閉店した本屋の最後のお茶会 (いいわけ)
帆尊歩
第1話 閉店本屋の最後のお茶会
全く片片付かない。
僕は手に取った詩集を、本の山の上に置いた。
この山は詩集の塊だ。
もう閉店して一週間もたつのに、全然片付かない。
と言うより、かえって散らかった。
でもこの方が落ち着く、まるで自分の書斎にいるようだ。
実際には書斎はないんだけれど。
大体詩集のラインナップが異常だ。
大きな本屋に敵前視察に行っても、こんなに詩集を置いていない。
まあ、だから閉店に追い込まれたんだが。
思えばここで本屋を初めて三十年。
良いことも、悪いことも、いや良いことはほとんどなかった。
初めのうちこそ、雑誌の定期購読をお願いして、雑誌の配達をしていたので、そこそこの安定収入になったが、それも段々なくなり、本を読む人間も少なくなっていった。
ここ最近は壊滅的だ。
そこにもってきて詩集だ。
短歌、俳句の全集、文学全集だ。
それは売れないよな。
案の定閉店するので返品したが、古くて出来ない本も多数。
新品なのに古本屋でも二束三文。
おかげで今の惨状がある。
でもここにだって、それなりのロマンスはあった。
ここで高校生の男の子と女の子が一つの本、これも詩集だけれど、同時に触れてお互いに
「あっ」と声を出して手を引っ込める。
そんなドラマみたいな事があるのかと驚いたが、結局二人はそれが縁で数年後に結婚した。
後日、それは男の子の方が、それを狙ってやったことだったと知った。まあ世の中そんなドラマのような事はそうそう起こらない。とはいえ、作為的ではあるけれど、詩集が取り持つ縁だ。
裏に病弱な女の子が住んでいた。
彼女は年齢的には中学一年くらいだったが、ほとんど病院と家の行き来ばかりで、学校に行くこともままならなかった。
彼女はリハビリをかねて、うちに詩集を立ち読みしに来ていた。
うちに来る事が彼女にとって、精一杯の外出だった。
そこで彼女は、一人の同年の女の子と出会った。
そこの隅で二人は、詩集を小さな声で読み合っていた。
病弱な女の子にとって、それが外の世界への扉だった。
彼女たちは、
その詩の世界を感じ。
その詩の世界に遊び。
その詩の世界に学び。
その詩の世界を旅した。
病弱で、どこにも行く事が出来なかった女の子にとって、詩の世界は、生きる世界の全てだった。
そしてその生きる全ての世界を、共に旅したのが、いつも一緒にいた女の子だ。
彼女たちはその瞬間、詩の世界に生きていた。
そんな場所を提供出来たことは僕の誇りだ。
ぜんぜん商売にはならなかったけれど。
その時外から話し声が聞こえた。
誰か来たのかと僕は入り口に近づき、閉まっているシャッターを開けた。
「あれ、圭ちゃん。どうしたの?」と僕は言った。
病弱な女の子と、詩の世界を旅していた女の子だ。
今は女子高生になっている。
「女学生の本分は勉学であり・・」圭ちゃんはこんな所にいたことが恥ずかしいのか。
怪しい人と思われるのがイヤだったのか、いいわけを言い始めた。
圭ちゃんが来てくれた事に、僕は嬉しくて、嬉しくてしかたがなかった。
この本屋の最後の時に、もう一度来てくれた。
僕は圭ちゃんのいいわけを遮った。
「いいよ、訳の分からない、いいわけなんかしなくて、どうぞ、お茶でも入れるよ」小躍りしたいくらい嬉しいのを押し殺して、出来るだけ平常心で対応する。
中は全然片付いていない、それは見れば一目瞭然だ。
「おじさん、ぜんぜん片付いていないんだね」と圭ちゃんは言う。
「仕方ないさ、一人なんだから。それに本の中身が文芸物ばかりで」
「なんかおじさんもいいわけしている。なんで二人して言い訳」と圭ちゃんと一緒に来た女の子が楽しそうに言う。
「そちらの子は」
「あっ、親友の砂羽」
「そうか。砂羽ちゃんていうんだ。ここに沙智ちゃんもいたら、楽しいだろうにね」と僕はつい言ってしまう。
「そうだね沙智がいたら。きっと砂羽っていう、もう一人友達が出来て、喜んだだろうな」
「沙智ちゃんて、圭の詩の友達?」
「ヘー砂羽ちゃんは、沙智ちゃんの事知っているんだ」
「ええ、圭からここに来るいいわけを散々聞かされましたから」
「あのときは楽しかった、この本屋をやっていて一番楽しいときだった。
嬉しいな、最後に詩の話を若い人と出来るなんて、本当は、圭ちゃんと沙智ちゃんが詩の話をしていたとき、仲間に入りたかったんがけどね」
