誰が為の約束〜中央島の女神〜

青樹春夜(あおきはるや:旧halhal-

いいわけ


「また、本を読んでおるのか?」


 頭上から凛々しい声がして、ユーリは顔を上げた。


 少年には声の主はわかっている。


 普段から樹の上に登っているカガリしかいない。ユーリは読んでいた本をパタンと閉じて、立ち上がる。


「今日はここにいたんですか?」


 ユーリが問い返すと、大樹からふわりとカガリが降りてきた。神話に出て来る古代の少年の様な衣服——さらりと流れる布を膝上までの丈で着こなして、革紐を編んだ長靴ブーツをつけている。


 少年の様だがその長い豊かな緩い巻き毛と、大きな瞳がそれを否定していた。


 ——髪も瞳もまるで燃えるほのおの様な。


 そう、その異彩を放つ姿こそが、彼女が人ならざるものだと教えている。そして樹の上からゆっくりと舞い降りて来たのも、彼女の御業みわざであるのだ。


 ——火の神・アギレラの眷族にして好奇心と羅針盤の神・カガリ。


 そう呼べば、彼女は笑って否定する。もはや時代遅れの消えた神々だと言うのだ。一千年も経た銀の時代に突然現れた彼女は、自分の知人が全て消え去り、形骸化した祭祀にその名残を見つけて懐かしむ。


 そして自らは同居人達と同じように過ごしたいと言ってここに居る。


 丘の上の家に住む同居人は大陸から来たユーリ、この家の持ち主シキ、世界を渡る者カミタカ、そして元女神のカガリの四人だ。


 カガリはユーリのそばに降り立つと、いつものように顎を上げた。上に立つ者の仕草しぐさだが、彼女にはよく似合う。神話の中の彼女はとびきり美しく輝いていたから、彼女に惹きつけられる男神も多かっただろう。


「シキは今日もカミタカの帰りをあそこで待っているな」


 カガリの視線の先には丘を降り切った所にある境界線の柵に寄りかかるシキの姿があった。


「さっきまでは丘の階段の所にいたんですけどね」


 カガリと一緒に遠くからシキの様子を見てユーリも言う。カミタカが仕事の日は帰宅時間合わせて外で待っていることが多いのだ。


「良いのか?」


「何がです?」


「お前が良いなら、我は何も言わぬが」


 カガリの言葉に、ユーリはちょっとみじろぎしたが落ち着いた声で返した。


「僕は良いですよ」


 カガリはユーリの動揺に気付いたのか気付かぬのか。


 シキがカミタカを見つめるように、ユーリもまたシキをそんな目で見つめていただろうか。焦がれるような、微熱を帯びた瞳を自分も持っているとはとても思えなかったが、ユーリはこれまで以上に気をつけなくては、と自分を戒めた。


「友達ですから。二人とも」


「そうか」


 少しわざとらしかっただろうか。それでもその言葉に嘘はない。ユーリは二人の幸せを願っている。


 しかし豊かな巻き毛を指先に巻き付けながらカガリは言う。


「友情を言い訳にして、自分の心を偽るなよ」


「……してません」


「なら良い」


 カガリはどことなく憂いた声を出した。それは一千年ほど昔に置き去りにした自分の心への後悔だった。


 だからもし、目の前の友人ユーリが自分の心に蓋をしているなら——。




 ユーリは読みかけの本を小脇に抱えると、カガリを促した。丘の下ではちょうどカミタカが帰って来た所だ。白いワンピース姿の少女は、うきうきと背の低い門扉を開けている。


「さあ、お茶にしましょう。良い茶葉を手に入れたんですよ」


「ほう。豪勢だな」


 ちょっと臨時収入がありまして、とユーリは笑った。




 誰が為の約束〜中央島の女神〜完

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