第36回 笹舟

【 セツナ 】


 野営場所を決め、その準備を始めようと鞄から必要な物をだしていく。いつもなら、僕が何かを始めるとアルトはすぐ手伝いにきてくれていた。なのに、今日はそばにくる気配がない。

 体調を悪くしたのかと心配になり、アルトがいる方へと顔を向けると、アルトはサラサラと流れる小川の前に座りしょんぼりと耳を寝かせていた。

 手を止め、早足でアルトの元へと向かう。


「アルト? どうしたの?」


 アルトの表情を見るために、顔を覗き込みながら尋ねると、アルトは耳を寝かせたまま僕を見た。


「ししょう、さかな、いない」

「……」


 旅の途中で一緒に魚釣りをしたときから、アルトは魚釣りに夢中になっていた。魚がいそうな川が目に入ると、「さかな、つる?」と聞いてくる。

 僕としては、できるだけアルトの願いを叶えてあげたいとは思っている。思っているけれど、その度に立ち止まっていては、先に進むことができなくなるので、心を鬼にして野営場所に川があれば魚を釣ってもいいよと伝えていた。

 そして、この場所には小川があった。しかし、魚釣りができるほどの深さはなく、よく見ると、元の世界のメダカのような小さな魚が泳いでいるぐらいだった。


「残念だけど、この小川では魚は釣れないかな」

「つりばり、じめんに、ついちゃう、もんね」


 返事をしつつも、諦めきれないのかアルトは悲しそうに小川をじっと見つめていた。その姿に僕はそっとため息をつく。アルトが落胆する気持ちは理解できる。

 僕はカイルに助けられるまで、アルトは僕が助けるまで自由がなく、そういった娯楽に縁がなかった。僕達はやっと、この世界で楽しいと思えることを体験できた。

 だから、まだ、子どものアルトが夢中になるのは当然だ。


(なんとかしてあげたいけれど)


 魚がいないことには釣ることができない。魚がいる場所に移動するにも、歩いている間に日が暮れるため、それもできない。


(なにか、気が紛れることはないかな……)


 僕は周りを見渡し、笹に似た植物の葉を見つける。その瞬間、『おにいちゃん』と僕を呼ぶ声が聞こえた気がした。そこから小さな記憶が蘇る。


『おじいちゃんから、おふねのつくりかたをおしえてもらったんだよ』


 そういって、妹の鏡花は洗面器の中に小さな笹舟を浮かべて僕に見せてくれる。病で動けない僕のために、鏡花はいつも自分が覚えたことを教えてくれていた。

 笹に似た葉を1枚採り、記憶の中にある作り方で舟を作る。アルトは僕の手元をじっと見つめているけれど、それが何かはわからないようだ。


「ししょう、それは、なんですか?」

「葉の舟だよ」

「ふね?」


 簡単に舟の説明をする。「うんうん」と頷いているが、理解しているようには見えなかった。まぁ、実物を見る機会ができたときに、また説明しようと思う。


「この葉の舟には何も乗せることができないけれど、小川に浮かべると水の流れに乗って移動するはずだよ」


 僕も洗面器に浮く笹舟しか見たことがないので、はっきりと断言はできなかった。

 アルトが見守る中、作った葉の舟を小川に浮かべる。葉の舟は沈むことなく、水の流れに乗り進んでいった。


「ししょう! ふね、すすんだ!」

「進んだね」

「おれにも、つくれる?」

「作れるよ。一緒に作ってみる?」


 楽しそうに尻尾を振って頷くアルトと一緒に草の舟を作り、同時に小川の上に浮かべた。二艘の舟がゆっくりと競争しながら水の流れに乗っていく。アルトのはしゃぐ声を聞きながら、僕は鏡花との会話を思い出していた。


『おにいちゃん。ささふねってね、しずみそうで、しずまないんだよ』


(そうだね鏡花……。笹ではないけれど、あの舟はどこまでも進んでいきそうな気がするよ)

 僕は、心の中でそっと、あのときの返事を鏡花に返したのだった……。



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『刹那の風景(書籍関連の短編等)』 緑青・薄浅黄 @rokusyou-usuasagi

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