特製プリンと悪夢

宮塚恵一

尾々間くみ子のご馳走 ~特製プリンと悪夢~

「さて、どうしたものか」


 赤木ジョイは困っていた。

 彼の目の前にあるのは、空のプリン容器ひとつ。そしてその中に入っているキャラメルが少し付いたスプーン。


 ジョイは改めて、プリン容器の蓋を見た。


 そこには油性ペンで“くみこ”と書かれていた。

 間違いなく、このプリンはジョイの後輩のくみ子のものだ。それをジョイはぺろりと平らげてしまったのだ。


「待て待て、言い訳させてくれ」


 ジョイとくみ子が所属する、オカルト研究会「百目鬼サークル」の部室で、ジョイは誰にともなく弁明を始めた。


「このプリンは、サークルで共有している冷蔵庫にあったものだ」


 ジョイは百目鬼とどめき倶楽部の冷蔵庫を開いた。


「そして冷蔵庫の中には、誰が手を出しても良い共有棚がある。飲み物であったり、教授の買ってきたお菓子であったりだ。そこにあるものは誰が食べても良いし、誰が買い足して来ても良い。実際、俺もよく調査先でお土産に買ったお菓子を入れている。それをくみ子が食べている様子もよく見るな」


 それがそう。先日、サークルのメンバーが増えたものだから、冷蔵庫の中の整理をしたのだ。


「個人で保管したいものは、共有棚には入れず、名前を書いて別の場所に置く。だが、冷蔵庫内の整理をした時に、このプリンがだな、共有棚の方に置いてあったんだ」


 ……と、ジョイは断言できない。

 つい先程、倶楽部の活動出張から戻り、疲れを感じる中、冷蔵庫の中にあるものに手を伸ばしたとことまでははっきりしている。

 しかし、先程食べきってしまったこのプリンが果たして共有棚に置かれていたのかどうかは定かではない。


「馬鹿な。この俺が疲労困憊しているからと何も考えずに甘味かんみに手を伸ばしてしまうとは……。いや、美味だった。とても美味かった。濃厚なキャラメルと口に入れる瞬間にほどけてしまうくらいに繊細なカスタードが口の中で混ぜられた時、それはそれは脳細胞に届くような甘味あまみを感じたものだ。流石に郭夜夢堂かくよむどうの限定特製プリン。たかがカスタードプディングと侮っていたが、わざわざくみ子が富山から取り寄せるだけはある──そうではなく」


 問題は、その、くみ子がわざわざ遠方から取り寄せたほどのプリンをジョイが食べてしまったということだ。

 借りの作りっぱなしはしない。他人との人付き合いがあまり得意とは言えない、ジョイの信条だ。誤って他人の食べ物を食べてしまったというのは、他人に対する大きな負債である。


「そう。だから、その負債を帳消しにできるだけのものを用意できればいいだけだ。この間は俺の因習村調査に協力してもらった代わりに喫茶店の特大パフェを奢ってやったし、プリンを食べてしまったというなら、こちらで改めて取り寄せ直し、もとあったものは素直に、誤って食べてしまったと詫びればいいだけの話だ」


