第17話 俺の妹
邦人に向かって剃刀を振り回しながら襲いかかって来たのは、確かにおかっぱ頭の見たこともないような女性だった。顔色は悪く、肌の色は透き通るように白い。
日本人形のように目は小さめ、目尻が上がって見える、綺麗な人のようには見えたものの、狩野部長や赤峰の言うように、妹の絢女に似ているところは体型だけで、顔立ちも髪型も全く違ったものだったのは確かだ。
部員が全員いるか確認して回った赤峰が、自分の荷物を置いた部屋で一人で寝ている絢女を発見。揺すぶって起こそうとしたが、ぐっすり眠っているようで、起きる兆しがないのだという。
確かに、妹の絢女は、小道具担当の佐川由希が発した無神経すぎる発言にショックを受けて、後々まで引きずっていたようだし、みんなで食事を終えた後も、ぐちぐちと文句を言い続けてはいたのだ。
流石にこれ以上、部員に変な勘繰りはされたくない邦人は、ホテルのエントランスホールに置かれたソファに並んで座って、絢女の愚痴を聞き続けることになったのだが、やはり、絢女は過去にあったことを、未だに根深く恨みに思っているようだった。
「絢女ちゃん、お兄さんと仲が物凄く良いみたいだよね?」
ある日、母の歳の離れた恋人が、母と待ち合わせをするために家へとやって来ることになったのだ。すぐに帰って来るから恋人は家に入れて待たせておいてくれと言って、母は出かけたらしいのだが、その恋人を家へと迎え入れた絢女は、
「絢女ちゃん、自分のお兄ちゃんとエッチなことをしているんだって?だったら俺とも試してみない?俺、絶対にお兄さんよりも上手いと思うよ?」
と、言われて、父と母が使用する寝室に引き摺り込まれそうになったのだ。
何故、母の恋人がそんなことを言い出したのかというと、
「うちの子供たちは兄妹して、異常な程に仲が良すぎるの。これが同性の姉妹とか兄弟だったら何の心配もないんだけど、兄妹でしょう?最近のネット記事で、実の兄妹でも・・なんてものを読むと、心配で心配で仕方がなくなるのよ〜」
と言う母の雑談を、その恋人が曲解したから。いや、曲解したというより、絢女に手を出すための言い訳に使ったのかもしれない。
中学生だった絢女は抵抗をし続けて、母が帰った時にはその男に殴られてボロボロの状態になっていたという。その娘の姿を見て激情に駆られた母は、
「この泥棒猫!私の恋人を誘ってんじゃないわよ!」
と、叫びながら娘を殴りつけたらしい。
中学生の、しかも、恋人も作ったことがないような娘が、母親の愛人を寝室に誘うわけがない。間違いなく、母の歳の離れた恋人が娘に手を出そうとしたのだが、その恋人に母は怒りを向けるわけでもなく、自分の娘にその怒りの矛先を向けることにしたわけだ。
「お兄ちゃん・・お兄ちゃん・・助けて・・」
邦斗が家に帰ると、髪の毛もぐちゃぐちゃで、顔を殴られて真っ赤に腫らしたままの絢女が、部屋の隅に蹲って泣いていた。
「お兄ちゃん・・もう嫌だ・・助けて・・・」
この事については、邦斗は自分の父に報告したのだが、
〈だったら病院にお前が連れて行ってやってくれ〉
若い女の家に入り浸り状態の父からは、ラインでメッセージが返って来ただけ。
その日、不機嫌丸出しの状態で帰ってきた母は、ソファの上に自分のバックを投げつけながら憤慨した声を上げた。
「パパに文句を言われちゃったわよ!今度、男を家に連れ込んだら、どれだけ借金をお互いに背負ったとしても離婚するって言われちゃったわ!」
両親はお互い有名企業に勤める『パワーカップル』と世間では呼ばれるような夫婦であり、身の丈に合わないマンションを共同名義で購入し、現在、互いの愛人に金を注ぐような真似をしながら、ローンの返済に追われている。
