第3話 ラボ
須藤家の敷地に入り、
「どうなの?そろそろあいつを殺せる手段は思いついたわけ?」
「とりあえず1つ目の手段を試しているところだ」
おりこは、博士が1か月間毎日焼肉を食べ歩いていたことを当然知っている。博士が毎日焼肉の領収書をおり子に請求していたからだ。1か月もの間何も聞かずに焼肉代の領収書を受け取っていたおりこも雇用者として素晴らしいが、さすがにこれ以上は待てないといった面持ちだ。
「そろそろ説明してくれないと、もう焼肉代払ってあげないわよ!」
どうやら焼肉代はおりこの小遣いから払っているらしい。こんな研究室を簡単に準備できるくらいだから小遣いも相当な金額になりそうだが。
「焼肉代はもういらない。ただし1週間以内に別の手助けが必要になる」
「どういう意味?」
「今はまだ知らない方がいい」
「…1週間まてばあいつを殺すアイディアが出るのね?」
「あぁ。かならず」
「ならいいわ」
そう言うとおり子は研究室から出ていった。心なしか、研究室にくる前よりも気分がはずんでいるようだ。
「ふぅ」
雇用主を機嫌よく返すところまでは成功した博士だが、正直O157で教授を殺すのは難しいだろう。実際の感染事例を見ても死亡率は感染者全体の10%にも満たない。その10%の感染者たちも小児や高齢者などの、抵抗力が弱い人たちだ。1つ希望があるとすれば教授が55歳と、多少高齢なことだが、抵抗力が弱るほどの高齢だとも思えない。だが何事もトライしてみないと始まらない。そんなことを考えていると大学院生だったころの嫌な思い出がよみがえってくる。
――そんな発想でうまくいくわけないだろ。
――でもやってみなくちゃわからないじゃないですか!
――博士くん、きみとの議論は時間のムダだ。さっさと指示した実験をやってきなさい。
その時、博士は結局、指導教員の言うことを聞かずに自分のアイディアをごり押しした。指導教員が指示した実験は、博士に論文を書かせるためにやらせていた小さなプロジェクトに関するものだったのだが、その実験をやった記憶はない。博士はもはや、自分のアイディアから始めた実験がうまくいったかどうかも思い出すことはできなかった。腹の調子は悪くない。
次の日も腹の調子は相変わらずだった。この間に博士に使うことを許された実験室について説明していこう。須藤家の広大な敷地の端っこにある一軒家。その1階の隣り合った2部屋が博士に割り当てられている。1つの部屋が博士の居室でワンルームふたつ分の広さといえば分かりやすいだろうか。部屋に入るとすぐダイニングルームがあり、その奥に12畳の寝室兼リビングがある。ダイニングルームにはキッチンがついており、その向こうにはトイレと風呂がある。リビングにはデスクとベッドが備えつけられており、それ以上の家具は購入しておらず、がらんとした空間のままだ。もともとこの一軒家はおりこ専属の使用人がつかっている建物であるため、掃除やごみ捨てに関してはその使用人がやってくれている。
研究室の方を見ていこう。居室を出て廊下を右に進むと、研究室。研究室と居室は隣り合っているため、ドアは廊下の右側。開き戸だ。ここでスリッパから実験室用のスニーカーに履き替える。できればクロックスがいいのだが、秘密裏に殺人兵器を研究している研究室で怪我をするわけにはいかない。なぜこの細菌に感染したのか?そんなことを病院で根掘り葉掘り聞かれるだろう。警察に通報されたらおしまいだ。
こちらの部屋も居室と間取りはほぼ一緒。ダイニングルームとなるスペースにデスクがおいてあり、リビングが実験室になっている。実験室には棚付きの実験用の机とバイオセーフティーキャビネットが背中合わせに設置されている。施工業者は須藤家のお抱えらしい。おりこの両親がバイオセーフティーキャビネットが記載されている明細を確認していないことを祈ろう。放任主義の両親もさすがに困惑するだろう。博士はこの自分専用の研究室を「ラボ」と呼んでいる。現在はO157を採取するキットや、分離するための培地や器具が準備できているか確認している。インキュベーターの温度も37℃にセットしてある。準備は万端だ。博士は腹の調子が悪くなってきた気がした。
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