編集済
お久しぶりです、朝吹さん。
戦争の重苦しくやるせない空気に圧倒されました。
見てきたように書かれているので
痛み、苦しみ、理不尽への諦め…
リアルに伝わってきました。
ウクライナで今起こっていることの方が
バーチャルに感じるくらいに。
戦争って、こんなにも悲惨なんですね…
私には想像しかできないけど、
ミサイルが落ちてくるかもしれない、
政治家が公衆の前で襲われる時代。
何があってもおかしくはない。
でも、若い人や学生が自殺したり、
自暴自棄になっているように感じる今、
この時代の生きることへの思いや命の価値が
眩しいような気もします。
どっちが…うーん…私にはわかりません。苦笑
とりあえず、今を大事に生きようと思いました。
今とは違う時代。垣間見れて良かったです。
朝吹さんの作品はとても心に…刺さる。
良いものを読ませていただきました。
作者からの返信
三寿木さん、こんにちは。
年度はじめのお忙しい時にありがとうございます~。
そうですねえ……見たかのように書く、体験したかのように書くのが、書き手の手腕ではありますが、こういう題材を書いている間の精神状態は確かに明るくはないです。
じりじりと一行一行刻んでいくのには変わらないのですが、「ああひどいなぁ嫌なことだなぁ」って書いていても心底、嫌になりますね。
看護婦の少女たちも軍隊の一員だったせいで兵隊さんと一緒にシベリアに送られちゃって、農作業とか丸太運びとかの労働をさせられていたのですが、彼女たちは二年以内に帰国しています。
本作では比較的あつかいが緩かった収容所をモデルにしました。
バタバタみんなが死んでいく中で「助かりました」ってそんな大声で云えるようなことではないので、帰国した後もたいていの人はシベリアのことはずっと黙っているんです。だからあまり知られてない。
ソ連軍じゃなくて中国軍に捕まった人たちはその頃の中国には衛生の概念や近代医療がまったくないものだから、毛沢東の八路軍の看護婦にさせられてあちこち連れて行かれて帰国が遅くなった人なんかもいます。
敗戦のどさくさで大陸にいた日本人の女性が数千人くらい行方不明になっていて、どうなったか今も全然分からないんです。
何処かの村に引き取られたのか、野垂れ死んだのか集団自決したのか、不明なんです。
長いあいだ国交も閉ざされていたので、本当に分からないままなんです。
たまたま良い中国人男性のお嫁さんになって、そこそこ幸せに暮らすことが出来ている女性もいましたが、表に出てくるのはそういう極まれな一部の幸運な人だけなんです。
男性が書くともっと具体的な作戦名や武器弾薬が出てきて戦史に近くなるのですが、こちらは女性の視点ならではの『物語』になったんじゃないかなぁと。
暗い話ですが読んで下さってありがとうございました。
おまけ)
三寿木さん、こちらの方の作品お好みかも知れません♡
https://kakuyomu.jp/works/16817330655689806881
読み応えありました
力作ですね
背中の恋みたいなのからの振り幅がすごくて。
過酷な抑留生活を思えば無事助かっとはいえ感動したなどと一言では言えないです
芙美ちゃんを守るためにたくさんの偶然と必然があったのだろうなと思います
作者からの返信
こんにちは。
一つ前の「あかい十字」のために調べものをしているうちに戦中の軍属看護婦についてもう少し書きたくなったので書いちゃいました。ほぼ自己満足です。
そうなんです、無事に帰国できて良かったな~とは誰も想ってないんです。生き残った人たちもほとんど何も語らない。急いで忘れようとしながら戦後を生きていたようです。気安く語れるようなことではなかったのだと想います。
それは新撰組でも同じで、生き残りがその頃のことについて語るのはけっこう後から後からなところがありますよね。ご遺族の感情もありますから、回想録を発表するまでは時間が必要なのでしょうね。
晩年になってからようやく、「あの頃の俺たちは若かった」と、部活みたいに想い出せるのかも知れません。
