いいわけハニー

lager

いいわけ

「いいわけばっかりしてないで、少しは親を安心させてちょうだい」


 電話口から聞こえる母の口調は、相変わらず喧しい。

 

「あなたが翻訳の仕事で忙しいのは知ってますけどね。もう私たちだって長くないんだから、孫の顔の一人や二人や三人や四人や五人や六人見せてくれたっていいじゃないの。それなのにあなたときたら盆と正月にでもならなきゃ連絡一つも寄こさないで。たまにこっちからかけてあげたら、なに? 特に変わりないって? もう何年同じセリフを聞かせるつもりなの。あなたが変わるのを待ってる間に私たちにお迎えが来てしまいますよ。お父さんの知り合いの方にお見合い相手を見つけてもらいましたから、今度の週末はウチに帰っていらっしゃい。ああ、それとお祖父さんの十七回忌ですけどね。今回群馬の人たちがお子さんたちを連れてくるっていうから――」


 ん?

 んん?

 ちょ、ちょっと待ってくれ。

 適当に聞き流して相槌を打っていたせいで流しそうになってしまったが、今何かおかしなことを言われなかったか?


「――もう上の子が幼稚園の年長さんになるんですって。ついこの前離乳食を卒業したばっかりだと思ってたんですけどねえ。ほら、昨年は向こうのお家でご不幸があって年賀状も届かなかったでしょう。よそのお家のお子さんなんて二年も見ないとすっかり大きくなっちゃって。それで、あなたの部屋を今年は子供部屋にしようかと思っているんですよ。殺風景でなんにもないけど、かえって好きに使えるでしょう。ああ、そうだ。どうせだからあなた、年長さんの子が読めるような絵本かなにか持ってきてもらえないかしら」


 ダ、ダメだ。全く会話を切るタイミングがない。

 この人は昔からこうだ。俺が会話下手になったのが自分のせいだという自覚がないのだ。

 絵本なら丁度イギリスの良いものを先日手に入れたから、それよりもさっきの話を詳しく――。


「じゃあ、今週の土曜日、待ってますからね。きちんとしたお相手ですから、あなたもきちんとした格好できてくださいね」


 ぶつり。


 俺はしばらく呆然としたまま、スマホを握りしめて立ち尽くしてしまった。



「あら。どうしたのヤナさん。いつにも増して背筋が曲がってるわよ」

「あ、あ。ちょ、っと」


 俺が途方に暮れたまま、新聞の朝刊を取りに部屋を出たところで、アパートの管理人であるクミさんに捕まった。かくかくしかじかと事情を説明しているうちに、クミさんの頬が徐々に持ち上がり、ついに堪えきれなくなった笑いが噴き出した。


「ヤナさんがお見合い!? あっははははは。いいじゃない、いいじゃない。行ってきなよ」


 そう簡単に言われても困る。俺は四六時中本に囲まれた今の暮らしに満足してるんだ。今更パートナー選びなんて。それに相手の女性だって、向こうの親に言われて仕方なく話を受けたんだろう。それでこんな男が出てきたんじゃ可哀そうだ。


「なによ、そんなこと。まだ五日かそこらあるんでしょ。ちゃんと準備していけばいいじゃない。まずは体をしゃっきりさせなきゃ」


 むむ。確かに、俺の運動不足は成人として深刻なレベルだ。

 まずはこの曲がりきった姿勢を良くする練習からしたほうがいいかもしれない。


「そうと決まれば話は早い。ゴロウさーん」


 そう言ってクミさんは、アパートの庭先でラジオ体操をしていたご隠居に話を振った。このご老人は筋力トレーニングが趣味で、もう七十過ぎとは思えないほど引き締まった体つきをしている。


「なんだ、ヤナ坊が見合い? んはははは。いいじゃないか。そうだな。確かにもう少し見栄えを良くしてやったほうがよかろ。よし、俺に任せろ。三日でイギリス近衛兵の行進にも入れるようになるぞ」

「い、いや。俺は、多少、運動不足の、解消ができれば……」

「そんなもん塵も残さず解消してやる! さあ来い! まずは走り込みからだ!!」


 ああああああ。


 そして、首筋から足の指先まで、全身至る箇所が筋肉痛になった俺は、その地獄の痛みが引いたころには、自分でも見違えるほどに姿勢が矯正されていた。

 人体科学の魔法だった。


 さらにはアパート内の他の住人にまで話が広がり、俺と歳の近いショップ店員からは発声法を教わり、若者二人からは髪型のセットと服装のコーディネートをされ、出来上がった俺の姿はもはや別人のような有様だった。

 これはもう詐欺ではないのか。


「おー。いい感じね、ヤナさん。それなら取りあえず見た目でNGってことはないでしょ」

「からかわないでくれ」

 満足そうに頷くクミさんに、俺は少しばかり恨めしい気分になる。だが、ここまでお膳立てをしてくれて感謝しないわけにもいかない。なんとも複雑な心境だった。


「そういえば、シズクさんも今度お見合い行くって言ってたのよね。ぶーぶー文句垂れてたけど、一回行っておけば親もひとまず満足するでしょ、って、昨日から泊りで実家に帰ってるみたい」


