第5話 魔術師

「エイクリーとはジェラルドの紹介で知り合ったんです」


 乗合馬車のがたがた揺れる幌の中、私はチェルネにこれから会う女のことを話させていた。テレサ・エイクリーは、北部の出身で、故郷の貴族に騎士として仕えていたが、先の戦争で主家が王の側についたため、戦後処理の折に使えるべき家を失ったという。


「私の家に来るか、新しくできる王都に上るよう言いましたが、結局主の仇を探すと言ってキグナスに。シアーデンの元侯爵家は比較的穏便に新都で過ごすことを許されているのですが、彼女は皆が刑に処されたと信じ切っているようで……近くに寄るならと、イノック公から書状を預かって来たんです。公の側近だった彼女にしかわからない暗号を使って、実体のない復讐を止めるよう託けてもらいました」


 彼は外套の袂から一通の書簡を取り出して見せた。


「エストラベン家とは付き合いがお有りですか?」


 封蝋の印璽は、月桂に双頭の犬―――確かにシアーデン侯エストラベン家のものだった。


「戦前はよく避暑地で遇ったよ。母親の義理の伯母がエストラベンだった。古くからの貴族は大体そんな風に縁戚が繋がってるのさ」


 私は、鷹揚で誰にでも分け隔てなく接する代わりに、自分の意思ではっきりと物ごとを決断する力のない、イノック・エストラベンの脂ぎった肥満体を思い浮かべた。彼は私や私の叔母を下卑た目で物欲しそうに見るきらいがあったが、親切や施しを欲望のために利用しない、生来優しい性格の持ち主で、戦争屋の貴族や騎士などよりはよほど信頼のおける人だった。


「殿下はイノックのおじさんに、僕に会うことを伝えてくれたかな」


 私はチェルネにそう聞いたが、自分の耳にはあまりに白々しく響き、内心で苦笑した。


「いえ、私が自分で頼んだものですから―――ああ、彼の邸宅は新都の外れにあるもので、宮廷の魔術師に仲介してもらいましたが」


「そうか、なら後で僕から便りを出すから、取り次いでくれないか?お礼と言っては何だけど、エイクリーに【風文】を出そう」


 私は、青年が政治家のやりかたに慣れていないことを見て取った。猜疑心の薄い性格は、ボディガードにするには最適なのかもしれないが、おそらく私から好んで彼を側仕えさせることはなかっただろう。


 私は縫い針を取り出して人差し指の腹を突き、ぷっくりと滲み出た血の玉を吹いて飛ばした。赤い滴はそのまま地に落ちることも飛沫に散ることもなく、目の前の虚空にふわふわと揺蕩った。


「彼女の正確な住所か、彼女の持ち物はある?なければ、きみの“血の記憶”を使わなきゃいけない」


 チェルネはチュニックの首元にごそごそと手を入れ、銀のチェーンに繋がれた小さなリングを摘まみだした。


「指輪があります」


 私はそれを受け取り、指輪の裏側を縫い針で擦って彼女の痕跡と思われるもの―――古い皮脂や、汗などの分泌物の名残―――を採取し、血の滴の中にふるい落とした。次いで、滴の周辺の空気を指先でぐるぐるとかき回すと、魔力のこもった風は目に見える渦を描いて球体に纏まった。


「これにきみの声を吹き込んで」


 チェルネは、私の魔術の古いやり方に面食らいながら、「テレサ、ズィスワースだ―――久しぶり。近くに用があって来たから、君のところにも寄る。あー、イノック公から手紙を預かった。彼はもう騎士を持てる立場にないが、俺の新しい主に君も仕えられるように、紹介状をつけてもらった。バラッドのパブで待っていてくれ―――」これでよいかと目で確認をとる彼に頷き、私は空気の渦の中心で涼やかに揺れている滴に針先を突き刺した。


 瞬間、血の滴はぱしゃりと弾け、乱気流の中に赤い飛沫を迸らせた。仄かな赤みに色づいた球体は、猟犬が獲物を探してそうするように、暫時うろうろと彷徨った後、追うべき“匂い”を見つけると、幌の隙間をくぐりぬけ、電撃のような速さで飛び出していった。


 富貴な家にお抱えの老魔術師や宮廷の魔術師が、杖を振るってごにょごにょ呪文を囁くだけでできる簡単な魔術も、私が師から教わった流派ではこんな風にいくつかの手順を踏まなければならず、よって普段は自分で魔術を使うことは殆どなかった。特に私はこの【風文】のがさがさした耳障りな声が嫌いで、今までにも数えるほどしか使ってこなかったのだ。


「無事に届くといいな」


 私はつい本音を溢しながら隣に座るチェルネの顔を見たが、彼は未だに私の頭の向こう、空気の塊がすり抜けていった幌の入口のほうをじっと見つめていて、視線が噛み合わなかった。


「私の知っている魔術とはかなり趣が違いました」


「とても古いものだからね。手間ばかりかかって実用的じゃない」


 私は自嘲したが、彼は妙に躍起になって否定した。


「いえ、そんなことは―――いや、他の魔術をろくに知らないので、そんな口は聞けようもないのですが―――つまり―――」


 青年は少し上気した様子だった。何か気持ちを表すのに相応しい言葉を探しているようだったが、両手をうろうろさせて意図の掴めないジェスチャーをいくつかしても結局見つからず、諦めたように熱っぽい溜息を吐いた。


「その、なんというか―――よかったです、とても」


 まるで子供のような気の入れこみ方に、私のほうが圧されるようだった。


 私はそこで話題の矛先を彼の身の上や、テレサ・エイクリーのことに逸らしたが、それでもその日は日がな一日、彼の妙にきらきらした眼差しにさらされることになったのだった。

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