図書室と日陰者。
また、同じ夢を見ている。
電車が金切り音を立てて止まる。
ベチャっと音を立てて目の前に落ちたそれは、少女の形をしていた。
少女といっても腰から下のあるべきものがなくなっている。
その代わりにそこからは赤い水溜りあふれ出て、僕の足元を濡らした。
まだ幼い僕は茫然とそれを眺めていた。誰かの悲鳴も遠くに感じ、少女の無惨な姿しか見えていなかった。
上半身だけになってもまだ生きているようで、ピクピクと蠢いている。
何を思ったのか、僕は赤い水溜りに汚れることも厭わず少女の傍らに座った。
僕と同年代であろう長い黒髪の女の子。彼女は救いでも求めるかのように手を伸ばした手が頬に触れる。酷く冷たく震えていた。
その手をためらいなく取って、エネルギーでも分け与えるかのように力強く握る。
そうすると少女は何かうわ言を囁いて、動かなくなってしまう。
今でも夢に見る幼き日の記憶。
その日以来、僕はこの世ならざるモノを見るようになった。
〇
目が覚めて時計を見ると15時を過ぎていた。
今朝、親子の霊を見てから登校する気になれず、そのまま家に帰っては自責の念で押しつぶされてしまいそうな胸を守るように体を丸めて床に突っ伏しては、いつの間にか眠ってしまっていた。
登校せずに帰ってきた僕に母さんは何も言わなかった。
あの日のこともあってか、叱るわけでも問い詰めるわけでもなく、そっとしおいてくれる。
当時は怖いものが見えるなんて泣いて騒いでいたから、相当に悩ませたに違いない。
どう接したらいいか分からないのが本当なんだろうけれど、そのおかげで僕の精神は安定しているとも言える。
床に寝ていたおかげでやけに身体が怠く、寝汗で濡れた服が肌に張り付いて気持ち悪い。
「ああ……」
頭が重い。考えたくないのに思考が止まらなくなる。
昨日まで生きていたはず人が幽霊になっていた。
それは紛れもなく、彼女が死んだということ。
生き霊、幽体離脱なんて可能性もあるのかも知れない。
女の子の霊に引き込まれたのか、それとも自ら……
真相なんか知りたくなかった。だから、彼女を見ることはできなかった。
どちらにせよ、僕の軽率な行動で1人の女性を殺してしまったというどうしようもない事実は変わらない。
関わるんじゃなかった。
母親を探す女の子と娘が死んだ場所に通い詰める母親。
二人は同じ場所にいたのに、すれ違ったままでは悲しすぎると思ったんだ。
見て見ぬふりをすればよかった。
……いや、そうじゃない。
きっと、やり方が間違っていたんだ。もっと幽霊を、怪異を知っていればこんな結果にならなかったはずだ。
「ああ、くそっ!」
自分の頭に拳を何度も打ち付けて思考を振り払う。
どんなに自分に言い訳をしてもこの罪悪感はなくならない。後悔したってもう遅いのだ。
「くそ、どうすればよかったんだ……」
脳裏に玲那の言葉を思い起こされた。
『気が向いたら、いつでも部室に来いよ』
しつこいく勧誘してくるくせに、変に一歩引いた距離感で僕を気に掛けてくれる奴。
頼っても良いのだろうか。玲那は何と言ってくれるだろうか。
同じように怪異を見ることができる彼女にあって話したい。
否定でもどんな誹りでも構わない。今の僕には罰が必要なんだ。
〇
下校する生徒たちとすれ違いながら門をくぐる。
一刻も早くこの気持ちを拭い去りたくて、放課後の学園に来ていた。
クラスメイトに遭わないかとびくびくしながらも、運動部のかけ声が響くグラウンドの横を通り抜けて部室棟へと向かう。
全部で10室ある二階建てのプレハブ小屋。白い外壁は所々茶色く汚れていて年期を感じさせた。
基本的に使用してるのは運動部なのだが、オカ研は二階の空き部屋を無許可で占拠している。
錆の付いた階段を上がる。ほとんどが空室で、その一番奥にオカ研の部室があった。
ノックをするが、返事はない。
何度かノックするが反応がないのでドアノブを回すとあっさり開いた。
「失礼しまぁす」
入って真っ先に目に移った物は本棚だった。扉のすぐそばに置いてあって、宇宙人とかUMAよりも妖怪や幽霊譚を中心に活動しているようでオカルト雑誌の幽霊特集や民話、妖怪の本が積み上げられている。
よく分からない古めかしい紙やらファイルがしまってあるガラス戸のスチール棚とその下には玲那だろうと思われるバックが無造作に捨て置かれている。
どこかに行ってるのだろうか。バックはあるので帰ってはいないはずだ。
さすがに勝手に入ったのはまずい気もするが、少しだけ休ませてもらおうとパイプ椅子に腰かける。
