5話 トイレの花子さん。

 花子さんの鋭い視線が向けられている。

 何度もノックしたことを咎めるヒステリックな視線だ。


「本物の、花子さん……?」


 常間先輩がぼそりと呟いた。

 どうやら彼にも見えているらしい。


「まさか、一発目であえるなんてなぁ」


 ふんっと鼻を鳴らした少女は偉そうに腕を組んで、値踏みでもするかのようにアタシたちを見る。


 姿はイメージ通り赤いスカートに切り揃えた前髪の少女なのだが、想像していた花子さんの印象とはだいぶ違い高慢ちきな様子だ。


 不意にフフッと笑った。


「さて、何して遊ぼうかしら?」


 こくんと首を傾げてまっすぐな前髪がさらりと揺れる。


「いや、別に俺たちは遊びに来たわけじゃ……」

「おままごと? あやとり? それとも――」


 常間先輩の言葉を聞かずに、花子さんは卑しく目を細める。


 いつの間に手にしていたのだろうか、花子さんの右手には包丁が握られていた。


「先輩にげッ——」


 瞬きの一瞬、花子さんが視界から消えた。


 そう認識した時には花子さんの包丁が常間先輩の首元へと伸びていた。


「殺されに来たのかしらぁ!?」

「先輩!!」


 咄嗟に先輩を押しのけ、花子さんの前に出る。

 ギラリと光沢を放つ包丁が鼻先の空を切った。


「くそっ」


 七つ塚の花子さんは男子生徒を襲う。標的は常間先輩だ。


「男子を襲っていたのは本当みたいだな。先輩は下がってな」

「玲那!」


 立ち上がり歩み寄ろうとする常間先輩を制して、都市伝説の少女を見据える。

 額から冷たい汗が流れる。

 瞬きも許されない緊張感がアタシの鼓動を早くした。


 少女は飛び上がるとアタシの首をめがけて包丁を振った。

 一瞬ので間合いを詰め、急所を狙い確実に仕留めようとする。まるで肉食獣の狩りだ。


 だが、アタシには勝てない。


「――」


 包丁が届くよりも先に彼女の懐に入る。

 腹に一発。嘔吐き前屈みになる顔に一発。掌底を打ち込んだ。

 

 花子さんは掌底をくらった勢いのまま便座に腰掛けるようにして倒れた。


 みぞおちへ攻撃が効いたのだろう、肉体のない身体で空気を吸おうともがいている。


 霊体に空気なんて必要ないだろうに。

 

 花子さんは荒い息を無理矢理落ち着かせ睨む。


「……あり得、ない……」


 その目は驚きの色が隠せていない。


「生きてる人間は霊体に触れられない。と、でも思ったか?」


 見えるなら触れる。触れるなら殺してしまう事だってできる。


 それがアタシが生まれ持ち、磨き上げてきた才だ。


「アンタくらいの悪霊なら簡単に成仏させてやれる」

「化け物ね……」


 そうかも知れない。と思った。


 これまでも何度も怪異を退治した。


 アタシの家系がそういう一族だったからだ。

 幼い頃から怪異と闘うために修練に勤しんだ。

 

 見えない悪意から人々の平穏を守る為。それがアタシの使命だ。


「化け物を狩れるのは化け物だけなんだぜ?」


 花子さんの首に手を掛ける。

 そもまま握り絞めて潰してしまえばこの彼女は死ぬ。


 すでに死んでるのだから死ぬって表現が正しいかは分からないが、確実に消滅させることができる。


 ゆっくりと締め上げると、手を引き剥がそうともがく花子さんの爪がアタシの皮膚に食い込む。


「玲那、待ってくれ」


 常間先輩がアタシの肩を掴んだ。


「襲われた生徒はいても、怪我や霊障を受けたって生徒はいないんだ。脅かすだけで人を傷つける意図はないんじゃないのか?」


 興奮した獣を諭すような声が癪に障る。


「そうは言っても、今明らかに殺意を持って襲ってきただろ。放っておけばそのうち犠牲者が出るぞ。今、消さないと」

「花子さんの話を聞いてからでも遅くはないだろう」


 確かに噂話が広まる程度で、死傷者も行方不明者も出てはいない。

 しかし、常間先輩を狙う刃は確実に殺意を持っていた。


 常間先輩は「頼む」と怒りにも焦りには見える力強い視線でアタシを見る。


「……ったく、しょうがねぇ」


 花子さんの首を締め上げた手をゆっくり緩める。

 その場に崩れ落ち咳き込む彼女に常間先輩が手を差し伸べた。


「大丈夫か?」


 差し伸べられた手を払いのけ憎たらしく目だけをこちらに向けている。


 アタシだって怪異なら無差別に退治しているわけじゃない。

 校庭の首吊りの怪異だって、無害だからそのままにしている。


「おかしなことをしたら分かってるな?」


 喉を押さえる花子さんに釘を刺す。


 常間先輩は床に膝を着いて花子さんに視線を合わせる。


「花子さん、男子生徒を襲うのは何か理由があるんじゃないのか?」


 常間先輩が優しく問いかけると花子さんはにこりと微笑んだ。

 可愛らしい表情の奥に、やはり殺意が孕んでいるように見える。


 彼に特別な恨みがあるかのようだ。

 