シベリア抑留で亡くなった五万の命のうちのたった一つの物語。
人間はあまりに多くの生きるべき命を奪っている。
そのすべての不条理さ、過ちを、限られた人生の中で知る事は不可能かも知れない。
それでも、全てに共通する当たり前の権利や、幸福を求める心に光を当てるだけで、私たちが物語を描く、物語を読む価値があると思う。それがたった一つの命を描いただけだとしても。
作者からの返信
今確認すると、ご企画の趣旨は「面白い」って書いてますね。
面白い。
あれ……。
広義の意味でのおもしろさでご勘弁・お許し下さい。
満州でのソ連兵があまりにも酷いので、この作品ではあえて良い人を出してます。シベリア抑留だけでなく、民間人もたくさん殺されてるのに敗戦国ゆえに何も云えないという……。
わたしが書くのは一個人の物語で、戦争小説ともいえないものですが、まったくウケないのは分かっていても書きたかったことを書きました。
小説を書きたいという気持ちには、自分の書いたものを人に伝えたい気持ちの他にも、書かずにはおられないという内的な衝動もあり、こういう作品についてはとりわけ後者だったかもしれません。とても疲れるんですが。
いつもはもうちょい気楽でユルイものを書いているのです。
読んで下ってありがとうございました。
少女の目を通した戦争がすごく丁寧に書き綴られていて、すっかり惹きこまれました。
前作「あかい十字」でメインだった日赤看護婦の怖いほどの気高さも健在で、フミたちを守ろうと必死な姿に感じ入りました。
比較的緩やかで恵まれた環境にいるように見えるフミたちだけれど、戦争に負けて強制収容所におり、故郷は大破しているという残酷な事実がそこには厳然と横たわっていて。
容赦なく撃ち殺された少年たちの遺体を、フミは気狂いの理由として説明していましたが、あながち後付けの理由でもないように思います。
残酷で理不尽な事実をしっかり書き込んでおられるのに、整然とした筆致のお陰で浮かぶ映像はどこか映画的で鮮やかで、少女の目に鮮烈に焼き付いた日々を、彼女の感性に沿って覗かせていただいている気分になりました。
また一つ、読むべき大切な物語を読ませていただいたなあと思います。
ありがとうございました。
作者からの返信
おそらく夜に読んで下さっていたのでは。メンタルが沈みませんでしたか? 大丈夫でしょうか。
暗い話をすみません。
ある時からふと、本当にあんな惨たらしいことがまだ百年も経っていない昔に遭ったんだなぁ……と愕然としまして、わりと題材に取り上げることが多いです。
当事者とその真下くらいの世代は生々しすぎることでしょうが、ここまで時代が下がって来ると、かなり距離をおいて文献を見ることが出来る為、書くことにそこまで抵抗もないです。
「あかい十字」を書くにあたって資料をあたるうちに副産物に出来たお話しです。かなり扱いがマシだった収容所をモデルにしましたが、酷いところだ男性と変わらずに女の子たちも極寒の中で屋外労働をさせられたりしていたようです。もっとゆるゆるなところだと、「映画行く?」ってロシア兵に誘われて、連れて行ってもらったりしてる(笑)
戦前の日赤看護婦のプライドの高さは、中卒ではたらくのが当たり前だった時代に女だてらに東大に行ったくらいの勢いだったみたいで、態度はよろしくなかったみたいですね(笑)
ツンケンしてる。
物資不足の時でも、「わたしたちは特別」とばかりに、舶来品のコスメでお化粧とかしてたみたいです。
大和撫子の代表だとして、余裕のあった時代には授業の中でお茶とか習ってたんですよ。
戦争は厭ですが、当時の満州には行ってみたかったですね~。または上海か。
歴史の負の面を度外視するなら、満州で子どもの頃を過ごした人たちは、羽振りが良かったこともあって、みんないい時代だったと懐かしみます。
今なんかどこに行っても高層ビルだらけで変わらない感じですが、当時日本が建てた、欧米を模した建築物なんかも素敵なものが多いですよね。
強烈な異国情緒があって、素晴らしかったのではないでしょうか。
読んで下さってありがとうございました。