教室のエトランゼ

風鈴

春一番

 僕は片桐歳三かたぎりとしぞう

 親が土方歳三のファンだった為に、この名がつけられた。


 幼い頃はトシちゃんと呼ばれて可愛がられたが、長じるとコクゾウとか、ナクゾウとか、クサイゾウとか言われるようになり、別の意味で可愛がられ、いつしか教室の隅っこに目立たない様に身を縮こませているようになった。


 しかし、中学生から背が伸び出し、身長が誰よりも高くなった。

 それでも目立たない様にしようと、いつも背中を丸めて座っていた。

 身体は細く、猫背で、俯いて暗い顔をしている僕は、もちろん友達など居ない。


 成績は中ぐらいだが、運動神経は皆無。


 そんな僕は、この前、高校入試を終えたばかりで、明日が卒業式だ。

 小学校、中学校と、イジメに会いながら過ごしてきたが、やっと高校生になれる。

 高校生になったら、僕は変わるんだ。

 なぜか、変われると思い、そんな淡い希望を、胸に密かに抱いていた。


 終業のホームルームが終わり、僕は図書室へ行った。

 昼休みや放課後、部活もせずに、僕はずっと図書室へ通っていた。

 勉強をするためと本を借りる為だ。

 でも、その本当の理由は、そこでよく見かける女生徒に恋をしていたからだ。

 もちろん、暗くて小心な僕は、彼女を遠くから見るだけだ。


 彼女は、図書委員の友達と談笑しながら、よく本を読んでいた。

 彼女は、赤い眼鏡をかけている。

 いかにも本が好きな子のようで、本を読む姿は、そのメガネと共に僕の脳裏に焼き付いて離れない。

 ふとした時、彼女の姿が思い浮かぶ。


 それが初恋だと知ったのは、初恋という題名の本の背表紙を見てから自覚した。

 そんな本は、手に取ったりはしない。

 ここは学校の図書室だ。

 誰が見てるかわかりゃしないから。


 そんな彼女とも、もうこれが最後になるのかと思っていた。


 彼女はいつもより早めに席を立ち、名残惜しそうに書棚を見回してから、図書委員の子に声を掛けて出て行った。


 僕も、もうこれが最後だという想いで、周りを見回し席を立った。


 そして、彼女が座っていた辺りを通った時、生徒手帳が落ちているのに気がついた。

 直ぐに分かった。

 彼女の生徒手帳だと。


 名前が書いてあり、中を開くと写真が貼り付けてある。

 可愛い、そう思った。

 そして、これ、彼女に届けないとと、急いで彼女の後を追った。


 昇降口で彼女を発見した。


 しかし、僕は、彼女に声を掛けることを躊躇い、ついにはそのまま見送ってしまった。

 僕には声を掛ける勇気が無かった。

 それと、もしかして、ほんの数%だけ、この手帳を僕のモノにしたいという欲求があったのかもしれない。


 僕は家に帰ってから、自室でその手帳を取り出し、眺めた。

 もちろん、彼女の写真と彼女の文字をだ。


 細くて丁寧な文字、そして、彼女の真剣な顔。


 彼女の顔を見ていたら、邪な感情が芽生えて来て、僕はその顔に、僕の唇を近づけ、そして・・・・。



 翌日は晴天だ。

 そして、気温も上がるらしく、春一番が吹くとか、吹かないとか。


 僕は登校すると直ぐに、彼女の教室へと向かった。

 チラッ、チラッと教室の中を覗く。

 彼女は友達と談笑したり、何かを書いたりとか忙しそうだ。


 ダメだ。

 僕には彼女の所へ行く勇気が無い。

 そもそも他所よその教室に入って行くという異次元の勇気が、僕には無い。


 仕方ないと、卒業式の後に渡すことに決めた。


 この日ばかりは、僕をイジメるヤツ等も、僕の事をかまうヒマは無さげで、恙無つつがなく、卒業式を終えた。


 そして、みんなが式場を出て、それぞれが最後のホームルームのために教室へ戻る時、僕は彼女の所へ行った。


「あの、これ・・・・」


「あっ!わたしの!」


「わあ~、気持ち悪いヤツ~、アンタ、朱音あかねのをどこで手に入れたのよ?もしかして、ニオイとか嗅いでない?気持ち悪い~」

「朱音、それ、もう必要ないから捨てちゃいな!そいつ、クサイって有名人だよ、それに変態らしいし」

「ヤバいな~、クサイゾウだよ、朱音!」


 彼女、朱音さんは、僕をキッと睨むように見つめた。


「・・あ・・ごめん・・」


 僕は小さな声でそう言うと、急いで自分の教室へと移動した。


 僕は彼女の冷たい目が頭から離れなかった。


 なぜ、あんな事しか言えなかったのか?

 だって、昨夜、僕は彼女の写真にキスをしたから。

 写真に直接触れたわけではないけど、でも、アレはキスだった。

 そんなことをしたという良心の呵責が僕を攻めたので、言い返すことが出来ず、思わず謝罪してしまったのだ。


 そんなことをぼんやり考えていたら、ホームルームでは、僕の番がやって来た。

 最後の一言を言うという、最後の別れの儀式だ。


「・・みんな、クラスの、みんな・・あばよ、だ・・」


「何て言った?良く聞こえなかったんだけど?」


「・・さよなら・・みんな・・」


「なんか、生意気な事、言ってなかった?」

「なんか、むかつく、クサイゾウのくせに!」

「けっ、くさ!草湧いたぜ!」

「あはははは、それ、うける~~」

 爆笑された。


 バカなやつらだ。

 クソだ!

 みんなクソくらえだ!!


 そして、解散となり、やっと校舎の外に出た。


 みんなは、友達同士の輪が出来たりして、写真を撮り合っている。


 僕の前方には、彼女、朱音たちが背を向けて並んで立っていた。

 後姿をずっと見続けていた僕には、お馴染みの姿形なので、直ぐにわかった。

 何か、キャッキャと笑い声を立てている。

 可愛い声だ。


 だが、もう、憎らしいという想いの方が勝った。


 そうして、気付かれないようにしようと思った時、僕の心に、何か、化学変化が起こった。


 それは、次第に渦を巻き、どす黒く、僕の全身を覆った。


 その時だった。


 強い突風が吹き、外に出ている卒業生たちに吹き付けた。


「キャーーー!!」


 その突風は、僕の後ろから起こり、そして、前の朱音たちのスカートの裾を翻したのだ。

 僕は見てしまった。

 朱音やその友達のパンツを。

 直ぐ、目の前でだ!

 前の方を彼女達は抑えるのに必死で、後ろを押さえないので、しっかりとパンツが見れた。


 朱音って、ピンク色のを履いてるのか!


 この時のことは一生、忘れないだろう。

 そして、この風は春一番の悪戯だと、その時は思っていた。


 来月、僕は高校生になる。

 奇しくも、朱音とは同じ高校に通う。


 くくくくく、僕は変わる!

 高校生からは、変わるんだ、何もかも・・。

 朱音のピンクのパンツに誓って!


 僕は、本当に、これまでの学校生活で縛られていた足枷が外れ、本当の卒業をしたように感じた。



 了












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