ふと、机に置かれている薄汚れたファイルが目に映った。
「七つ塚、七不思議怪奇録……?」
開いてみると、トイレの花子さん、独りでに鳴る音楽室のピアノ、深夜に徘徊する人体模型。桜の木の首つり霊など、妖怪と思われるイラストや怪異、不思議体験談が綴られていた。
結構古くから書かれてきたようで紙は黄ばんでいたりくしゃくしゃだったりした紙から徐々に綺麗なルーズリーフに変わっていく。
それにしても、七不思議って所の数じゃない。在り来たりな噂話から見覚えのあるものまで、大量の怪異がそこに記されていた。
パラパラと適当にページをめくっていると、一つの怪異に目が止まった。
「異界に繋がる図書室……」
頭によぎったのは本校舎の図書室ではなかった。
本校舎の裏にある物寂しげに建つ古い建物。旧校舎の図書室だ。
今では物置として使われているらしく、出入りする人はほとんどいない廃墟も同然の場所である。
教室の窓から見える旧校舎は、時々青白い光を放っていて怪しい雰囲気をあった。
そこに近付く理由は無い。今までなら近寄ろうとも思わなかっただろう。
頭にあるのはあの女性への罪悪感。
もう二度と同じ過ちはしない。
僕はファイルと閉じて旧校舎へと向かう。
これは肝試しでもある。
無知な自分に弱い自分に蹴りを付ける。
僕は何がしたいんだろうか……
◯
古びた木造のそれは、今日も青白く光ってた。
老朽化が進んでいて、歩くたびに板張りの床がキィキィと悲鳴をあげる。籠った空気がかび臭くホコリが鼻を刺激する。
それ以外は思っていたほど異常なことはなく、廃墟が好きな人にはたまらないスポットだろう。
少し内部を見て歩いていると旧図書室はすぐに見つかった。
扉の隙間から青白い光が漏れ出ている。
どうやら、ここが光の発生源らしい。
恐る恐る扉を開ける。
目の前に広がるのはまるで時が止められたような図書室の風景だった。
図書委員が制作したであろうポスター、おすすめ図書コーナー、今でも図書室として使われているような雰囲気だ。
それでも、よく見ると棚の本はどれもくたびれていてホコリをかぶっている。
「誰?」
不意に声をかけられ、息を飲む。
振り返ると黒髪の女子が怪訝そうに細めた目で僕を睨んでいた。
「あ、いや、すみません。人がいるとは思わなくて……」
「もしかして、一年生でしょうか?」
「はい。そうですけど……」
「やはりそうですか」
彼女は緊張が解けたかのように浅いため息をふぅっと吐いた。
「どうせ、旧校舎に出る女生徒の霊なんて噂を聞いて来たのでしょ? 」
「え?」
「違いましたか?」
彼女が首をかしげると同時に肩にかかった長い黒髪がサラサラと落ちる。
「では、あなたは何をしにいらしたのですか?」
僕が正直に異界へ繋がる図書室の話をすると「やっぱり、オカルトなんですね」と呆れたように言った。
そういう彼女はどうしてこんなところにいるのだろうか。その疑問を投げかける前に彼女が答える。
「毎年いるんです。怖いもの見たさでここへ来る人。私は図書委員でここの整理を任されているだけなんです。決して幽霊ではありませんし、ここは異界はありません」
丁寧な口調だけど、どこか腹立たしさを感じているという口調だ。
「あ、あの、僕はこれで失礼します」
これ以上この場にいても意味はないので、踵を返そうとする。
すると彼女は道を塞ぐように回り込んできて、ふふっと意味深に笑う。
「どうせなら少し手伝ってくれないかしら? 図書委員は今人手不足なんです。ここの整理も私一人では一向に進みません」
黒髪を揺らして、グイっと寄せてくる彼女の表情はどこか妖艶で僕の心を手玉にとるように魔性の色香を漂わせている。
「ここへ来たってことは怪談とか好きですよね? 私、そういう話結構詳しいんです。もし、あなたが手伝って、なんなら図書委員になってくれるなら、いろいろ教えてあげても良いですけど」
ゆっくりと紡がれる言葉に脳髄が痺れるような錯覚を覚える。
細い声だが透き通っていて聞き取りやすいガラス細工を振動させるような声。
「どうかしら?」とすべての光を飲み込んでいしまいそうなほどの黒い瞳が僕を見上げる。
その瞳に飲み込まれないと視線を顔ごとを逸らす。
その時だった。僕の頬に柔いものが触れて、彼女の方を振り向かせる。
頬に触れたものは彼女の手だ。ひんやりとしていて、いつの間にか熱を帯びていた僕の頬をさらりと撫でた。
「とても、綺麗な目をしてますね」
「……え」
