第26話 僕らのフィールドワーク
民族学科を専攻している僕たち生徒は、移動中はなるべく足を使うようにしているんだ。僕らの学問というのは、古から残された記憶を読み取ることが仕事みたいなものだから、それこそ、道の途中にある道祖神や、地蔵尊の種類、石塔や石仏なんかも、記録に残していくことになる。
このホテルは標高982メートルの酒巻山の麓にあるんだけど、ホテルの前から登山道が伸びていることから、登山客が熊埜御堂ホテルの駐車場に車を置いて、登山を楽しんでくる場合も多いらしい。
ホテルは日帰り入浴も出来るので、登山をしてきた人は温泉に入って汗を流してから帰ることも多いみたい。ホテル目的ではない人も訪れる関係で、ホテルに併設された劇場もお客さんを集めることが出来るのだという。
実際に、劇場は地元住民の娯楽にもなっているし、長野市からお客さんが訪れることも多いのだという。
劇場の演目は毎月発行される村の広報紙にも掲載されているし、近隣の市町村の広報誌にも載せてもらっているらしい。長野市の市民劇場や、大きな市にある文化会館まで足を運ぶのは億劫すぎるという地域では、意外なほどに、熊埜御堂ホテルの劇場公演は娯楽として受け入れられているようだった。
そんな多くのお客さんが訪れるホテルだけど、周囲は森林に囲まれた風光明媚な場所にある。街に向かう僕らは、山を降りていくような形で登山道を降りていくことになったわけだ。
「先輩、思ったほど馬頭観音がないですね?」
「そうだよね〜」
馬頭観音、正式名称、罵倒観世音は、馬の守り神とも言われる神様で、昔から広く信仰されている神様である。馬と共に生活をする昔の人々は、馬の無病息災を祈ったり、馬の冥福を祈ったりするわけなんだ。
馬は大食いだから、人々の悩みや苦しみを食い尽くすとも言われていて、田舎の人々の救いの象徴にもなったりするんだけど、この地方の人々は、馬ではなく、別の生き物に救いを求めていたようだ。
古くなって今はほとんど読めなくなったような石塔にも、別の一文字が刻まれているのが良く分かる。
『蛇』
日本の古代信仰の中には、蛇神信仰が多く残されている。蛇は脱皮を繰り返すということから不死の象徴ともされているし、蛇の持つ毒は、人々に死、恐れ、畏怖を抱かせていたんだと思うんだ。
生と死の象徴として神格化されていく『蛇』だけれど、出雲大社では神聖な浜に漂着した海蛇を御神体として『竜蛇様』としてお祀りしているし、奈良県の大神(おおみわ)神社では、祭神の『オオモノヌシ』は蛇の形をした神様だと言われている。長野の諏訪大社も、本来の祭神は蛇の神様だと伝えられており、この地方の『ミシャグジ様』は土着の古代神としても有名だったりするわけだ。
ホテルに山盛りの蛇の霊体が見える僕としては、酒巻山の御神体は、おそらく蛇で間違いないだろうと考える。この蛇の神様が『ミシャグジ様』なのかどうかは僕には分からないけれど、郷土資料館や、図書館に置かれている村長公営日誌や、村営日誌などを拝見していけば分かるかもしれない。
登山道は駅や街の方にも繋がっているので、標識さえ間違えなければ問題なく移動することが出来るんだけど、そうこうするうちに森の中を抜けて、棚田が広がる田園地帯へと道が開けることになったのだが、
「先輩!第一村人発見ですよ!」
と、さつきがやたらと嬉しそうに言い出した。
僕らは某テレビ局並みのフレンドリーさをアピールしながら、
「お忙しいところ、すみませ〜ん!ちょっとだけお時間宜しいでしょうか〜?」
と、田んぼで雑草を抜いているお爺さんに声をかけた。
田舎の農村部の高齢化が進んでいるとはいうけれど、行ってみれば分かるけど、田んぼや畑で仕事をしているのは高齢の人ばかりだ。
作業の手を止めて僕らの方へと来てくれたのは髪の毛が真っ白のお爺さんで、かなり高齢に見える。田んぼは稲を植えて終わりというわけではなく、最も重労働となるのが田んぼに生えてくる雑草の草取り。
雑草が生えたままだと、稲に必要な土の養分を吸い取られてしまう為、雑草をそのままにするという訳にはいかないわけだ。
「若い人が珍しいなぁ?ホテルの宿泊客かな?道でも迷ったかね?」
「いえ、道に迷った訳じゃないんですけど、ちょっとお伺いしたいことがあるんです」
フィールドワーク中は、流石の僕も、ホラーマスクは被らない。一度、森の中だったし、あんまり怖いからマスクを被って行動していたら、登山者に通報されたことがある。
シリアルキラーだと勘違いされたらしい。
「僕たち、聖上大学の民族学科の生徒なんですけど、今、異国と日本の蛇信仰の違いについて研究をしているんです。この地方では縄文時代の土器などが多数発見されているということで、フィールドワークに来たんですが」
蛇信仰というと、物凄い嫌悪の感情を抱かれることが強い。邪な信仰というイメージを持つ人も多いんだけど、縄文時代とか言われると、あ、そんな昔の話なのね〜となってしまうのだ。
そこで、海外の宗教や文化との比較とでも言えば、一気に自分とは遠く離れた話のように感じられて、警戒心が低くなるのだった。
そもそも、縄文時代の土器の縄を使った紋様は、蛇を模したものが多いのだ。太古の人々は、蛇に対する強力な畏敬の念を抱いて居たのは間違いない事実でもある。嘘はついてないよ。
僕らは、このあたりの生き字引のような人がいれば紹介してくれないかと、お願いすることになったんだけど、
「ああそう、なるほどね、この地域に昔から残っている、昔ばなし的な話が聞きたいと・・」
おじいさんは、僕らの大学での研究を理解してくれたようだった。
「地方の伝承には、僕らにとって思ってもみないヒントが隠されていたりするので、この地域の文化を知るためにも、昔、昔〜から始まるような、地元に残されたお話が聞けたらなあと思いまして」
「この地域の生き字引的な人が居れば、私の夏休みの課題も、一気に片付くことになるかと思うんです!」
さつきの頭の中は、夏休みの課題一色になっているんだな。
「生き字引ねえ、だとしたらフクさんが丁度良いんじゃないかなぁ」
「フクさん?」
「中沢フクさん、98歳になるおばあちゃんになるんだけど、この辺の生き字引と言われるような人だね」
このおばあちゃん、集落の外れも外れに住んでいるようなおばあちゃんだったので、第一村人であるお爺さんがそこまで車で送ってくれるということで、軽ワゴンに僕らを乗せてくれたのだった。
こうして僕らは、ポツンと一軒家のような山の奥の奥にある家まで連れて来られる事になったのだが、帰りはどうすれば良いのだろうか?
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