「なんで入ってこなかったんですか」と砂羽ちゃんが言う。
「だって、こんなおじさんが入ったら、イヤがって帰っちゃうだろ」と僕は言い訳をした。
「またおじさん、いいわけしている」と圭ちゃんが言う。
その時シャッターの開いた入り口から一人の女性が入ってきた。
「こんにちは」
「あれ由布子ちゃん、どうしたの」
「いえ、たまたま前を通ったら、なんか開いていて。おじさんが倒れていたら大変だ思って」
彼女は、ここの詩集で彼氏と出会った、あの子だ。
あれから十年くらい経っているから二十代後半か。
「この人も、ここに来たいいわけをしている」と圭ちゃんが、由布子ちゃんに言う。
二人は初対面なはずだ。
「圭、初対面の人に失礼よ」と砂羽ちゃんが言う。
「由布子ちゃんも良かったら、お茶入れるところだから」
「いいんですか」
「かまわないよ。全然片付いていないけれどね」
「おじさん、今回はいいわけしないんだ」と圭ちゃんがおもしろそうに言う。
「イヤ、さっき圭ちゃんにいいわけしたから」おかしな物だ。僕はいいわけのいいわけをしている。
「圭ちゃんていうの?」と由布子ちゃんが圭ちゃんに話しかける。
「はい、圭です」
「私は、砂羽です」
「私は、由布子です」と由布子ちゃんは二人のまねをして言う。
圭ちゃんと砂羽ちゃんは笑った。
「この由布子姉さんは、君らくらいの時、旦那さんとここで知りあって結婚したんだ」年がいもなく、僕はこの三人の会話に混じろうとしている。
「そうなんですか」と圭ちゃん。
「という圭ちゃんも、詩を通じて知り合った子と、ここで詩の朗読していたんだよね」
「そうなの?私、旦那と知り合った時、一冊の詩集を取り合ったのよ」
「凄い、どちらも詩でつながったんですね。この本屋さんて詩集に力を入れていたんですか」と言う砂羽ちゃんの言葉に、そのとおりだよと思ったけれど、僕はいいわけをする。
「そういう訳じゃないんだけれどね。そいう本ばかりが残ったの」
「でも私は、おじさんに感謝しているんですよ。だってこの本屋さんに詩集があったから、旦那がいて子供だっているんですから」
「あたしも、この本屋さんに詩集があったから、沙智と友達になれたんだから」
「凄いですね。この本屋さんと詩集のおかげで、二人の人生が変ったなんて」
「いやそれほどでもない」と言う声が、圭ちゃんと由布子ちゃんで合わさった。
それを聞いた砂羽ちゃんが
「二人していいわけしている」と笑った。
その瞬間、この空間が詩でつながった、サークルのようになった。
僕はここが、そんな空間になってとても嬉しかった。
きっとこんな空間を作りたくて、本屋を始めたのかもしれないと思った。
僕は三人にお茶をだすと、なんだか和やかなお茶会へと代わった。
「由布子さん聞いてくださいよ。この砂羽ったら、ストリートミュージシャンに恋しちゃうんですよ」
「そうなの」
「でも、なんとその子が中学生の女の子で、あわてて逃げたんですよ」
「圭だって、焼きそばパンが買えそうでラッキーと思ったら、前に並んでいた人に取られてアンラッキーみたいな」
「その前に並んでいた人は、砂羽でしょ」
「だから半分あげて、アンラッキーじゃなくて、半ラッキー」
「ダジャレかい」
「アンラッキーと言えば、私も産直でオレンジもらってラッキーと思ったら、中に大きな虫がいて、アンラッキー。
でも息子に言わせると、虫さんにとってはラッキーってね」と、三人は笑い合っている。
どうしてこんなに会話が盛り上がるんだろう。
でも三人で話す姿を見ていると、本当に嬉しい。
嬉しくて泣きそうだ。
そしてもし、ここに沙智ちゃんがいたら、沙智ちゃんの世界は、もっと広がった。
沙智ちゃんは圭ちゃんと詩の世界で遊び、生きたけれど。
もしここにいられたら、もっともっと世界が広がって、自分が病弱ということも忘れるくらい、人生を楽しめかもしれない。
それを思うと、僕は涙が止まらなくなった。
「おじさん。なんで泣いているの?」と圭ちゃんが驚いたように言ってくる。
だめだ。
いいわけが、思いつかない。
閉店した本屋の最後のお茶会 (いいわけ) 帆尊歩 @hosonayumu
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