良い訳ない言い訳

セントホワイト

良いわけない言い訳

「ねぇ? いったい何度言えば解るの?」


 いったい何度目かの言葉で私を糾弾するのは妻の声だった。

 付き合って半年程。お互いそれなりな年齢だったこともあり、次を考えるのも億劫だった私は何となく一緒に居て気が楽だった彼女と結婚した。

 同僚や先輩は結婚したら、子供が出来たらという枕詞をつけながら女性の変化について何度も愚痴を溢していたが当時の独り身には共感など出来なかった。

 私は面白味のない人間だと、自他ともに認められるほどに遊びが無い。

 酒に溺れるほどに酒を知らず、女性と日夜遊ぶほどの女を知らず、賭け事に熱中できるほどの熱を持たず、趣味と呼べるほどに時間を忘れるモノもない。

 人生に彩りと厚みを持たせるものが私には無かった。

 そんな私にも一緒に暮らす女性が出来ると、見えていなかった部分が発見されるものだ。


「……なにが?」

「なにって……タバコ。辞めてって言ってるでしょ? 臭いもつくし身体にも悪いのよ? しかも自分だけじゃなくて周りの人の健康だって悪くするんだから」


 台所の換気扇がブンブンと動き、口から吐いた煙とタバコから出ている煙が吸い込まれて外へと排出されていく。

 タバコを吸うのは悪だと頭ごなしに言われていたのは昔のこと。残念ながら今では科学的に健康面や依存性、金銭面など悪い部分を挙げればキリがない。

 例えばニオイ。タバコを吸ったニオイは非常に付きやすく、部屋や車で吸ったものなら簡単にその臭いをつけてしまう。さらには煙に含まれるヤニによって色がついて汚れてしまう。

 ヤニはタバコに含まれているタールと呼ばれる有害物質の樹脂であり、部屋中が有害物質塗れと考えると吸わない者ならば生活をしたいとは思わないだろう。

 例えば依存性。タバコのニコチン依存性といえば名前のどことなく可愛らしい名前を持ちながらその正体は可愛らしさのかの字も感じられない悪質さがある。

 このニコチンに一度嵌ると吸っていないと不快感に襲われ、またタバコに火を灯してニコチンを摂取したくなってしまうのだ。

 例えば金銭面。タバコの値段は上がり続けているが、タバコの値段の大半はたばこ税という税金が消費税の他にも課税されている。

 タバコに火をつければ「どうだ明るいだろう?」と言いたくなるほど悪魔的手法によって財布を軽くしてくれる。


「……ふむ。キミの言いたいことは分かった。かつてWHOの人がこう言った。たばこは最大の殺人者だと。これはそれほどまでに人体に悪影響を与えることを伝えるためだ」

「そ、そうよ」

「ニコチンによる依存性。タールやシアン化合物による有毒性。一酸化炭素は地球温暖化にも関わることだ。吸い続ければガンや心臓病などを発症しやすくなるし肺も黒くなってしまうのは今では周知の事実だ」

「分かってるじゃない」

「昨今では禁煙者などのタバコを吸わない人に配慮して喫煙スペースや喫煙できないお店も非常に増えてきている。もし吸えたとしても電子たばこや加熱式たばこしか吸えないだろう」

「吸わなきゃいいのよ」

「キミは詳しくないかもしれないが、タバコにも大きく種類があってね。昔の映画の悪役が吸っている葉巻きたばこシガーや、日本でも昔に流行ったタバコの葉を刻んでパイプなどの器具を使った刻みたばこ。遡れば噛みたばこや嗅ぎたばこ、水たばこなんて物もあるんだ」

「……だから? さっきから何が言いたいのよ?」


 長い話に聞き飽きた彼女はこちらの結論を急かしてくるので私はタバコを一度ゆっくりと吸い込み、そして吐き出した煙が排気口に流れていくのを見ながら言う。


「私はね。たばこを吸ってるんじゃないんだ。歴史を吸ってるんだよ」

「知るか! 歴史より健康のほうが大事に決まってんでしょうがっ!」


 スパンッ! という鋭いキックが尻へと打ち込まれるのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

良い訳ない言い訳 セントホワイト @Stwhite

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説