 シズクさん、とは、やはり同じアパートの住人だ。この『くわがた荘』の中では恐らく一番年収が高いだろう彼女は、プロの作家である。

 翻訳の仕事をしている俺とは多少の接点があるが、正直言って俺は彼女が苦手だった。酒癖は悪いし気性は荒い。向こうは向こうで俺のことを辛気臭い根暗な男だと思っているようだから、お互い様といえばそうなのだが、そんな彼女でも親の「結婚はまだか」には弱いのだな、と思うと少しばかり親近感が湧いた。


「じゃあ、気を付けて行ってらっしゃい」


 そう言ってアパートの住人たちに見送られた俺は、数年ぶりに実家に帰省したのだった。


 さて。

 こんな話をしていれば、この先の展開に察しの付く人は付くだろう。

 

 実家に帰った俺を出迎えた母は変わり果てた俺の姿に全く気付かず三分間他人扱いを続け、ようやく自分の息子であることを認めたあと、ろくに説明もせぬまま俺を車に乗せて連れ出し、今後二度と来ることはないであろう高級ホテルのラウンジに押し込んだ。

 そして待つこと小一時間。

 いかにも厳格そうな顔つきの和服の女性に伴われ、神妙な顔つきで俺の体面に座ったのは、普段とは見違えるように着飾られたシズクさんだったのである。


 というか普通に見違えたので、俺は初めそれがシズクさんだとは気づかなかった。

 普段の眼鏡を外し、コンタクトレンズを入れているのだろう。度の強い眼鏡をかけた姿に見慣れているせいで、意外なほど彼女の目が大きく見える。

 いつもぼさぼさと伸ばし放題にされている髪にはストレートパーマがかけられ、品の良い雰囲気を作り出していた。


 そしてそれは向こうも同じだったようで、シズクさんが俺に気づくのと、俺がシズクさんに気づいたのはほとんど同時だった。


「あ」

「ん?」

「え?」


 私たち二人が思わず声をあげ、それに互いの母親が反応する。


「あら、あなたたち、ひょっとしてもう面識が?」

「え? いや、そんなことは……」


 恐らくは咄嗟に否定してしまったのだろうが、シズクさん、ここまで露骨に反応してしまっては、否定したほうがかえって怪しまれる。


「ああ、僕ですよ、シズクさん。出版社でご一緒したことがあったでしょう」

「え。あ。あー。はいはい。そうか、道理で見覚えがあると思いました。すみません、すぐに気づけなくて」

「いえいえ。こちらこそ」


 俺の意図を察してくれたか、話を合わせてくれた。そしてそのやり取りに、母親二人のテンションが目に見えて上がった。


「まあ。まあまあそうでしたの。嫌だわ。ウチの子ったら全然仕事の話なんて教えてくれないものですから。そちらのシズクさんは作家さんなんでしたわよね? どういったお話を書いてらっしゃるの?」

「それが、なかなか教えてくれないんですのよ。恥ずかしいからって、全然。ねえ、ヤナイさんはご存知なのでしょ?」


 びくり、とシズクさんの肩が震えた。

 なるほど、自分が官能小説しか書いていないことは言っていないわけか。まあ当然だろうが。


「ええ、小説を書いていらっしゃるんですよ。確かに、身内に読ませるのが気恥ずかしいのは分かりますから、どうか追及しないであげてください」

「あら、そうなの。初めて聞いたわ。やだ、あなたそのくらいのこと教えてくれてもよかったじゃない」

「やめて、母さん。今どうでもいいでしょう」

「もう、この子ったら」


 しばらく薄氷の上を渡るような会話を続け、じゃあ後は若いお二人でと、今どき本当にそんなことを言うのかと聞き返したくなるようなセリフを残し、お互いの母親は席を外した。


