お前の趣味に巻き込むな!

那由羅

今日も妹は俺達を振り回す

「キス、させてほしいんだ」

「何言ってんの?」


 友人である佐藤昴さとうすばるは、俺、遠坂拓海とおさかたくみの家に図々しく上がり込み、開口一番馬鹿な事をのたまった。


 季節は春。桜の開花宣言が昨日出たばかりの、ほんのり暖かい季節だ。こういう時には、変質者の逮捕という悲しいニュースがちらほら見られる事がある。

 花粉症に苦しんでいれば、薬の副作用で眠くなる。そうでなくても、うつらうつらとしてしまい勉学に身が入らない。

 頭が緩むには丁度良い季節───と考えれば、昴の大馬鹿発言も季節の所為と言えなくもないが。


「この間さ、は、初めて美沙みさとキスしたんだけどさ」

「お、おお」


 美沙、というのは、俺の双子の妹。俺が言うのも何だが、美人で明るくて成績も良いと、ちょっと趣味に難がある以外は非の打ち所がない自慢の妹だ。

 去年、俺が昴に紹介をして、そこからとんとん拍子で付き合う流れになったとか。


 生まれる前からいつも肩を並べていた妹が友人とキスをした、という話は、正直言ってちょっとだけ衝撃を受けた。受けたが、まあ恋人同士だしそういう事もあるか、と受け入れるしかない。


「…美沙がさ、『拓ちゃんとの方がドキドキした』って言ってて…」

「何言ってんの???」


 二度目の疑問は、目の前で深刻な顔をしている昴に向けたものではない。今はいない美沙に向けたものだ。


「お、お前らがそんなふしだらな関係だったなんて、ちょっとショックだったけどさ。それよりもお前の方がキスが上手かったってのがすげーショックで」

「ちょっとどころじゃねーだろ! 涙拭けよ!」


 俺はテーブルに置いていたティッシュ箱を、さめざめと泣いている昴へ投げつけた。

 しおらしくティッシュで鼻をかんでいる昴に呆れながら、俺はもごもごと弁解しておく。


「あのなぁ………キスったって、あれはガキの頃の話だぞ?

 お袋がさせたがるから不可抗力っていうか………んな、上手いとか下手とかそういうんじゃなくてさ………あああ、もう。

 とにかく、そんなの幼稚園入る頃にはやめたに決まってんだろ?」

「嘘だ!! 小学校低学年まではしてたって言ってたぞ?!」

「知るかよ! っていうか小学生に嫉妬してんなよ!」


 思わず反論したが、昴がそれで引き下がるはずもなかった。

 ソファから立ち上がり、昴は俺に詰め寄ってきたのだ。


「頼む! 一回でいい! お前のキスのテクニックをオレに伝授してくれ!」

「ふざけんな! 何が悲しくてお前なんかとキスしなきゃならねーんだ!」

「お前昨日寧々ねねとデートしてたじゃんか! どーせあの後ホテルに行って、しっぽりしたんだろ?!」

「してねーよ! アプフェルシュトュルーデルとか言う、やったら長ったらしい名前の菓子食いに付き合わされただけだって!」


 にじり寄る昴の顎を押し返し、俺は必至の抵抗を試みる。伸びてきた手を払いのけ、懐に入らせまいと腕力に物を言わせて押しとどめる。


 しかし、諦める様子がない昴を説得させる材料なんてものはない。それだけ美沙を大切に想っているって事くらいは、友人として一応理解はしている。巻き込まないで欲しいけど。