「やっと見つけたのよ……」

「ん? 何?」


 花子さんの背後、便器の中から無数の手が蛇のように伸びる。


 咄嗟に常間先輩の前に出るも、それはアタシを無視して常間先輩を掴んだ。


「え? ちょっと、なになになに!?」

「ほら、言わんこっちゃねぇ!」


 無数の手は常間先輩を便器に引きずり込もうと引っ張っている。


「ま、待ってくれ、話し合おう!」

「話すことなんてないわ」


 冷たい声は明確な拒絶を示していた。


「おい、このまま行かせると思うか?」


 アタシは常間先輩の襟を掴み引き留めた。

 しかし、無数の手は未だ常間先輩を引きずり込もうと引っ張っている。


「邪魔をするな!」


 叫び声とともにビュンッと風を切る音。鞭のようにしなった手が目にも止まらない早さで襲い来る。


 あんなモノをまともに喰らったら肉が裂けるどころか、喰らった部位ごと切り落とされてしまうだろう。


 それにこの狭いトイレじゃ避けることも難しいそうだ。


 さて、どうするべきか。考えていると常間先輩がくぐもった声を漏らして顔を真っ青にしている。


 引きずり込もうと引っ張る無数の手とアタシが掴んだ襟で首が絞まっているようだ。


「あ、先輩、すまない」


 咄嗟に手を離すと、常間先輩はトイレから伸びた手に引っ張られて勢いよく花子さんの下へとすっ飛んでいった。


「うおおお!!」

「な、に!?」


 花子さんがうろたえている。


 その瞬間をアタシは逃さない。

 彼女が常間先輩に気を取られていうちに一気に駆け抜け距離を詰める。


「まっ!」


 気付いて鞭を向けられるが、アタシの方が早い。


 目一杯の力を籠めてタイルを踏みしめる。ありったけの力で拳を固める。

 タイルを蹴り上げると一瞬で間合いを埋める。

 この一振りの拳でけりをつける。

 

 突き出された拳が相手を穿つ——


「ま、待って!!」

「な!?」


 突如、少女の声にアタシの拳は制止される。


 再びの“待て”に頭にきたアタシは声の主を睨みつけた。

 そこには女子生徒が佇んでいて、アタシから視線を逸らした。


 花子さんはアタシの拳を前に頓狂な顔をしていた。


「そ、その子、悪い子じゃ、ないと思うから……」


 張り上げた声が次第に弱くなっていく。それだけでも気の弱い子だと分かってしまう。


「田中さん?」


 引張力吹っ飛ばされアタシの下で這いつくばっている常間先輩がつぶやいた。


「知ってんの?」

「同じクラスの田中京香たなかきょうかさんだ。なんで君がここに……」


 よく見るとその顔に見覚えがあった。部室前に佇んでいた女子生徒だ。

 田中京香はアタシと常間先輩を一瞥して、花子さんを見た。

 前髪で隠れているが彼女の目はしっかりを花子さんを捕らえている。


「もう、良いの。私のためにこんなことしなくて、良いよ」


 後悔を振り絞るように声を上げる。


「あなたが願ったのよ? 男子を懲らしめてって」

「ごめんなさい……私が間違ってた」

「今更取り消せないわ」


 田中京香は決意を固めたかのように息を吸った。


「私、弱いままは嫌なの。貴方に守られてばかりじゃいられない。自分自身でなんとかしたいの」


 彼女の目はさっきまでの弱々しいモノではなく、頑固として揺るがない覚悟の眼差しが髪の隙間から光っているように見えた。


 花子さんはフンっと鼻を鳴らしてアタシたちに背を向ける。


「おい、逃げるのかよ」

「ええ、貴方には勝てそうにないもの」


 あっけらかんとそう言うと虚空に消えていってしまった。


「どういうことだよ……」


 いまいち状況が掴めない。

 田中京香を見るとビクッと肩を振るわせる。

 睨んだつもりはないのにそんな反応されるとさすがに傷つく。


「あ、あの、ごめんなさい……」

「事情は話してくれるんだよな?」


 そう聞くと彼女はこくりとうなずいた。

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