 しばし、無言で目線を逸らし続け、母が会話の聞こえぬ場所まで離れたことを確認する。


「で。あんた。どういうつもり」


 先ほどまでは別人のような、しかし、俺にとってはよく聞き慣れた声で、シズクさんが凄みを効かせてきた。


「俺は何のつもりもない。そっちだってそうだろう」

「ていうか、何よ、その喋り方。あんた普通に会話できたの?」

「ハジメさんに矯正してもらったんだ。正直、かなり無理をしてる」

「ちっ」


 ガラが悪いどころじゃないぞ。

 こっちこそ詐欺にあった気分だ。

 せっかくさっきは助け舟を出してやったというのに。


「ねえ。一応聞くけど、あんた、私と結婚する気ある?」

「ない」

「即答してんじゃないわよ」

「そっちはどうな――」

「ありえないわ」

「食い気味に……」


 ふぅぅぅぅぅぅぅ、と。ヨガか何かの呼吸法のように深く息を吐き出し、シズクさんが改めて真剣な目を向けてきた。


「じゃあ、利害は一致してる、ってことでいいのね?」

「利害?」


 今すぐここから逃げ出したい気持ちなら一致していると思うが。

 母には悪いが、シズクさんが出てきた時点でこのお見合いは失敗している。いや、最初から破綻していたとさえ言っていい。


「だから、あんたも結婚相手なんか探してなくて、親から余計なお節介かけられて迷惑してる。そうでしょ?」

「まあ、そうだ」

「ここで適当な理由つけて話をなかったことにしたって、どうせまた次の相手探してこられるわよ。だったら、ちょっとでも時間稼ぎをしておいたほうがいい」

 

 言っていることは分かるが、時間稼ぎと言ったって、こんな場所にいつまでも居座り続けるわけにもいかないだろう。


「察しが悪いわね。だから、取りあえず今回は顔見せだけだから解散しておいて、そっちから私に連絡をするのよ。それで何回か一緒に食事でも行ったことにして、うまくいってる振りをするわけ」


 親を騙せというのか。

 しかもなんで俺からアプローチをしたことにしなければいけないんだ。


「ふりでもなんでも私があんたに気があることにするのは我慢ができないわ。それで、そのうちあんたが適当に他の女作って私を捨てるのよ。そうすれば私は失恋したことでしばらく男を遠ざける大義名分ができるってわけ」

「俺が偶然そっちの本当の仕事を知ってショックを受けるというのはどうだ」

「ぶっ殺すわよ」

「いいか。カードを握ってるのはこっちだ」

「あっそ。あーっそう。そういうこと言うんだ。じゃああんた、この前夜中に職質受けてアパートの人たちに迎えに来てもらったこと、ご両親には報告したの?」

「待て。落ち着いて話し合おう」


 そして、俺たちの不毛な言い争いは続いた。


「俺は生まれてこの方異性にアプローチなんかしたことはない。それこそ親に怪しまれる」

「その初めてを捧げたくなるほど私が魅力的だったってことでしょうが」

「リアリティがなさすぎる。本当にプロの作家なのか」

「喧嘩売ってんの?」

「そっちが他所に男を作ればいいだろう。それか、ハジメさんなんかどうだ」

「くわがた荘で選んでいいならマー君でしょ」

「やめろ。彼を巻き込むな。まだハタチなんだぞ」

「なんで自分のことより必死になってんのよ」

「とにかく、上手くいってるふりをするのはいい。だから、別れるときは穏便に別れよう。阿刀田高の小説みたいに」

「やだ。有川浩みたいなのがいい」

「歳を考えろ」

「刺すぞ」


 どうして俺たちは交際する前から別れる時のいいわけを考えているんだ?

 いや、実際に交際はしないけれど。


「だから――」

「いいから――」

「そっちが――」

「あんたが――」


 しかし、喧々諤々とした口論は、離れてみれば随分会話が盛り上がっているように見えたらしい。

 にこにこと笑みを浮かべて互いの母が席に戻り、取りあえず今日はここまでにしておきましょうということになった。


「ぜひまたお話させてください」

「こちらこそ、宜しくお願いします」


 顔に渾身の力を込めて愛想笑いを作り、俺たちは別れた。




「いい人そうだったじゃない」

「あ、あ。今度、連絡する」

「よかったわ。私はホッとしました」


 せっかくハジメさんに矯正してもらった話し方も、もう保つのが限界だった。

 喉がガラガラだ。

 ああ。早く自分の部屋に帰りたい。

 予定では実家に一泊するつもりだったが、無理を言って帰ってしまおうか。


 しかし、実家に戻って父に次第を報告した俺は、そこで驚くべき話を聞いたのである。



 翌日。


「あら、ヤナさん。お帰りなさい。どうだった、お見合い?」

「とぼけ、ないで、くれ」


 俺とシズクさんがお見合いをすることになった元凶は、大家のクミさんだったことが分かったのだ。

 クミさんのご両親と俺の父が古い友人で、そもそも俺がこのアパートに入ったこともその縁によるものだった。更には、クミさんは個人的にシズクさんのお母様とも面識を持っていたらしい。


 互いの家が自分の子供の結婚について悩んでいるらしいと話を掴んだクミさんは、互いの家には内密にこのお見合いをセッティングした。そして、素知らぬふりをして俺を焚きつけ、送り出したのだ。

 全く、酷い話もあったものである。

 普段の俺たちの様子を見て、どう考えればパートナーに成り得ると思ったのか。

 ましてや、アパートの人たちまで巻き込んで。

 

 俺は珍しく憤慨していた。

 さあ、クミさん。いいわけの一つでも聞かせてもらおうか。


「え? なんか面白そうだったから」


 俺の背筋が、元に戻った。

 

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