わん
急に、静かになった部屋で。
恭くんは淡々と、戸締りをして、傷の手当てをして、服を着る。
服を着るたび、裾を払う。埃を払うかのように。
……信じられない。
ほんとうに、恭くんは――お兄ちゃんたちを、帰らせることができた。
「……まあ、今夜のところは、ってとこかな。沙綾たちが思った以上に動揺してたから、いけるかもしれない」
それは、独り言なのかもしれないけれど、……独り言だとしても、きっとわたしにも聞かせている。
わたしは――息を殺して、恭くんの一挙一動を見ている。
犬の格好のまま。鎖につながれたまま。
顔の傷以外は元通りになった恭くんは、長袖のTシャツに袖を通し終わるのと同時にわたしを見下ろした。
「……咲花さん」
「……は、はい」
「鍵を開けないで、って言ったよね」
「……あ、その、でも……」
「それと。やっぱり、咲花さんは黙ってたね。俺が殴られるとき。なにか言いたそうな顔して。でも、ちょっとほっとして。……黙ってたね」
「……え、えっと」
やっぱり。
見透かされてる――。
「だって……しょうがなかったから……怖くて、ああするしか、なかったから……」
「わかってるよ。……咲花さんは昔からそういうひとでしょ」
恭くんの目は、ぬいぐるみを映している。
「……いまはもう、いいよ。人間だと思うから、腹が立ってた。いまは、犬らしくて、可愛いと思えるから」
……それは、つまり。
わたしの心のありようは、やっぱり人間には相応しくないと――言われているかのようで。
恭くんはしゃがみ込んで、わたしに視線を合わせる。
「でも、命令を守らないのは、だめ」
「……ごめんなさい」
「時雨たちから連絡が来ても、無視してね。わかった?」
「……はい」
「いいこだね」
恭くんは、わたしの首輪から鎖を外してくれた。
「えみ。おすわり。おて。……よくできたね。いいこ」
「……わん、わん」
人間の言葉を使うタイミングも、人間の言葉を使わないタイミングも。
恭くんの、さじ加減ひとつで。……そしてそれが良いことなのか悪いことなのかわからないけれど、わたしは、恭くんのそのさじ加減を受け取って理解するのが、……うまくなってきたように、思う。
「えみは、ずるいね。自分のことだけ守ろうとして」
「……くぅーん」
「でも、それでいいんだよ。えみは、人間じゃなくてペットの犬なんだから。怖いときには、自分を守ろうとしていればいいよ」
「……きゅん」
「よし、よし。可愛いね」
恭くんは、わたしを抱え込むように撫でる。
頭を、背中を、お尻を。身体の至るところを、素肌のまま撫でられて。……情けなさと嬉しさで、全身が粟立つ。
「何があっても、俺がえみを守るから。だから、えみは、いいこでいてね」
わん、とわたしは、……鳴いた。
これまで、……これを「鳴く」とは認めたくなかった。
まるで。ほんとうに。犬になってしまったかのようで。
「……よし、よし。いいこだね」
でも、しょうがないよね。
わたしは、……わん、わん、と、鳴く。
きっとわたしは、このひとには絶対にかなわない。
わたしの罪も、愚かさも、弱さも、ずるさも。
恭くんは、わかっていて。それで、責めるわけでもなく、怒るわけでもなく。
ずるいね、って言いながら。
よし、よしって。
まるごと、撫でてくるんだから。
思い知らされる。じんわりと、広がるかもように。……心の底から、理解してくる。
わたしは、恭くんを上から見下ろすどころか。
ほんとうは恭くんの隣を立って歩くのにも、相応しい生きものじゃないんだ、って。
「えみ。いいこだね」
わん、と鳴いて、上目遣いで恭くんを見つめる――わたしは、恭くんの犬なんだ。
わたしは、犬なんだ。 ~加害者少女は犬になる~ 柳なつき @natsuki0710
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