
「いえ、とても勉強になってます」
病院勤めでは経験しないこともたくさんある。
私はこの1か月の経験が、自分の糧になったらいいなと思う。
「でも、なんだか元気ないですよ?」
「え……わかります?」
「プライベートで何か?」
「まぁ」
相手が後藤さんだったこともあって、つい愚痴ってしまった。
「実は昨日、家に帰ったら――」
「ただいま〜」
「久美、スマホの充電切れてない?」
なんだか、ゆぅちゃんの様子がおかしいなと思ったのだ。
おかえりと言う前に、そんなこと言うなんて。普段のゆぅちゃんでは考えられないし、声のトーンも怒っているみたいだったから。
「え、あぁ、忘れてた。連絡くれたの?」
確かに私のスマホは電池がなくなっていて、真っ黒だった。
「ごめん、なんだった?」
ゆぅちゃんはため息をこぼしただけで何も言わなかったので、不安が募る。
「私は連絡してないよ。久美に連絡がつかないからって家に電話があったのよ」
「誰から?」
「ジュエリーショップ、指輪の受け取りに来てくれって」
「あっ…………そう」
しまった、こんな形でバレてしまうなんて。情けなくて凹む。
ゆぅちゃんは、私の反応を見るとプイッと振り向いて、キッチンへと入って行ってしまった。
あれ?
私は着替えを済ませて食卓へ着く。
会話のない食事が始まる。
「怒ってるの?」
「自分にね」
「え、なんで?」
「久美が浮気してたこと、まるで気付けなかった私が悪いの」
「ん? はぁ? 浮気ってなにさ」
「だって、指輪。誰かに贈るんでしょ?」
「ゆぅちゃんにだよ! 他の人に贈るわけない。落ち込んだのは、こんな形で知られたくなかったからで」
「嘘、だって。私たちに指輪は要らないって……」
あぁ、そっか。それで勘違いをしたのか。
あれは私が国家試験に合格し、無事に医師となった年。
正式に一緒に暮らすことになって、引っ越しを済ませて。
記念に指輪を贈りたいと思って、そう伝えた。
「気持ちは嬉しいけど、そんなのいいよ。私は指輪を付けて職場には行けないから、せっかく作ってもずっとケースの中に閉じ込められてたら指輪だって可哀想。久美だって仕事中は付けられないでしょ?」
「まぁ、そうだけど」
「私たちに、指輪は必要ない。見えなくてもちゃんと絆があるのだから」
結局、指輪は贈らなかった。
「あのね、ゆぅちゃん。本当はクリニックの院長代理を務めあげてから言おうと思ってたんだけど」
「……なに?」
相変わらず、不安そうな目をしている。
「籍を入れない?」
「え?」
「養子縁組という形になるから、私がゆぅちゃんの子供になるの。そうしたら、正式に家族になれるんだよ」
「ちょっと、そんなこと考えていたの?」
「だから、その記念というか、決意表明というか。それでプロポーズしたくて指輪を……」
「ちょっと待って、そんなこと急に言われても。YESなんて答えられないわよ」
「えっ、そう……なの?」
頭が真っ白になった。
「岐城先生としては、即答でYESが欲しかったってことね」
後藤さんは、端的に私の心情を言葉で表した。
「だって、もう一緒に暮らしているんだし、上手くいっているって思ってたから」
考える時間が欲しいなんて言われたことが、なんだか裏切られたように感じる。
「まぁでも、即答でNOって言われたわけじゃないんだからさ」
「当たり前ですよ、そんなこと言われたら私、今ここにいませんよ」
「はいはい、でも、いきなり言われたら誰だって驚くでしょ。もう少し余裕をみせないと、ね?」
「はぁ」
「焦っちゃダメよ、ちゃんとお相手の気持ちに寄り添って……あ、ほら。ご家族への
「え……」
そこで仕事が出てくるあたりは、さすがの後藤さんだなぁ。
「ご家族は急変を予想していないことが多いでしょ、だからパニックになったり不安も多いのよ。その時の対応はどうする?」
「まずは、落ち着くよう声掛けを行います。必要なら時間を置いて、病状を丁寧に説明して、今後どうしたいかを聞き出していく。ご本人とご家族にとって最善の策を……」
私の答えを笑顔で聞きながら、後藤さんはウンウンと頷いている。
正解、なのだろうか?