「ぐっ…!」


 さすがにいつまでも押し留めるのも限界がある。背は低いが腕力だけはある昴の勢いに圧され、俺は思わず顔をしかめた───その時。


 ───ごとんっ


 俺と昴以外はいないはずの家の中から、唐突に何かが動いた音が響き渡った。


 俺と昴ははっと顔を見合わせ、音の先───玄関に繋がる廊下を見やる。

 そして色々察し、慌ててリビングの出口に近づいて扉を勢いよく開けた。


 ───がちゃんっ


「美沙…?」


 廊下にお姉さん座りをしていたのは、ストレートの茶髪を肩まで伸ばした一見清純派にも見えなくもない妹、美沙だった。

 美沙の側にはスマホが転がっていた。ディスプレイは暗くなってはいるがアプリは起動しているようで、どうやら動画撮影アプリらしい。


 美沙の口の端は、ひくひくと引きつっていた。俺が察した事に気付いたようだ。


「…美沙。俺達のやりとり、録画しようとしてただろ…?」

「は? え?」


 昴が目を丸くして俺と美沙を交互に見ている。こっちはまだ状況を理解していないらしい。


 美沙はへたり込んだまま慌ててスマホをバッグに詰め込んで、あわあわと言い訳をし始めた。


「や、やだなぁ拓ちゃん。あ、あたしはただ、昴ちゃんの二股現場の証拠確保をしたかっただけで…」

「え? は? 二股? そ、そんなつもりじゃ…!」


 あらぬ疑念に戸惑った昴が慌てて美沙に近づこうとしたのを、俺はすかさず手で遮った。

 さすがに生まれる前からの付き合いだ。美沙がやりそうな事は大体分かっていた。


「…昴を言い訳にするなよ、見苦しいな。大方、付き合いだしたのもそれが理由なんだろ? ───ああ、やっぱお前に紹介なんかするんじゃなかったなぁ…」


 ち、と舌打ちを一つして、俺は苦々しく美沙がしようとしていた事を突き付けた。


───だな?」

「………新…作………?」


 いまいちピンときていない昴とは対照的に、美沙がひっ、と短く悲鳴を上げている。この様子だと、昴には話していなかったらしい。


「そ。美沙さ、オタク趣味があるんだよ。

 昔っから漫画描くの好きでさ。絵もそれなりに上手いっちゃ上手いんだが………その、BLとか、そっち系ばっかり描いててな………これがまた際どいのなんのって」

「わーっ! わーーーっ?!」


 顔を真っ赤にした美沙は、慌てて俺の口を塞ごうと飛びかかってきたが、小柄な妹を押さえるなんてどうって事はない。ぎゃあぎゃあうるさいが、頭を鷲掴みして遮っておく。


「お、オレ、もしかして………遊ばれてた…?」

「悪い…そういう事になる…」


 状況を理解した昴は今にも倒れそうな形相をしていたが、ここははっきりしておいた方が昴の為になるだろう。


 しかし、美沙は俺の手の中で暴れながら必死に弁解した。


「ち、違うもん! 昴ちゃんは昴ちゃんで大好きなんだから!

 で、でも───ってどう描いたらいいか分かんないから、こうするしかなくって!」

「今度はそっちかよ?!」


 ───そう。

 今この場に男は一人もいない。

 美沙は言うまでもなく、俺も昴も性別は女なのだ。


 別に好き好んで俺様キャラを気取っている訳じゃない、と思いたい。

 でも、美沙が百六十センチそこそこで身長が止まったのに対して、俺は今や百七十センチをゆうに超えている。加えて胸に肉がつく事無く、女性らしさなど皆無だ。

 こうなると、女性向きなフェミニンな格好など似合うはずもなく、スラックスにTシャツなんかのゆるーい感じの方がしっくりくるようになってしまった。


 あと、俺は結構な頻度で女の子に告白されるが、別に女の子が好き、という訳じゃない。男からの告白は───推して知るべしだ。


 ちなみに、昴は昔はそっちのはなかったらしいが、美沙に言い寄られてあっという間に陥落してしまったとか。まさに魔性の妹だ。


「BLのあとはGLとか! さすがに節操なさすぎだろ?!」

「そんな事ないもん! 萌えたキャラに男も女もないんだから!

 この間の月刊みゃうみゃうの新連載の百合漫画なんてすっごくよくて、あんなの描いてみたいって」

「だからって、俺達を題材にする事ないだろ?!」

「で、でもっ、さっきの拓ちゃんのしんどそうな顔、すっごい絵になってたよ! 女の子に迫られてタジタジな女の子って最高だよね?」

「やかましいわっ!」


 ───呆然としている友人昴をそっちのけに、新しい性的嗜好を開拓してしまった妹と俺の無益な喧嘩は続くのだった。


 …ほんともう、自分の趣味で俺を巻き込むの、勘弁してほしい。



 おしまい

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