第2話
ぼくはそれほど馬鹿な人間ではない。こざかしいことは今まで何度もやってきたし、人に嫌われない程度のずるをいろんなところでしてきたくらいには頭の回転は速いと思っている。しかしさすがにこの状況ですぐさま人を――しかもほとんど家族のような人間を――完璧にだましとおせるような言い訳をこしらえることは難しかった。
だから言葉を、そして頭を必要としない空のパロールとにらみでやり過ごすしかなかった。
「まず君がぼくを途方もない変態だという、ふざけた勘違いに対する謝罪の一言もないというのが全く不愉快だ。まず一点、そのなめた態度を改めてくれ」
こんなにも空っぽなおしゃべりをまともにとってしまうくらいに、頭の中が空っぽなくだらない野郎どもを手玉に取ってきた立ち振る舞い、風格を前面に出す。十指に収まらない数の野郎どもは目の前にいる美少女のすべてが虚ろであることに気づくこともなく、それどころかぼくの手のひらに完全に踊らされていた。その技術を駆使して彼をだます。
「第二にきみとはずいぶん長い仲ではあるが、実際には単なる友人に過ぎないんだ。ぼくがここで女装をしているということは事実であるし、きみにとってはナンパ待ちをしているように見えたかもしれない。事実は全くと言っていいほど異なっているのだけれど、でもきみが何か言う立場ではないよね。きみはいったい何の権限でぼくに口をきいてくるんだ」
ぼくはこれまでに凡百の女どもを食い漁ってきた、脳と下半身が直結しているように思われる野郎どもを泣かせてきた人間である。舌戦でこんな男に負けるはずがない。
第一ぼくの知る限りこの男は彼女いない歴=年齢のかわいそうな男であるはずである。見た目はそれなりのくせに女気など一切ない、残念な野郎である。
そう考えて、一つぼくの頭に思い浮かんできたことがあった。
「もしやきみ、ぼくの顔を見て恋心か何かを抱き、暴走したんじゃないだろうな」
思えばこの男が学校の女とまともに会話している姿を見たことがない。大学では女と話していることもあるのかもしれないが、高校までは一度だって見たことがないし、今でさえ彼女ができているような素振りは見せない。
「はは、わかったぞ。こんなにカタブツなふりをして、ぼくの美少女ぶりに当惑したんだろう。だからあんなに突然寄ってきて、説教臭いことを言ってきたんだろう」
てっきりこいつはまともな倫理観で動いているまともな人間であると思って恐れていたが、しかしどうにもそれは間違っていたらしい。こいつも結局のところそこいらの野郎と変わらず、ぼくの見た目に幻惑されただけの馬鹿にすぎないのだ。
全く、緊張して損した。
「ふふ、きみがぼくの見た目に興奮してしまっているのは仕方ないとは思うさ。きみだって所詮は男だし、それに女耐性はほとんどないだろう。それを責めるほどぼくは狭量じゃない」
このままいつも通り丸め込めば何も問題はない。というか、このいつも偉そうに干渉してくるこの男を安全圏から馬鹿にできるのだから、とんでもない棚ぼたである。
「それにきみとは仲がいいからな。……もしきみが、ぼくに魅了されて我を失ったと認めるのだったら、今日一日ぼくをきみの自由にしてもかまわないよ。きみが、そんなに真面目腐った顔で、無様な真似をしたっていうんだったらだけどね」
はぁぁぁ、人を煽るときと、人にほめたたえられる時ほど生を実感できることはない。
男として体格顔面性格その他もろもろすべてにおいて負けているぼくが、この男をこんな風にバカにできるだなんて、おかしくなってしまいそうなくらい気持ちの良いことだ。
快感にたえきれず、四肢を震わせるぼくは彼の、事実上の敗北宣言を待っていた。
「…………あぁ、おれは、お前が、あんまりにも可愛らしかったから、理性を失った」
その瞬間、ぼくの身体じゅうに法悦が駆け巡った。ぼくの意識はあまりに有頂天になり、ぼくの身体の内と外との境界すらよくわからなくなり、空を飛んでいるような感覚が一瞬にして生まれた。にやけが止まることも、震えが止まることもなかった。
「ふふ、ふふふ、ねぇ、顔を上げてくれよ恥ずかしがらないでさ。いっつも真面目ぶってるきみが、性欲にまみれてる顔をさ、見せておくれよ」
吐息が荒くなる。涙が自然と零れ落ちてしまう。あまりにも強い快楽が、体の中には収まり切れず涙となって飛び出してしまうのである。
「お前って、ほんと性格、悪いよな」
徐々に彼が顔を上げると、涙だけでは収まらず、声も少しずつ漏れていく。
うつむいていた彼が、ようやく顔を合わせてくれる、その瞬間。彼は突如としてスマホを突き出した。
「俺はお前が何年も裏垢で如何わしい自撮りを上げていることを知っていた」
「……へ?」
その言葉は一瞬理解できず、少し遅れてそのスマホの画面を見つめた。
そこにはぼくが高校生の頃に始めた、SNSのだいぶアレな裏垢が表示されていた。
「お前がちょっと前からナンパ待ちをし始めたのも知っていた」
「……ぇ」
「第一お前が人を馬鹿にして喜ぶ人間だということは、小学生のころからわかっていた」
そこまで言って彼は一呼吸。そしてぼくをお姫様抱っこする。
「じゃあ早速ホテルに行こうか。今日一日、俺の自由なんだろ」
「ぇ……、え……?」
ぼくですら見たことがないくらいにさわやかな笑みを浮かべた彼は、遅れて抵抗し始めたぼくを抱えたまま、怪しく光る街へと連れていくのであった。
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