第39話  蛇の神様

 僕は井戸の中に落ちたはずだった。

 底まで一メートルちょっとという深さで、土と枯葉で埋もれていたので例え頭から落ちたとしても死ぬことはないだろう。


「お兄さん、お兄さん」

「はい?」

「お兄さん!」

「はい、はい、なんですか?」


 気がつけば、真っ白な空間に僕はいて、小学一年生くらいの男の子が僕の服の裾を掴んでいる。


「悪いんだけどさ、僕を抱っこ出来る?」


 男の子は僕を見上げながら言い出した。抱っこ?この程度の大きさの子供も抱っこ出来ないほどの非力な男だと思われたのだろうか?


 僕は子供の両脇に手を通すと、自分の胸まで持ち上げて抱っこした。すると、男の子は僕の腰に自分の足を回して、僕の首にがっしりとしがみついてきた。


「うん、大丈夫そうだね」

 この程度の子供も抱っこ出来ないほどの非力な男だと思われていたのだろうか?

「うん、大丈夫でしょう」

「はい?」


 聞いたこともない男性の声がした為、後を振り返ると、軽く身長二メートルは越えていそうな大男が、僕の方を覗き込んでいた。純白の生地に、白の紋様が入っている特級の斎服を男は着ており、人面を隠して神仏を宿すと言われる面布をつけている。


 神は人の前に姿を現さないが、例え姿を現したとしても、人はその御姿を(面、つまり顔)を見てはならないと言われている。もしも、見てしまえば、神はその人の前から姿を消すか、その人を黄泉の国へと連れ去ってしまうとも言われているのだ。


 古来から続く神事では、神を表す際に面布を用いるようなことをするんだけど、今、目の前に居る2メートル級は、神様か、それに連なる人であることは間違いない。


「この子は災いから逃げてここまで来たのだが、郁美がそろそろ返したいと言っていた。お前が連れて行けるのならば、連れて行って欲しいと思うのだがね」


 えっと〜。


「今ですね、上は大変なことになっていまして、この子も僕も、何の対策もせずに戻ったら、あえなく取り憑かれて殺されることになると思うんですけども・・」


「それについては十分に分かっておる。であるからして、お前には武器を授けよう」


 神様が懐から出したのは、黒々と錆びまくった刀だった。長さ的には小太刀程度なんだけど、無茶苦茶古そう。恐らく、奈良より昔に大陸から渡ってきた特級呪物じゃないかなぁ。


「これはな、昔むかしに、あまりに危険な呪物であるとして八幡宮に納められていたものなのだが、惟栄が特別な力を欲して持ち出し、結果、奴自身が呪われて、最終的には碌な死に方をしなかった」


 惟栄ってあれだよね、豊後水軍を率いて源氏を助け、平氏を追い詰めた人だよね?


「そうですね・・最終的には船は沈没するし、捕まるし、後は行方不明だし、歴史的に活躍した割には、最後は散々だったと思います」


「そんな訳で、散々、人を呪いながらこの地まで流れてきた呪物なのだが、最後の遣い手が、今、我の棲家で暴れ回っているあの怨霊よ」


「その怨霊をこれで倒せって言いたいのかもしれないですけど、僕、それを持てませんよ」


 神様が持っている手までも真っ黒にする呪物、素手で触ったら即死するって!


「お前は触れんでも、お前の近くには触れる奴がおるであろうに」

 誰?いや、なんとなく思いつくけども!

「ほれ、遠慮せずに持って行け」

「えええ〜!だから!素手じゃ無理ですって〜!」


 神様のゴリ押しが凄すぎた為に、僕は一旦、男の子を下に下ろすと、着ていたTシャツを脱いで、そのTシャツを自分の手にぐるぐる巻きにした上で、特級呪物を掴んだよ。


 そうして再び、男の子を片手で抱っこすると、神様はホッとため息を吐き出したのだった。


「アレの所為で神格を落とした故に、アレを抑えるのも、そろそろ限界になろうとしておったのだ。東に有能な者があると聞いたゆえ、呼び寄せることに致したが、禍、溢れる前に何とかなりそうで良かった、良かった」


 やっぱり呼び寄せられていたのか、僕らを紹介したのは誰なんだ?


「アレも憐れな者なのだ。我が血を求めるのは人の性とも言えるのかもしれぬが、女の怨念やら執念やらが凝り固まって、周りを巻き込み続けている。血が濃くなれば、子はまともには生まれぬ。その醜き我が子を、我への生贄とした歴史もまた、嘆き哀しいものであったのだ。それを全て浄化してくれるのなら、我も今まで待った甲斐があったというものよ」


 もう解決したみたいに言わないで欲しい。全然解決してないからね?神様って本当に話が通じないんだよなぁ。


「あの、一つだけ質問があるんですけど」

「なんだ?」

「貴方は、穴森の大蛇の子供だったんですか?」


 諸環(おだまき)伝説では、人に化けた大蛇が姫様と子供を作って産み落としたということになっているけど、まさに、この目の前の神様こそが、姫様と大蛇の子供ってことになるのでは?


「さあな、知らぬわ」

 神様は遥か昔を思い出すかのように言い出した。


「両の親も居ぬ身であり、手足には蛇のように鱗が出ている状態だったでな。何かの子ではあろうが、それが何かは未だに分からぬ。惟栄の元を離れ、この地までやって来た時はまだ、人の身であったのだが、その後は今のような状態よ。人の願いの力にて今まで残って来てはいるが、人の思いは他を向く。ならば、我が消える日も近かろう」


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