世間体を大事にする両親は、夫婦としての関係が破綻していたとしても、子供二人が有名進学校に通って順風満帆な人生を歩んでいるんですと、周囲の人々に喧伝している。
子供は大事にしているんです、子供のためにこんなに努力をしているんですと言いながら、塾や習い事の費用を払い、自分たちが子供に関わらない分を、金によって賄っているつもりでいるようだ。
「お兄ちゃん、こっち見て!お願い!」
母の恋人に襲われそうになったあの日を境に、絢女は異常なほどに、邦斗に対して執着するようになったのだ。
「お兄ちゃん!私、怖いの!怖いの!」
両親は世間様にアピールする時だけ、家族が円満なように振る舞うけれど、実際には自分の子供のことなど、心の片隅にも置いていやしないのだろう。
「お兄ちゃん!萌依子さんのところじゃなくて!私の近くに居て!」
夜明けが近づいてきたようで、窓の外が白々と明るくなって来たという時間帯、揺すぶっても起きやしなかった妹の絢女が、起き出して来たらしい。
萌依子がシングルルームに移動したことを誰かに聞いたのか、扉をノックもせずに入って来た絢女は、
「ねえ!お兄ちゃん!私を見てよ!」
と、言い出したのだった。
邦斗は未だに目を覚さない萌依子の手を握り続けていたのだが、俯いていた顔をあげて絢女の方を振り返ると、
「萌依子が目を覚まさなかったらどうしよう」
絞り出すような声で言い出した。
「このまま、萌依子が目を覚まさなかったら・・俺、なんで萌依子が合宿に参加するのを止めなかったんだ?最初から幽霊ホテルだって話は聞いていたのに・・なんで・・」
「ねえ、お兄ちゃん、萌依子さんが目を覚まさなくたっていいじゃん」
絢女は口元に笑みを浮かべながら言い出した。
「お兄ちゃんは私が居ればそれでいいでしょう?ねえ、萌依子さんなんか居なくなった方が清々するし」
「絢女!」
邦斗は泣きそうな顔で絢女を見上げながら言い出した。
「俺、もう無理だよ」
「・・・」
「お前のことが重すぎる、俺にはもう無理だって」
「なんでそんなことを言うの?」
キンッと空気が張り詰めたかと思うと、耳鳴りが邦斗に襲いかかる。
「お兄ちゃんは私のお兄ちゃんだよね?お兄ちゃんは、妹の面倒をみるのが当たり前でしょう?ねえ?違うの?」
「絢女・・そうじゃなくて・・・」
激しい耳鳴りと頭痛に顔を顰めると、音もなく萌依子が起き上がった。
本当に音もなくおきあがったのだ。
彼女は目を瞑ったままの状態で口を開くと、威嚇するような音が口の中から発する。
その異様な光景に、邦斗が驚き固まると、絢女は逃げるようにして部屋を飛び出してしまったのだ。
「絢女・・絢女!」
立ち上がった邦斗が廊下に出てみても、何処にも絢女の姿は見えなかった。もしかしたら、走って自分の部屋へと戻ってしまったのかもしれない。邦斗は慌てて、今、目を覚ましたばかりの萌依子の元へと戻ると、萌依子は白い顔色のまま、ぐったりとベッドに横になっている。
「夢?」
確かに、萌依子が起き上がって、口から何かの威嚇音を出したのだ。
『シューッ』
まるで蛇が威嚇するときのような音を口から発したように見えたけれど、今、ベッドに横たわる萌依子を見る限り、起きたようには見えない。
時計を見ると午前四時二十分、一睡もせずに付き添っていたつもりだったけれど、いつの間にか夢でも見ていたということなのだろうか。
午前七時になると、部長の狩野がやって来て、妹の絢女がここまでやって来ていないかと尋ねてきたのだった。
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