イイワケ

腹音鳴らし

『イイワケ』

 私の住んでいたアパートは、排ガスまみれのスラムの中でも、最低ランクに位置づけられる物件だった。外観はただのモノリス、中身はコンクリート打ちっぱなしという安普請である。地球資源の枯渇にともない、木造建築は姿を消して久しかった。


 ゴミ捨て場から拾ってきたソファーで目覚めた私は、寝起きのコーヒーにもありつけないままデスクに向かう。

 依頼されていた仕事の期限は残り三時間。納品が遅れれば二度と案件にはありつけない。諦めて餓死がしするのも悪くはなかったが、金が入らなければ借金が返せずに殺されるはずだった。


 下水で捕まえてきたドブネズミ同士をけしかけて、生き残ると思った方にベットする。薄汚いスラムでは薄汚いギャンブルが流行るもので、そこに住んでいた私の心ももれなく薄汚れていたわけだ。


 ビギナーズラックで初回は勝った。……そう思い込まされた私は、胴元の策略にまんまとハメられた挙句、続く二回戦、三回戦を立て続けに負け越し、気が付くとすっかり熱くなってしまっていた。

 私はあっという間に生活費を食い潰し、ここぞとばかりに現れた非合法の金貸しに、その場しのぎのクレジットを借り入れした。それが運の尽きだった。

 はした金も、積み上げればなんとやら。借金はその日のうちに利息でパンク、担保にしたIDはすぐさま犯罪者の隠れみのとして使用され、私の名義で、身に覚えのない大量の行動履歴が公的機関へ送信された。


 すでにブラックリスト入りは確定だが、さりとてIDがなくては最低限の社会保障も受けられない。生き残る選択肢に手を伸ばすなら、必須アイテムに違いなかった。


 足の曲がった椅子に腰かけた私は、スクラップから自作したPCを立ち上げる。


 ブレンダーという下衆な仕事が金になると知ったのは、ずいぶん前の事である。

 創作物やプログラムなど、あらゆる電子データがAIによって自動更新されていくこの時代に、人の手の介在が許される稀有けうな商売、それがブレンダーだった。

 人類の好みに合わせた電子データの産出は、効率最優先のAIがもっとも苦手とする作業である。私はAIに原材料となる電子データを配分よく学習させ、クライアントの望むデータを作り出す養殖家というわけだ。


 一昔前のブレンダーは、イラストを自動生成するAIに美形の男女を学習させて、好みの動画像を生み出すという手遊びに興じていた。ところが、AIがプログラムを自動更新するようになってからというもの、いかに人類にとって使いやすいシステムを構築するか、という本質に焦点が当てられるようになっていく。


 その結果、世界のサイバー犯罪は急激に複雑化し、現在では自動更新を続けるAI同士のイタチごっこになり果てている。私は日々更新されるクラッキングプログラムをネットから採集し、相性の良い別データとともにAIへ学習させてカウンタープログラムを生み出す事を生業としていた。他人の生み出した努力の上澄みをすくい取り、混ぜ物をほどこして叩き売るわけである。


 ヘッドバイザーを通して、脳神経にデジタルカフェインを流し込んだ私は、淡々と作業を進めていた。

 肉体が要求する刺激のほとんどは、デジタルショックによって錯覚が可能になっている。特濃の疑似ぎじカフェインは寸分たがわず私の脳細胞を浸食し、殺されるかもしれない恐怖など、もはや微塵みじんも感じなくなっていた。現実と仮想の境が溶け合いながら、善悪や矛盾を超越した場所へいざなわれる気さえする。


 私は生き残りたいという本能を建前にして、本当は何をやりたかったのか、それを考え、生み出す事からも逃避した。


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イイワケ 腹音鳴らし @Yumewokakeru

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