第5話  工場に置かれた旬の桃

 熊埜御堂金属加工工場は、錆びついて反り返ったトタン屋根や、茶色く変色した工場の壁なんかを見て分かる通り、歴史が古いけれど、工場を建て替える余裕はない、カツカツでやっているのかな〜と想像させるような建物だったんだけど、中にはぎっしりと、僕には到底理解できない機械が並べられていたってわけ。


 工場は二棟あって、コンテナが山積みになった建屋ではなくて、旋盤なんかの機械が置かれた建物の方へ、まずは向かうことになったんだけど・・


「うわ〜、天野さん、僕、やっぱり無理かもしれない」


 工場の扉を開けたところで、蛇が鎌首もたげて襲いかかって来ようとしているんだよね。もう、なんて言うのかな、普通サイズの蛇が絨毯となって、工場の中に敷き詰められているっていうの?足の踏み場もないような状況で、思わず後ろから後輩に抱きついてしまったのは仕方がないことだよね?


「私にはよく分からないですけど、先輩には何かが見えるってことですよね?」

「蛇だよ蛇、山ほどの蛇が絨毯みたいに床に埋め尽くされているんだけど」

「蛇ですか?蛇が居るんですか?」


 社長はギョッとした様子で周囲を見回したけど、社長さんや後輩のさつきには、蛇の絨毯が見えていないらしい。


「先輩は小さな幽霊まで見えるタイプの霊感少年なので、私たちには見えないけれど、先輩には見えるのかもしれません」


 ため息をつきながら、人を異常者のように言うのはやめてもらいたい。


「そんなに幽霊が居るんですか?」

 中年で小太りの社長は、ポロリと涙をこぼし落とすと、

「お祓いでも駄目だったなんて・・これからどうすればいいのか・・・」

 と、悲壮感たっぷりに言い出した。


 なにしろ客先のミスで納期の発注が前倒しとなり、無理矢理でも工場を動かさなくちゃいけないところを『幽霊』の所為で足止め状態を喰らっているんだもんね。客先に『幽霊』は説明しづらいだろうし。


「先輩!とりあえず、怖がっていないで工場の中に入りましょう!先輩が一番行きたくない場所に向かえば、きっと何かが残されているはずですから!」


 後ろから抱きついている僕の手をぎゅっと握りしめると、僕をおんぶしているような状態で、さつきは工場の中へと足を踏み入れた。


 驚くべきことに、天野さつきが進んでいくと、絨毯状に広がる蛇たちは威嚇しながら工場の隅の方へと逃げ出していく。どんどん逃げ出していくものだから、作業台になっている場所が蛇の巨大な山状態になっている。


 僕の視線の方向に気が付いた様子のさつきが、機械と機械の間をすり抜けるようにしてどんどん前へと進んでいく。


「天野さん、躊躇ないのにも程があるよ」

「先輩、それはね、仕方ないと思いますよ。だって私には、なーんにも見えていやしないんですから」

「ねえ、なんでそっちに行くの?なんでそっちに行くの?」

「それは先輩が明らかに嫌がっているからですよ」


 さつきは僕の腕をギュッと握りしめながら言い出した。

「先輩が嫌がる方にはですね、大概、幽霊の大元になるようなものが落ちているんですよ」

 やだ!断言が過ぎる!女の子をバックハグ状態なのに、恐怖しか湧き上がらないこの状況が嫌だ!


「やだ!やだ!やだ!やだ!行きたくない!そっちには行きたくない!」

「先輩!我儘言わないの!先輩がこの幽霊現象を何とかしてくれないと、毎朝、私は、切断された指とおはようございますしなくちゃならなくなるんですからね!」


「大丈夫!窓を閉めれば飛んで来ないって!行かないで!そっちに行かないで!嫌だって言っているんだけど!なんで分かってくれないの!」


 山盛りとなった蛇の塊は、すでに人の形に変化し始めている。

 トタンで出来た工場の屋根、その隙間から日差しが差し込んでいるんだけど、その太陽の光を退けるようにして、部屋の隅に置かれた作業台の上に闇が渦を巻くようにして広がっている。


 女性のような形に変化した影は、こちらを威嚇するようにして肩を怒らせている。その長い髪の毛が蠢く様は、まるでメデューサの頭みたいだ。


「やだ!やだ!やだ!やだ!」

「やだじゃない!やだじゃない!」


 目的地が作業台だと気が付いたさつきは、僕から手を離して、作業台の方へと自分の腕を伸ばしていく。ここから逃げ出したいけど、天野さつきの近くが一番の安全地帯だということを僕は知っている。


 彼女にベッタリとくっつきながら後を振り返ると、社長は工場の中に入ろうとせずに、ドアの向こう側から僕らを心配そうに見つめている。僕が蛇の絨毯とか幽霊とか言うから、怖くなっちゃったんだな。


 さつきが黒々とした塊の中に腕を突っ込むように僕には見えたし、そのさつきの腕から逃れるように、まるで浜辺に集まる船虫の群れのような形で、黒々とした何かが屋根の隅の方へと逃げて行く様が視界に入る。


 真っ黒になった船虫の群れが逃げることで見えてきたのが、作業台の上に置かれた紙の箱で、僕にはお歳暮とかお中元とかで送られてくる類のものにしか見えない。


「中身は桃みたいですね」


 さつきは何の躊躇もなく箱を持ち上げた。宛名が熊埜御堂社長になっていること、差出人は同じ苗字の人で、長野から送られて来た桃であることが、宅配会社が貼り付けたシールで判別することが出来た。


「はい、先輩」

 問答無用で僕が箱を受け取ると、周りの蛇が一気に消えて見えなくなった。つまりは、霊障を起こす大元が、この、桃が入っていると思われる箱だったわけだ。

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