「若いっていいわねぇ」
え、なにその感想。
「で、結局どうすれば良いんですか?」
「そんなの、自分で考えなさい。はい、雑談終了。そろそろ往診に出かけますよ」
「あ、はい」
後藤さんに話したことで、自分に足りなかったもの、やるべきことがぼんやりとみえた。
思い返せば、いつだってそうだった。
まだ学生で未成年のくせに『一緒に暮らそう』と言ってみたり、母に挨拶に行った時も当然のように祝福されると思っていたり。
そして自分の思い通りにならないと拗ねたり落ち込んだり。
私はいつも自分の欲求ばかりを押し付けてきた気がする。だけど言い訳をさせてもらうなら、ゆぅちゃんも私と同じ気持ちなんだっていう思い込みがあったからで。
そう、思い込み。
私の気持ちを、ゆぅちゃんならきっとわかってくれているはずだって……そう思っていた。
思い上がりだな。
私は圧倒的に言葉が足りないのだと思う。
自分の気持ちを丁寧に伝えて、相手の気持ちにも耳を傾けなきゃいけない。
「後藤さんは大人ですよね」
「え、おばちゃんでしょ?」
「そんな、こんな可愛らしい大人をおばちゃんだなんて、誰が言うんですかぁ」
「あら、嬉しい。口説かれちゃった」
「へ? 口説いてないです、誤解です」
「なーんだ、しょうちゃんに報告しようと思ってたのに」
「や、やめてください。絶対怒られるじゃないですかぁ」
「そうだった、あれで案外嫉妬深いんだったわ」
クスクスと笑っているから、冗談だとは思うけど。
いや、院長の後藤さんへの信頼っぷりはもしかしたら溺愛なのかも、そんな気もする。
「さぁ、訪問するお宅に着いたわ。行きますよ、岐城先生」
「あ、はい」
「ゆぅちゃんおかえり、今日は私の方が早かったね」
「ただいま、夕飯作ってくれたの、ありがとね」
最近はゆぅちゃんの帰りが遅いことが多い。
それというのも、今は三年生の担任をしているからで。
なんでも、本来の担任が産休に入り、その間の代替教員が決まっていたのだけど、1日勤務しただけで飛んだらしい。
「え、そんなことあるの? 無断欠勤で連絡つかず?」
その話を聞いた時には驚いたけど。
「最近ではまぁまあ聞く話よ」
「そうなのかぁ、それでゆぅちゃんが担任に?」
「半年間だけね」
「ねぇ、なんだか嬉しそうなんだけど」
「そりゃぁ、管理職より現場の方が楽しいわよ。子供たち、可愛いし」
そんなこんなで、最近のゆぅちゃんは、忙しそうだけど充実感で満ちているような表情をしている。
「修学旅行って、来週末だったよね?」
「そう、木曜日から二泊三日ね」
「じゃあ、今週末のお休みは必要なものの買い出しにでも行こうか」
「旅行の前日の水曜日に代休もらえるから、そこで揃えようと思ってるの」
「あ、そうなんだ」
二人で出掛ける口実になるな、なんて私の浅はかな目論見は一瞬で外される。
「だからね、週末はデートしない?」
「え、いいの? やったー」
すっかり落ち込んでいたから、ゆぅちゃんからのお誘いに有頂天になる。
どこに行こうか何をしようか、二人でいろいろ意見を出し合って案を練る。
「久美が好きそうなもの、いっぱいあるわね」
「また子供っぽいって思ってるの?」
確かに学生っぽい子もたくさんいる、ここは科学館。
「子供から大人まで楽しめるところよね」
展示だけじゃなく、触ったり体験したり出来る。
「ゆぅちゃんも?」
「もちろん、楽しんでいるわよ。久美と一緒なんだもの」
その笑顔は反則だよ、ゆぅちゃん。
「それじゃ、今日のメインイベントへ行こうか」
「んん?」
「こっちだよ」
私は手を引いてエレベータへ乗る。
「プラネタリウム?」
「うん、これチケットね」
「ありがと、準備万端じゃない」
