第16話  先祖の供養

 大学生が幽霊目当てで宿泊に来ると、大概、トラブルを起こすことになる。霊現象を体験したいと言い出してやって来るのだが、パニックを起こして転んで額を切ることもあるし、幽霊から逃げようとして襖に突っ込んで壊してしまうこともやたらと多い。


 都度、怪我をしたら病院に連れて行くし、備品を壊したら弁償をしてもらうことに決めている。その為に、チェックイン時にはクレジットカードの登録もさせてもらっている。


 学生が集団で宿泊しに来たら、大概、何かの問題が起こるのは当たり前。だとしても、警察沙汰になるのは創業以来、はじめてのことかもしれない。


「うーん、剃刀で襲いかかって来たということですか。お兄さんの傷を見る限り、完全に防御創って感じになっていますもんね」


 おかっぱの女性に襲われたという陸守邦斗の右手には、剃刀で切り付けられていた傷が複数残されていた。壁が汚れるほど血が出たということで、今すぐ病院に行った方が良いのだろうが、

「病院には明日行きます、萌依子が目を覚ますまで近くに居てあげたいんです」

 と言って、恋人の近くから離れようとしないのだ。


 学生たちは四人部屋を五つ借りていたのだが、失神したまま目を覚さない女子大学生のために、シングルルームを一つ、開放することにした。


 頭の何処かを打ったというわけではないし、糸が切れたように気を失ったということだったので、とりあえず、今夜はこのまま様子を見ることにして、明日は二人とも近くの病院に連れて行かなければならないと考える。


 ちなみに、剃刀で切り付けて逃げ出したというおかっぱ頭の女性については、警察も協力して付近を探してみたのだが、結局見つけることは出来なかった。


 怪我をした男子学生の妹も合宿に参加していたようなのだが、自分の部屋で就寝しているところを確認されている。


 かなりぐっすりと眠っているようだったので、翌朝、不審人物を見ていないか聴取するということになったのだ。学生たちにも今日はとりあえず、遅くまで起きずに寝た方が良いと説明して、熊埜御堂秀吾は、ホテルのフロントへと戻って来た。


「あなた、大変だったみたいね」


 パトカーまで来ていた為、母屋の方にも騒動が伝わっていたのだろう。

 妻の美鈴がフロントの奥から声をかけてきた。


「ああ、どうも不審者が入り込んでいたみたいなんだが・・」

「だけど、おかっぱの女性だったって言うんでしょう?」


 不安に顔を曇らせる美鈴の言いたいことはよく分かる。熊埜御堂でおかっぱの女性と言えば、四十年前に自ら命を絶った大叔母が思い起こされることになるからだ。


「さっき、本家の健吾さんから電話があったんだけど、明日にはこちらに顔を出すと言っていたのよ」

「なんだって?」


「どうやら、工場で霊障っていうの?おかしなことが続いているっていうの。こちらに一回戻って供養をした方が良いみたいなことを、霊能者の人?よく分からないんだけど、神社の人だったかな、とにかく言われたみたいで、それで明日、その神社の人と一緒にホテルに来るから、宿泊出来るように予約をしておきたいって言われたのよ」


「美鈴、僕は全てが終わったと思っていたんだが、終わっていないということになるのかな?」

「私には分からないわ」


 二人はしばらくの間、お互いを見つめ合うと、大きなため息を吐き出しながら言い出した。


「この時期はお客さんをあまり入れないようにしていたのに、何故か今年に限って演劇サークルの合宿が入るのだもの。最初から変だとは思っていたのよ」


「もう嫌だ、全ては終わったはずなのに・・・」


 四十年前、秀吾の従弟になる吾郎が行方不明になったのだ。

 秀吾と吾郎は同じ年で、ホテルの宿泊客も少なくなる今の季節に、毎年、吾郎はホテルに遊びに来ていたのだ。


 同居する大叔母の郁美は吾郎のことをとても可愛がっていた。その可愛がっていた吾郎が居なくなり、大叔母の郁美が自殺した。吾郎の失踪に大叔母の郁美が関わっているのではないかと噂されたけれど、結局、事件は有耶無耶となって今に至るのだ。


 結局、今となっても、大叔母の霊はホテルに残り続けている。彼女が何を考え、何を求めているのかが秀吾にはよく分からない。


「そういえばね、本家のお兄さんが、せっかく桃を頂いたのに、食べるのを忘れて腐らせてしまったと言って詫びていたのよ。あなた、あちらに桃を送っていたの?」


「いや、送ったかな・・」


 仲が良かった従弟の吾郎。吾郎がうちに遊びに来てさえいなければ、今も元気に過ごしていたのかもしれない。拭い切れない罪悪感のようなものを持ち続けていたし、その罪悪感を少しでも軽くするために、こちらのホテルに招待したり、旬の果物を送っていたりしたのだが、あちらの家との距離感は縮まらないまま、今に至るという感じなのだ。


「それにしても・・向こうでも霊障が起きているって?」

「ええ、向こうでは蛇の幽霊が出るんですって」

「向こうは蛇で、こちらは大叔母の幽霊か・・」


 この世の中には、どうやっても理解し難い、不思議な現象が起こるようだ。霊障が百パーセント起こる山間のホテル。自分自身に霊感がないからか、あまり気にしたこともなかったが、今日のように警察沙汰にまでなると、胃の中に巨大な石を投げ込まれたような、重い痛みを感じるようになるのだった。


「先祖の供養か・・たまには墓参りに行ってもいいのかもしれないな」

「そうですね、しばらく行っていませんでしたもの」


 妻から塩入りのお茶を受け取った秀吾は一気にそのお茶を飲み干してしまうと、大きなため息を吐き出したのだった。


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