フラワーガール

七つ塚、七不思議怪奇録。

 少しだけ早く家を出た。理由は別に無い。

 起きるには時間を持て余してしまうし、二度寝するには十分とは言えない微妙な時間だった。それだけだ。


 だから、いつもとは違う道を通ってゆっくり登校することにした。


 五月を前にして未だひんやりとした朝の空気を晴天が暖めている。

 鳥のさえずりが心地の良い穏やかな朝を彩った。


 大通りに出て人混みの中をしばらく歩いていると、立ち尽くす見慣れた後ろ姿があった。


 顔を見なくても分かる。友嗣だ。


 友嗣の前には見知らぬ女の子と女性。


 女性が困り顔で何かしらを語りかけているようだ。

 女の子の方は女性の手をしっかりと握り、もう片方の手で友嗣の制服の裾を事もなげに掴んでいる。


 生きている人ではない。


 その事はすぐに分かった。母親と女の子は確かにそこにはいるのだろう、けれど存在感が希薄で肉体が存在しているような重みが感じ取れなかった。

 

 幽霊の親子。それでも悪意はないこと見ての通りだ。

 

「友嗣のやつ、何やってんだ?」


 そのまま歩を進め、少し近づいて気が付いた。

 友嗣は泣いている。

 顔は伏せていて見えないが肩を振るわせて咽び泣いている。

 

 声を掛けようかと考えあぐねている間にも友嗣との距離が縮まっていく。

 すると、女性と目が合った。


 彼女はアタシの視線に気がつくと少し驚いたかのように目を見開いてから、友嗣に視線を戻して何かを伝えると、娘に微笑みかけてスゥっと霞になって消えてしまった。

 

 なんだか極めてプライベートな部分を除き見てしまったような後ろめたい気持ちだ。

 

 その場で友嗣に声をかけるには、なにか気まずくてできなかった。声をかけても何を話せば良いやら想像できやしない。


 面倒な事には関わるな。自分にそう言い聞かせて、気づかれないようにその後ろ早を足で通り抜け、路地に逃げ込んだ。

 

 あの親子の霊とはどういう関係だろうか、だいたいの予想はついた。友嗣があの親子にお節介をしたに違いない。

 どうお節介をしたのかは知る由もないけれど、その結果は友嗣の姿を見ればすぐに分かることだ。


 泣いている友嗣の後ろ姿が脳裏をよぎる。


「ったく、ほんとバカだ」


 さっきまでも心地よさが台無しだ。

 思考を遮るように頭を掻きむしった。


 頭上を見上げて大きく背伸びをして息を吐いた。

 空は晴れ晴れとしているのに、幾重にも交差する電線が檻の中に閉じ込められたようで息苦しい。


 日の光を浴びた部分がほんのり熱を帯びる。

 どんな世界にも暖かさは残っている。


「そうだな……」


 友嗣に会ったら、またオカ研に誘ってやろう。

 

 ◯


 憂鬱な気分は拭えないまま授業を終えて放課後となった。

 あれから友嗣は登校していないようで会うことはなかった。


 オカルト研究部の部室向かうと、部室の前に女子生徒が立っていた。

 オカ研に用があるけどドアを開ける勇気が出ないのだろうか?

 しばらく様子を見ていると、アタシに気が付いたようで声を掛けてくるかと思ったが、すいませんと逃げるように去っていた。


 アレはなんだったんだ?


 疑問に思いながらも部室に入ると、既に来ていた部長、2年の常間凱とこまがいが慌ただしく棚に収めてあったファイルを漁っていた。

 