「人気なんだよ、ここ。ゆぅちゃんと一緒に観たくて予約しちゃった。あ、ここだよ」
指定された席に座る。
「ねぇ久美、ここって――」
会場内なので、ゆぅちゃんは小声で囁く。
「もうすぐ始まるから静かに」
ほどなくして、会場内は暗くなる。
座席はリクライニングされ寝転がる形となる。
ゆぅちゃんの手を取り繋ぐ。
微かにこちらを向いた気配があったが、会場に流れる音楽と上空一面に映し出される星を見つめる。
さっき、ゆぅちゃんが言いかけていたこと。
この席がペアシートだから驚いたのだと思う。
だって、デートなんだもん。
手を繋いで、星空を眺めたかったんだもん。
また、子供っぽいって言われちゃうかなぁ。それとも喜んでくれるかなぁ。
繋がれた手にギュっと力を込めてみる。
「今日は楽しかったね」
一日の終わりに、ゆぅちゃんからその言葉が聞かれたから、私は顔がだらしなくなるのを自覚する。
お風呂あがり、体温が上がっているのもあって心も身体もポカポカだ。
「ゆぅちゃん、少し話してもいい?」
今なら、自分の気持ちを素直に言葉で伝えることが出来そう。
「うん、話そうか」
「あのね、この前言ってた、籍を入れたいっていう話なんだけど……」
「うん」
「どうして私がそう思ったかっていうとね」
ゆぅちゃんは、言い澱む私を優しい目で見つめ、しっかりと聞いてくれる姿勢でいてくれる。
「前から家族になりたいって思っていたの、大好きだからずっと一緒にいたいから」
「そうね」
「今、一緒に暮らしていて、とても幸せで。このままでも良いんじゃないかとも思うんだけど、それでももう一歩踏み込んで籍を入れたい理由があるの」
異性間であったなら、こんなことで悩まない。速攻でプロポーズをして結婚をする。だけど私たちは同性だから、法律的に家族になるにはそれなりの手続きが要る。
「私はこの先ずっと、何があってもゆぅちゃんと一緒にいたいから。万が一意識不明で病院に運ばれた時とか、どこか遠くで倒れた時とか、病院は一番に家族に連絡するの。逆に言えば家族じゃないと連絡がもらえない。たとえば海外で事件や事故に巻き込まれたら、大使館は家族を全力で探し出して連絡をするだろうし、大きな災害で万一の時でも行政が把握する家族への連絡しかしないんだよ。一番近くにいて欲しい時にそばにいたいし、いて欲しいんだよ。それからね――」
私は話しながら泣きそうになる。
「うん、ゆっくりでいいよ。聞かせて、久美の思いを」
ゆぅちゃんは優しい。こんなに優しいゆぅちゃんと、私はこの先、年老いても穏やかに生きていきたいと思っている。
仮定の話だけど、いつ何が起きるかなんて誰にもわからない。
ニュースで見る度、自分の身に置き換えて恐怖を覚える。
実際に事故にあった患者さんや若くして亡くなる人を診てきているから。
「実際に今ね、医師の立場で患者さんのご家族へ対応することが多くてね。やっぱり最後は家族の思い、そして家族への信頼なんだなぁって実感しているところなんだ」
揺るぎない絆が、その人の人生の幸福度を上げるんじゃないかと思っている。
「だから私は、ゆみこさんと正式な家族になりたいんだよ」
「うん、久美の気持ちは良くわかった。概ね、私も同じ思いよ。でも少しだけ気になることがあって……もう少しだけ時間が欲しいの」
「うん、ゆっくり考えて。ゆぅちゃんが100パーセント納得出来たらで構わないから」
私は自分の気持ちを伝えることが出来たから、ゆぅちゃんの答えがどうであっても納得することが出来ると思う。
籍を入れても入れなくても、ゆぅちゃんを信じているし、信頼して欲しいと思う。
あ、これが溺愛ってやつなのかな……
「岐城先生、1か月間お疲れさまでした」
クリニック勤務の最終日、院長がやってきた。