「手伝ってくれますか?」
「……はい」
こんなの抗えるはずもなく、僕はいとも簡単に首を縦に振っていた。
僕から手を離した彼女はしてやったりと言わんばかりに、口を押さえて笑う。
「それではまず、お名前を教えてくれますか?」
「あ、えっと、
簡潔に自己紹介をすると、彼女も「私は
「友嗣くん。よろしくお願いしますね」
ではさっそくと手を叩いて、沙耶さんは仕事内容を説明し始めた。
僕は踏み台に登り上段の本を取る。沙耶さんは本に積もった埃を落として、図書室に置く本と廃棄する本の仕分けをする。
しばらくそうしてると、口火を切ったのは沙耶さんだった。
「さっきの話ですけど」
「え?」
「……異界へつながる図書室という話です」
沙耶さんの口から出たのは、さほどきっぱりと否定した怪異についてのことだった。
「確かにこの空間だけ世界から切り取られたかのように静かな所です」
キーンと耳鳴りが聞こえてくる程の静けさの中で埃を払う音と沙耶さんの声だけが僕の耳を撫でる。
そういえば運動部の喧騒も届かないどころか、車、室外機、環境音の一つ聞こえない。
限りなく無音に近い空間。たしかに現実から乖離したような場所だ。
「……?」
この静寂の中、声を出してしまうのはなぜだか
「そうですね……」
小さな声で沙耶さんが呟く。
「陸と海、昼と夜、この世とあの世。相対する二つの境目を境界と呼びます。たとえば、辻やドア、黄昏時も時間における境界です」
ポカーンと見つめていると、少し困ったようにポリポリと頬を掻いた。
「相づちをして貰えたら、ありがたいのですが……」
コクコクと頷くと、まぁいいでしょうっと続きを話し始める。
「村ができると自然に安全地帯である村の内側と危険で未知な村の外側ができます。そうすると人は無意識化に境界を知覚します。昔の人はその境界に妖怪や怪異が潜むと考えたのです。そこは死者の霊魂が通る道であり、異界への入り口なのです。境界の向こう側が必ずしも地続きの現世というわけじゃありません。危険で未知な異界へと繋がる。なんてこともあるかもしれません」
あの世とこの世の狭間。怪異のはびこる場所。所詮はありもしない仮定の話。
でも、彼女は妙に確信めいた口調で話している。沙耶さん、相当なオカルト好きなのかもしれない。
僕は声量を確認しながら慎重に声をだす。
「あー、えーっと、ここがその異界になってるかもしれないと?」
「そうですね。もしかしたら、廃墟と化した旧校舎、幽霊話や異界の話、それらに対する人の恐怖心、畏怖の念が境界を生み、ここを異界にしてしまったのかもしれません」
「それにしてもここは怪異とかいるようには見えませんね。静かってこと以外普通っていうか」
ここが異界というのは間違いではないと思う。実際、この図書室に入るときに見た青白い光がそれを物語っている。
だとしても、ここはあまりにも無害な場所だ。
少し考え込んでいると「友嗣くん、やっぱりこういう話が好きなんですね」なんて沙耶さん微笑んだ。
「所詮オカルトは作り話ですよ。そうでしょ?」
「ええ、この図書室も、元をたどれば音楽室で、防音対策をしてる部屋だったってオチかもしれまん」
彼女との時間は穏やかで落ち着く。
いっそ僕が見えている世界のこと、今朝の親子のことを打ち明けてしまおうかと思ったけど、思いとどまった。
きっと彼女なら信じてくれるだろうし、僕が欲しい言葉をくれると思う。
しかし無闇に巻き込みたくはなかった。
沙耶さんは窓の方を見ている。
夕日は沈みかけて、夜の黒色が空の大半を占めている。
「もう遅いですし、今日はここまでにしましょう。よければまた来てくださいね。私は鍵を返しに行きますので」
「気が向いたらそうします」
旧校舎を出て職員室へ鍵を返しに向かう沙耶さんを見送る。
彼女はなぜ僕に手伝いをさせたのだろうか。今までの興味半分でここ来た人たちにも同じように手伝わせたのだろうか
そう思うとなんだか少しだけ胸にモヤっとしたものを感じた。
◯
校門に向かっているとなにやら人影が忙しそうに走ってくる。
「おい! お前も来い!」
急に腕を掴まれ引っ張られる。
「ちょ、玲那! いきなりなんだよ」
「先輩が消えた……」
玲那は表情も変えず、それだけ言いうと否応なしに校舎へ僕を引きずっていった。
七つ塚オカルティック奇譚 暗澹たるナマズ @glasscat
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