座比良と洞文

Aiinegruth

第1話

 座比良絶佳ざひら ぜっかは明るく染めたボブの髪を揺らして、三〇分遅れで待ち合わせの駅に現れた。女子大学生に流行りそうなもこもこした冬の装い。僕に向けられる申し訳なさそうな視線の下で、柔らかく形の良い唇が大きく開かれる。

「すみません、階段で転んじゃったおじいちゃんを三人助けて救急車を呼んでました!」

「もっとマシな言い訳があるだろ」

「私のお昼の弁当ちょっと食べさせてあげるので、許してください」

「脈絡なさすぎか」

「いや、飯分いいわけ……」

「分かりにくいボケ方をするな」

洞文うろぶみ先輩なら拾って下さるかと」

 洞文家うろぶみけ座比良家ざひらけは、探偵や文筆家を輩出する家柄だ。古くから付き合いがあって、絶佳ぜっかは探偵事務所を立てて三年目の僕の助手兼幼馴染だ。信じられないくらいの遅刻魔で、待ち合わせすると何かしらトラブルに巻き込まれたような顔で最低一五分はやらかしてくる。その優れた容姿と世界の何より魅力的な白い口元に免じて何でもかんでも許していたのは中学校の頃までだ。周囲の、凡人が美女をいじめていますよー! みたいな目は関係ない。美人は三日で飽きるというから、一般的なそれより数百倍よろしいらしい彼女の美貌に、僕は勝利して、いまやこてんぱんに叱ることが出来る。

 それなりに混んだ在来線がはらむ朝の熱気。隣でボブの髪を揺らす絶佳ぜっかに、お前は座比良家ざひらけの末席なんだぞとか、そんなことで大学卒業をダメにしてもらったら困るとか、二五歳にしては小姑みたいな言葉をいくらか並べ立てたところで、彼女はクリップで留められたコピー用紙の束を差し出してきた。

「読んで、おかしな表現や誤脱字をみてください、先輩」

「小説か」

 うひー、やっぱ緊張する―、と、整った顔を隠すように握られた紙をひったくって確認すると、『探偵が来る前に(ZZ)』と表題が印字されている。座比良家ざひらけとしてはいい傾向だが、僕へのあてつけみたいなタイトルだ。事務所の買い出し先の駅まではまだ遠いから、時間はあった。鞄から赤ペンを取り出した僕は、眼鏡をくいっと持ち上げる。真っ赤にしてやるぞという意志が伝わったのか、息を呑む彼女。数秒後、1ページ目をめくった僕の耳に悲鳴が響いた。


 助けて、前の車両でひとが死んでいる。


 今までの全ての流れをぶん投げて立ち上がったのに、洞文うろぶみの血を感じながら、僕は絶佳ぜっかにそこで待っていてくれ、と声をかけた。彼女は驚いた様子だったが、恐怖するでもなく、少し行儀の悪いがっかりとした感じを全身から滲ませている。

「あとで確認する」

 紙を彼女につき返して走る。洞文うろぶみは犯人を暴く。現場を確認し、知り合いの県警に電話をかけると、やじ馬を引かせて現場を保全する。死んでいたのは、席に座ったままの細身で壮年の男性。外傷はないが、口から何らかの液体が漏れ、白目で天井を向いている。僕は、慌てた様子の人々に向かって、いくつかの難事件の解決のために世間で売れた名前を口に出す。

「落ち着いて下さい。僕は洞文徒路うろぶみ とろ、探偵です」



 


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