「しょうちゃん先生、貴重な体験ありがとうございました。あ、申し送りですね」
「あぁ、それは食事しながらでどうですか?」
「はい、大丈夫です」
「また、家でいいかな?」
「是非」
お店の中で患者さんの状態をペラペラ喋るわけにはいかないだろう。
「ゆきから、いろいろ聞いたよ」
今回も後藤さんの手料理をいただきながら、1か月間の労いや感想を言い合っていた。
「あっ、あれは誤解ですよ。口説いたりなんて畏れ多くて……」
「はい? 誰が誰を口説くって?」
「え……」
後藤さんを見れば、首を横に振っている。
院長にあの事は言っていないらしい。
しまった、墓穴を掘ってしまったか。
「あぁ、いえ。プロポーズを失敗したっていう話で……」
「まぁ、そうなの」
「あ、でも。後藤さんのアドバイスのおかげで自分の気持ちはしっかり伝えることが出来て、今は返事待ちです」
「その顔は、自信ありって感じかな?」
「ええ、結果がどうであれ彼女と添い遂げる気持ちは変わりませんから」
「ほぉ、それは幸せそうでなにより。よし、乾杯しようか」
「はーい、準備するね」
後藤さんが待ってましたとばかりにキッチンへと飛ぶように消えていった。
今回も居心地の良い雰囲気の中、楽しい時間を過ごしていた。それでも今日は早めに帰らなきゃ。そう、二人に伝える。
「そうね、早く愛しの彼女の元へ帰りたいわよね」
「いえ、今日彼女は修学旅行でいないので、実家の方へ帰ろうと思っていて」
「あら、親孝行ねぇ」
「なら送っていこうか、今日はノンアルだったから運転できる」
院長がそう申し出てくれたけど、やっぱり畏れ多い。
「まだ電車あるので大丈夫です、ありがとうございます」
「そう? なら気をつけて帰るんだよ」
「はい」
親孝行だなんて言われたけど、本当のところは、ゆぅちゃんがいない部屋に一人で帰りたくなかったっていうのもある。
「ただいまぁ、あれ?」
電気は点いていたけど、家の中は静かで誰もいないみたいだ。
テーブルの上にメモがあった。
どうやら母は急に夜勤になったらしい。
「帰りは明日の朝か。まぁ、いいや」
自分の部屋へ入って、寝る準備をする。
久しぶりの帰省だけど、部屋は綺麗だった。
今日帰ることは伝えてあったから、掃除もしてくれたのかもしれない。
「シャワーでいいか」
勝手知ったる実家だから、一人でも寂しくはない。
母が夜勤の夜は、こんな感じだったなぁと懐かしくもあった。
「久美、いつまで寝てるの?」
「んん?」
「ほら、起きなさい。もうお昼よ」
「なーんだ、お母さんかぁ」
「なんだじゃないわよ、誰と間違えてるのよ! っていうか、いつもこんなにだらしないの? これじゃ、いつかゆみこさんに捨てられるわね」
「もう~起きるってば」
ゆぅちゃんの名前を出せば言うこと聞くとか思ってるんでしょ?
母親って、なんでこんなに子供の弱点をわかっているんだろう。
「あれ、お母さん。お昼作ってくれたの? 私がやろうと思ったのに」
「ぐっすり寝てたじゃない」
「ごめん、夜は作るから。少し寝たら? もういい歳なんだから無理はきかないでしょ」
「失礼ね、でもそうね、お昼食べたら少し休むわね」
「うん、私もいただきまーす。あぁ、この塩焼きそば懐かしい味だぁ」
子供の頃から大好きだったっけ。
「そういえば、ゆみこさんと喧嘩でもしたの?」
「えっ、しないよ。ゆぅちゃん、今は修学旅行に行っていて家にいないからさ、たまにはお母さんの顔でも見ようかなって来ただけだよ」
「そういえば修学旅行だって言ってたわね、東京だっけ?」
「えっ、ゆぅちゃんと話したの? いつ?」
「えっと、水曜日だったわね。話があるからって家に来たのよ」
水曜日はお休みだと言っていた。わざわざここに来たって、なんで?
