おひとりさまランチ
杜村
妻よ
定年まであと3年、最後は東京本社で事務仕事かなと思っていたら、まさかの宇都宮工場に配属されたのが去年の8月。
全国転勤は承知の上で就職した会社だが、これまで西日本から出たことはなかった。上の子が高校に進学するタイミングで最初の単身赴任となり、下の子も無事に大学に合格して、ようやく妻と暮らせると思っていたのだが。
一人っ子である妻の母がその頃に体を壊し、福岡の実家で同居することになってしまった。
「毎月行くから。あ、毎月だと交通費がかかりすぎるかな」
「うーん、一人暮らしにも慣れたし、毎月じゃなくてもいいよ」
ああ、あんなこと言うんじゃなかった。
引越しの手伝いのために一緒に来た妻は、連日38度越えという暑さに負けて逃げ帰った。福岡だって暑いと思っていたけれど、確かに北関東の暑さはキツかった。
そして冬。最低気温がマイナス7度を下回ったころから「お母さんに風邪を移したらいけないから」と来なくなった。
今は春。ベランダの隅に黄色い花粉が溜まっていることに驚いて写真を送ったら「花粉症がひどくなったから」と引かれた。だよな。俺も毎日鼻水タラタラで目も痒いよ。
「でも、宇都宮城址公園の桜は河津桜だから、桜まつりが早いよ。どう?」
「わあ、河津桜って綺麗よね!」
「イチゴもいろんな品種が並んでるよ」
「イチゴ! いいなあ。栃木県が出荷量日本一だもんね。でも、こっちにもあまおうがあるし」
しまった。イチゴは福岡県が2位だった。
結局、もうちょっと暖かくなってからと言われて、今月も妻は来ないことになった。
週末は家事に追われていたから、週初めの今日の昼食は、1人でちょっと高そうな和食屋に来てみた。前から気になっていたのだが、ランチでも2000円というので躊躇していたのだ。
店に入って驚いた。客の女性率の高いこと。年配のサラリーマンもいるにはいるが、女2人連れがほとんどだ。それも、日替わり定食ではなくランチコースとやらを注文している客が多いではないか。コースは3800円からだというのに。
今日の日替わりは銀鱈の西京焼きだというので、俺としては十分喜んで注文したのだが、デザートが付かないのは惜しい。先客が食べているスカイベリーのムースとやらが、やたら美味そうなので、つい見てしまう。
妻は、ムースだのプリンだのといったデザートが大好きだ。こっちに来たときにこの店に連れて来たら喜ぶだろう。
玄界灘の魚は格別だが、海無し県の魚もなかなかのもので、定食に付いてきた小皿の刺身も美味い。それに何より米が美味い。これはどの店で食べても外したことがない。
来月も末になるとゴールデンウイークだ。新幹線が混むからと言い訳されるかもしれないな。
それでも、次に妻が来るときのために、連れて行きたい場所を探す日々なのである。美味しいものを1人で食べてズルいと言われるかもしれないが、俺は知っているぞ。お母さんの体調がずいぶん良くなって、2人で外食も楽しんでいることを。いや、それはそれで喜ばしいことなのだがね。
おひとりさまランチ 杜村 @koe-da
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます