2‐7
「ありがとうございます。」
隣の家の前で倒れていた女の子は痛みが引いたのか今では可愛らしくちょこんと正座をしている。感謝を述べる彼女の制服を見たところ、ここらでは有名な頭のいい女子高生だ。俺らとは天と地の差である。
「いいのよ。名前はなんていうの?」
「望月りりいです。」
とても可愛らしい名前だ。
「りりい...。」
耳障りがいい彼女の声。その声に乗せられて出てくる彼女の名前。ぽつっと隣にいる人に訊かれるか訊かれないかの声量で繰り返してみる。うん、彼女自身のようにとても可愛い。
「ねえ、誰に倒されたの?言いたくなかったらいいんだけど。」
七海の隣に座る女の先輩がりりいに声を掛ける。それに対し、りりいは目尻を下ろして心優しく説明してくれた。
「親が、仲が悪くて高校に入るのと同時におじさんの家に越して来たんです。それで、おじさんとの関係が上手くいかなくて、外に追い出されちゃいました。」
だから、自分は彼女のことを知らなかったんだ。へへへっと笑う彼女はどこか痛々しかった。理由はどうであれ、彼女のことをそんなふうに傷つけるやつが許せなかった。
「あの。」
説明が終わると、真っすぐ番長へ目線を向けた。
「あなたたちは毎夜ここに集まってるんですか?」
「まあな。雨が降っていれば場所は移すが。」
「これから私もここに来ていいですか?丁度、自分の居場所を探してたんです。」
今度は番長はこちらに目線を向けた。ばちっと目線が合うと、自分の頭にハテナが浮かぶ。すると、番長はまたりりいに目線を向け、俺の肩に手を乗せて言った。
「こいつと来るといい。お前だけ一人で来ても歓迎しないからな。」
俺はぽかんと口を開けた。それはそれは重大任務ではないか。つまり、もし、怖い男につかまったり、補導されないように自分が守る責任ができたということだからだ。それでも、俺は心の中でガッツポーズした。番長が気を利かせてそういう条件を出してくれたのだ。ここは期待に答えるべきだ。
「ありがとうございます。」
またもやりりいは礼儀正しくお辞儀をする。ここに来るには似つかわしくないような気もするが、それが彼女のいいところであり、とても気に入った。
「よろしくお願いします。えーと...。」
「東屋奏だよ。よろしく。」
「東屋くん。よろしくね。」
そう言って、彼女は笑みをこちらに向けてくれた。もう全てが可愛くて、胸が詰まりそうになった。
―——・・・
休日の昼間に川に訪れてみた。夜には見れない川の姿。どちらにしろ、家には自分の居場所がない。だからと言って、学校の友達というはっきりした存在は自分にはいなかった。もちろん、底辺高だからバイトもできやしない。目標も願いも幸せも、一時的なもので、何一つ未来へ繋ぐ大事な物にはならない。流れる水の近くまで歩いて行き、片手で透明な水を掬ってみる。冷たくも温かくもないぬるい。川の向こう側で小さい子供たちが川遊びを楽しんでいる。そんなのをボーッと見つめながら、りりいのこと考えた。彼女は下の名前で呼んでほしいと言うから、ありがたくそう呼ばせてもらっている。
「りりい」
彼女の名前を呟いてみる。やはり、いい名前だ。何度も呼びたくなる。何度か目を瞬いていると、川に映る街並みがガラッと変わった気がした。なんか変だなと思ってじっと目を凝らす。でも、やはり見間違いだったらしい。次は耳を澄ましてみる。
『果てた陸に何を唄えば再び光は芽吹く
今はこの調べを蒔いて 彷徨う愛人が生きる道しるべとして』
歌が聴こえた。りりいの声だった。でも、辺りを見渡してみてもりりいの姿はなかった。
『生きて、生きて、そして最期に死ね』
またりりいの声が聴こえた。今度は言葉が言葉だったから鳥肌が立った。それでも、また見渡してもりりいの姿はない。怖くなってここから離れようとした。そして、今度は一気に景色が変わる。目の前にはいつもの綺麗な川だ。それ以外は見たことがないくらい綺麗に整備された道と、公園と書かれた看板、整えられた原っぱ。目の前を歩く二人の中学1年生ぐらいの制服を着た男子二人。
『確か、名前はリリイだった。リリイがこの紙だけ現実に遺したんだ。だから、確かに存在していた。』
りりい?今。りりいと言ったか?
『夢じゃないって?。』
二人はそうやって会話しながら何かを探していた。何を探しているかは何も分からなかった。ゆっくりと視界がぼやけていく。
「おーい!!東屋!一人?」
後ろから声を掛けられたのは一週間前に相手をしたここあちゃんだった。先ほどの不思議な現象を見て、混乱した直後に誰かに会いたくはなかった。
「おう。」
一応返事はする。
「良かった。ねえ、今うちんち誰もいないんだよね。だからさ。」
ここあちゃんは俺の腕に抱きつこうとしたが、俺はそれを払いのけた。
「なにするのよ!」
俺は自分自身に驚いた。いつもだったら喜んでここあちゃんについて行ったはずだ。でも、なぜかりりいの顔が脳をよぎり、自分を許さなかった。
「ごめん、今そういう気分じゃない。」
ここあちゃんは呆気にとられた顔をしていた。
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