そんな話、私は聞いてないよ。
「……どんな話だったの?」
「それは――」
「今日はお時間を取っていただき、ありがとうございます」
「そんな畏まらないでよ。久しぶりね、元気にしてた?」
「はい、おかげさまで」
その割には浮かない顔だなぁと思った。
「それで、話というのは?」
「先日、久美さんが――」
「また久美が何かやらかしたのね」
どうにも言い出しにくいようだった。
「いえ、実は久美さんから籍を入れたいと言われまして」
「あらそう、ようやくなのね」
なんだ、そういうおめでたい話ね。
「え……」
「ん? ゆみこさんは乗り気じゃないの?」
不安そうな顔をしているのは、久美が頼りないのかしら?
「お義母さんは賛成なのですか? 養子縁組で久美さんが私の子供になるのに?」
「なぁに、私のことを心配してくれたの?」
私が孤独を感じるとか思ったのかしら、なんて子なの。
「ずっと前から久美にちゃんとケジメをつけるように言っていたのは私よ、養子縁組という制度があることも私が教えたの。もちろん、どうするかは二人の考え次第だけどね」
「そう……だったの……」
そんなに驚くもの? 敬語も忘れるくらい?
「親はね、子供が成長して親離れすることが嬉しいものなのよ。それにね、男女の結婚だって籍は抜けるのよ。娘が結婚して自分の籍から抜けたからって親子じゃなくなるわけじゃないでしょう?」
「それはそう……ですね」
「私の友達なんて、ようやく娘が嫁に行ったと思ったのにしょっちゅう帰ってきて今では孫の子守りをさせられてるって嘆いているわよ」
「はぁ」
「私のことは気にしないで、ゆみこさんがしたいようにしていいわよ。私としては、たまに二人で顔を見せに来てくれたら嬉しいわね」
「それは、もちろん……」
「まぁ、こんな感じだったわね」
「ゆぅちゃん……」
気になることって、お母さんのことだったんだ。
「優しい子よね」
「うん」
「しっかりしなさいよ、愛想尽かされないように」
「え、あ、はい」
「ふぁぁ、じゃ少し寝るわ」
「うん、おやすみ」
キッチンへ行くと、野菜がいっぱいあった。
どうやら最近おばあちゃんが来て、置いていったらしい。
「よし、今日は鍋にしよう」
誰にともなく宣言して調理に入る。
鍋を料理と言えるかどうかは一旦置いておいて、野菜もいっぱい摂れるから栄養のバランス的には最強なのだ。
下拵えが終わったタイミングで着信があった。
「あ、ゆぅちゃん」
「今ね、サービスエリアなんだけど。渋滞もなくて予定より早く帰れそうなの」
「そうなの? 今ね私実家にいるんだ、私も早めに帰るね」
「あ、待って。それなら私もそっちに直接行くわ。お義母さんにお土産もあるし。それで、一緒に帰ろうよ」
「いいね、それ。待ってるね。あ、夕飯は鍋だよ」
「うん、楽しみにしてる」
素直に嬉しい。
さっき、母からあんな話を聞いて、今すぐにでも会いたくなっていたんだもん。あぁ、早く会いたいなぁ。
よし、準備は万端だ。あとは、ゆぅちゃんが帰って来たら火をつけるだけだ。
まだかなぁ。
「ちょっと久美、落ち着いたら? 熊みたいにウロウロしないでよ」
「え、だって――あ、」
メッセージの着信だ。
「駅に着いたって!」
「そう、迎えに行ったら?」
「うん、そうする」
だって、落ち着かないんだもん。
「お義母さん、これお土産です」
「まぁ、芋羊羹じゃない。好きなのよ、これ」
「良かったです。久美にはこれね」
「わーい、これ美味しいよね。このキャラも好き」
「うん、知ってる」
夕食の片付けも終えて落ち着いた頃。