 常間先輩はアタシに気が付くとファイルを漁る手を止めて詰め寄ってきた。


「おお玲那! 良いところに来てくれた!」

「おい、何だよいきなり」

「トイレの花子さんを知っているか?」

「は?」


 突拍子もない問いに、思わず先輩に対して不躾な反応で聞き返してしまった。


 そんなことは気にもとめず、常間先輩は続ける。


「花子さんだ。花子さん。3番目の花子さんなんて言われたりもする。あの花子さんだ」

「何年も昔から主に小学校で語られている超ポピュラーな都市伝説である、あの花子さんか?」


 アタシは適当にオカルト雑誌を手に取りながら聞き返した。


「ああ、そうだ。あの花子さんだ」

「知っているが、それがどうしたってんだよ?」


 常間先輩はよくぞ聞いてくれました、と得意げに整った眉をあげた。


「玲那は入学したばかりで知らないと思うが、この七つ塚学園には七不思議があってだな。その一つにトイレの花子さんの噂話があるんだ」


 ふーんと興味なさげに相づちを打ちながら、オカルト雑誌に目をやる。学校の怪談特集と書かれている。


 ページをめくると、お約束のようにトイレの花子さんの項目があった。


 トイレの花子さんは日本全国知らない人はいない程の都市伝説だ。目撃談、体験談が数多くあり、いたるところで同時多発的に体験談が上がっている。


「トイレの花子さんなんて作り話だろ?」


 実のところアタシは怪異を見ることができても、都市伝説を信じているわけではない。

 全国で同時多発的に出現するあたり、流行に乗っかったただ作り話にしか思えなかった。


 でも、アタシや友嗣とは違い霊感なんて持ち合わせていないこの男は首を横に振り否定する。


「あながちそういうわけでもない。花子さんの噂話自体は昔からあったんだ」

「それどこ情報だよ」


 常間先輩は一冊の薄汚れたファイルを机に置いた。


「なんだよこれ」

「七不思議と言っても年代によって入れ替わりを繰り返して総数は1000を超えているんだ。それを歴代の部員たちがまとめたのがこの資料だ」


 オカルト雑誌を閉じて、ファイルを手にとる。背表紙には『七つ塚、七不思議怪奇録』と銘打たれている。


 最初のページを開くとぬりかべや河童のイラストが描かれていた。

 次のページには『消しゴムを隠す幽霊』と拙い字で書かれている。


「なんだよこれ、子供の落書きじゃないか」

「ああ、既存の有名な妖怪や消しゴムがなくなる、なんてことも怪異の仕業として書かれている。些細な出来事も含めて1000以上の怪異が記されているんだ。まぁ初めは子供が遊びで書き始めたんだろう」


 ある程度ページを進めていくと、拙かった字は切れのある整った字へと変わった。


「七つ塚学園はな、元々小学校だったのが高等学校に変わったんだよ。その時から受け継がれてきたようだ」


 アタシの疑問を察してか常間先輩は説明を挟んだ。


 そして、ある一文に目がとまった。


『1963年。赤いスカートの少女が学園内を徘徊していると目撃者多数。トイレに出るとの情報あり』


「これって……」


 たった一文だけだがトイレの花子さんと思しき記述だ。


「これが花子さんの原型だって言うのかよ?」

「いいや、花子さんの原型自体はもっと昔からある地方の怪談だ。その花子さんは尾ひれが付いて全国で語られる程の都市伝説なったわけで、その結果、学校に出る少女の霊はみな花子さんと呼ばれるようになってしまった。と俺は考えている」

「それで、七つ塚の花子さんがどうしたって言うんだ? そんなの見た事ないぜ」


 そこで本題だ、と常間先輩は嬉しそうな声を上げる。


「ここ二、三ヶ月花子さんを見たという人目撃談が増えているんだ。赤いスカートにおかっぱの少女が包丁持って追いかけて来たとか、便器に引きずり込まれそうになったとか、主に男子の間で広まってる噂話なんだけどな。何故、今になって花子さんは現れたのか、興味深いと思わないか?」