「あの――」
珍しくうわずった声のゆぅちゃんを見れば、顔も緊張しているような感じだった。
「旅行中、ずっと考えていました。それで……私も久美さんと同じ気持ちで……籍を入れたいと思います。なのでお義母さん、久美さんを私にください」
ゆぅちゃんが頭を下げている。
え、なに、この展開。
驚き過ぎて真っ白になって、私は動けないでいた。
ゆぅちゃんと目が合った。
「あっ」
私はゆぅちゃんの隣へ移動して、母へ向かって一緒に頭を下げる。
「やばっ」
じわじわと、喜びがこみ上げる。
「ゆみこさん、ふつつかものですが末永くよろしくお願いします」
お母さんの声に思わず顔をあげる。
「ちょっと頼りないところはあるけど、ゆみこさんを思う気持ちは私が保証するわ」
お母さんってば、なんなの、やばい、かっこいい。
「それから、久美!」
「は、はい」
「……おめでとう」
え……あれ、なんだこれ。
「お母さ……」
「ちょっと、抱きつく相手間違ってない?」
「ううん、おかあさん、すき」
「え、やだ。泣いてるの?」
「だって、嬉しっ」
「しょうがないわね、全く。子供なんだから、もう」
言葉とは裏腹に温かい手で撫でられれば、心もジワジワと熱を帯びる。
祝福されることがこんなに嬉しいだなんて、知らなかった。
こんなに愛されていただなんて、知らなかった。
「お母さんの子供で良かった」
「ねぇ、ゆぅちゃん」
「ん、なに?」
「なんだか夢みたい」
母は泊っていってもいいと言ったけど、二人の部屋へ帰って来た。
いまだに体がふわふわしている。
「久美に返事をする前にお母さんに挨拶しちゃってごめん。緊張してパニックになってたわ」
「ううん、嬉しかった。感動しちゃった」
「ねぇ、ゆぅちゃん」
「なに?」
「本当に、ゆぅちゃんのご家族に挨拶しなくていいの?」
「ほとんど縁は切ってるから、しなくていい」
「そう、私もやりたかったな」
「え?」
「娘さんをください! っていうやつ」
「なによ、それ」
「ゆぅちゃんだけ狡い……あ、そうだ」
「え、なに?」
私はゆぅちゃんの前に跪く。
「ゆぅちゃんに言ってもいい?」
「へ?」
「ゆぅちゃん……じゃないや。ゆみこさん、私にゆみこさんのこれからの時間をください。一緒に、幸せになりましょう」
ポケットから、指輪のケースを取り出して捧げる。
「…………久美こそ、こんなの狡いわよ」
ゆぅちゃんは泣きながら笑って、しっかりと受け取ってくれた。
「へへ、決まったね」
いつか、院長と後藤さんに報告しよう。
「ねぇ、ゆうちゃん。この指輪さぁ、家ではめようよ。仕事へ行くときは外して帰って来たらはめる。他の人たちとは逆かもしれないけどさ」
「そうね、私たちらしいかもね」
「じゃあ、はい!」
ゆぅちゃんの細い指へ、銀の指輪がするりと嵌る。
「久美もね」
「うん――うわっ」
「どうしたの?」
「なんだか、重くてびっくりしたの」
「そう?」
「うーん、実際は3グラムくらいだと思うんだけど、もっと重く感じるんだよね」
「それは、私の愛の重さかも?」
「えっ?」
「独占欲とか束縛とか、わりと重いけど大丈夫?」
「そんなの、望むところだよ。私にはゆぅちゃんしか見えてないんだから」
あの日、初めて見たゆぅちゃんの笑顔に恋をして。
あの時からずっと貴女だけ。
「ゆみこさん、愛しています」
――――――了――――――
純愛 hibari19 @hibari19
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