 常間先輩はやけに早口だ。こいつはオカルトのことになると少し周りが見えなくなところがある。


 それにしても“男子の間で”とは実に眉唾だ。


「ふーん、アタシは別に興味ない」


 素っ気なく返事を返す。


「おいおいおい。悪い怪異を退治するのが君の役目だろう? そして俺は怪異を見てみたい!」


 怪異なんてそう良いもんじゃない。見なくて済むならそれに越したことはないと思うんだが。


「実は以前にも花子さんについて調べたことがあるんだ。その時は目撃情報なんて一切聞くことがなかったし、ただの古い噂話思ったんだ」


 何かがある。常間先輩はそう確信を持って言う。火のない所に煙は立たないとは言うけれど。


「本当にいるのかねぇ……」


 懐疑的なアタシをよそに常間先輩はワクワクと胸を躍らせているようだ。


「ということで、本日はコードネーム:フラワーガールの噂を調査する」


 常間先輩はビシッと敬礼のポーズをとった。そこそこ良いガタイで以外と敬礼が様になっているのだが、ネーミングセンスがどうも痛々しい。


「フラワーガールって……」


 トイレットガールじゃないだけマシなのか?


「去年とは違い、霊感持ちの玲那がいることだし。今度は何かつかめる気がするぞ」


 そう言うと彼はニカッとはにかんで見せた。


 ◯


 という訳でアタシと常間先輩とで校舎へと向かった。

 時刻は午後18時、夕日が射す校舎はどこか哀愁を感じさせる静けさがあった。


 花子さんの目撃情報は多岐にわたる。トイレに廊下、保険室、図書室、体育館、校庭の植木のところで見た。とトイレに限らず学園内の至る所での噂がある。


 闇雲に探しても見つからないと考え、都市伝説の文脈に則って花子さんを呼び出すことにした。


 校舎の3階のトイレ、3番目の個室を3度ノックする。

 花子さんの代表的な呼び出し方だ。


 常間先輩が「せっかくだから4階のトイレから順に試してみよう」というので、それに従う。


 日は沈みかけて生徒は誰一人もいない。しんと静まり返っ校舎は昼間とは違い冷たい空気が支配していた。


 4階は音楽室、美術室、理科室と、見事に幽霊が出そうな教室が3つそろった階だ。

 きっと、夜中には独りでに鳴り出すピアノに合わせてモナリザは歌いだし、人体模型は踊るに違いない。

 そんな想像をしていると少し頬が緩んでしまう。


「玲那、やけに楽しそうじゃないか」

「別にそんなんじゃねぇよ」


 そんな常間先輩も怖がっている様子はなくにこやかだ。


「これから噂の幽霊に会いに行くってのに気が緩みすぎじゃないか? こういうのは雰囲気作りも大切なんだぜ。恐怖心が怪異を呼ぶんだ」


 そんなことを言っても恐怖心なんて微塵も感じてないアタシも大概だろう。

 常間先輩は心底嬉しそうにうんうんっと頷いている。


 本当に分かってるのかねこの人は。



 トイレの前について、男子トイレは常間先輩が、女子トイレはアタシが確認した。

 

 女子トイレは使用中の個室はなく何の異常もない普通のトイレだ。

 出ると先輩がすでに待っていた。


「一つ使用中の個室あった」

「マジか……」


 不幸か幸か一発で引き当ててしまったというのか?


 常間先輩と連れだって男子トイレに入る。


 3つ並んだ個室、入り口から3番目の個室が使用中になっている。

 手前の2つの個室は半開きになっていて誰もいないことはすぐに分かった。


 そっと扉の前に行き、先輩と視線があう。

 アタシが頷くと先輩は扉をノックした。


 コン、コン、コン。


「はーなーこさん、あーそびましょう」

「……」


 静寂が響く。怪異なんてそう簡単に遭遇するわけないのか。


 再びコンコンとノックする。


「すみません。誰かいますか?」

「……」


 反応はない。


 誰もいない校舎のトイレ。生徒か教師が入っているのか?

 人が入っているなら何かしらの反応が返ってきても良いはずだ。


「焦ったい」


 アタシは先輩を押しのけて扉をノックした。

 コンコンコンコンコン。


「……」


 コンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコンコン。

 

 執拗にノックをしていると突然、バンッと扉が開かれた。


「うおっ!?」 


 思わず仰け反ってしまう。すぐに体制を整え身構える。


 開かれた扉の中。切り揃えた前髪に赤いスカート。トイレの花子さんと言えば、多くの人が思い浮かべであろうそのままの姿がそこにいた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る