 それだけの話である。なくしてしまったものがあるなら、代わりのものを用意すればよい。壊してしまったものがあるなら、相応の弁償をすれば良い。


「そうだ。俺は何を恐れている。それで話は終わりだ」


 全く、普段しないミスをした時というのは、人間、普段ならありえない狼狽をしてしまうものだ。


「まずは空の容器はしっかり洗って捨てなければ……」


 ジョイは独りごちながら失笑し、プリンの空容器に手を伸ばす。

 ──そしてギョッとした。


 空容器の中に、人間の顔があった。


 その顔は、ジョイの方を見るとニタリと笑って、口を動かした。


「お前は良いなあ」


 その顔が言葉にしたのは、羨みの声。その顔にジョイは見覚えがあった。かつて、倶楽部に相談をしに来た依頼人の顔だ。

 彼は誰かに呪いを受けたと言って、倶楽部へ解決を迫った。当時、倶楽部に在籍していた者の調査では呪いの全貌を暴くことができず。

 彼の娘を、死なせてしまった。

 呪いは彼自身だけでなく、近しい者にも及んでいたことを気付かなかった。

 後日、ジョイ達はお詫びをしに男の前に現れた。依頼料も全て返すと話したが、彼は泣きはらし続けるだけだった。


 ──ジョイは人づてに、彼は自殺したのだ、ということを聞かされている。


「くそ!」


 ジョイは思わず、空容器を投げた。


 違う。俺のせいではない。

 ジョイは自分に言い聞かせる。

 そもそもが呪いという、超常の出来事だ。誰に責任があるという話でもないのだ。

 だがもしも――。もしもあの時、もっと自分に知識があれば。または、呪いそのものを祓う力でもあれば。

 そもそも、学生のサークル風情がそんな得体の知れないものに興味本位で近づくから――。


 ジョイは頭の中に膨れ上がる妄念を払おうと、その場から立ち上がろうとしたが、足が動かない。

 そのままジョイは倒れ、床に顔をぶつけた。


 床に顔をぶつけたはずが、ジョイの目の前にいたのは、幼い頃の友人だった。犬を抱えて、泣いている。

 彼の家に行った時、他の友達とキャッチボールをしていた時に、ボールが運悪く犬の頭を直撃した。その場で犬は倒れ、病院に運ばれた。

 ──犬は助からなかった。


 その後、その場にいた友人達の親から犬を飼っていた友人の親へと慰謝料弁償代が支払われたが、それからというもの、ジョイがその子と遊ぶことはなかった。


 違う。そもそもあの時、キャッチボールで遊ぶことをあの子は了承した。その上で普通に子供らしく遊んでいただけだ。犬はまだ子犬で、ボールを取って持ってくるなんて芸はできなかったけど、そういうのも期待して、犬に対してボールを投げたりもしていた。

 そうか。あれは運悪くではなかった――。


「なんだって言うんだ」


 ジョイは耐えきれず、目を瞑る。しかし、目を瞑ったにも関わらず、今度は別の光景が広がる。

 そこにいたのはくみ子だった。服も着ず、裸で泣いている。

 先日、とある村の調査に向かった際に、いろいろあってその時着ていたくみ子の服を全てなくしてしまったのだ。ジョイはくみ子に、唯一残っていたお気に入りのトレンチコートを着せて、村を後にした。そのお詫びがこの間の特大パフェだったのだが。

 ジョイはトレンチコートを探した。どこかにある筈だ。


 キョロキョロと辺りを見渡すが、見当たらない。


 代わりに目に入って来たのは、冷たくなった亡骸を手にして、ジョイに向かって責めるような顔をする無数の人々。


「償え」

「償え」

「償え」


 彼らは一様にジョイに向かって、叫ぶ。ジョイは苛ついて、叫び返した。


「俺に何ができたという! その時の自分にとって、できるだけのことはした! 借りは返したんだ!!」


 ジョイの叫びを、彼らは聞いていない。ゆっくり、ゆっくりとジョイに近づいてくる。

 ジョイは逃げようとするが、どこを向いても人、人、人。


 溜まらずにまた大声で叫ぼうとしたその時──。


「──全く、何してるんすか。センパイらしくもない」


 頭上から、声がした。ジョイは上を向く。いつの間にか真っ暗になっていた空が、ガラスが割れるようにして砕けた。


 割れた空から、光が注がれる。

 光はジョイにまっすぐに伸び、空からは巨大な身体が降りて来た。


 ――それは大きな獏。


 人の二倍はあろう大きさの巨大獏が、ゆっくりと地面に降り立った。

 巨大獏は大きく口を広げる。辺りの空気が、巨大獏の口の中に吸い込まれていく。


 そして、ゆっくりと旋回し、ジョイの周りにいる人々にその大きな口を向けると、彼らもまるで煙のように獏の口に吸い込まれた。



 💭


「センパーイ、起きたっすかー」


 ジョイの耳に、聞き慣れた声が届く。

 怠い体を捻って、ジョイは目を擦った。ぼんやりとした視界の焦点が次第にあう。

 ジョイは、百目鬼倶楽部の部室のソファに横になっていた。


 そんなジョイを、小さな体が覗き込んだ。


 一見すると、中学生くらいにも見える幼い顔つきと身長。髪をきれいにまとめた特徴的なお団子ヘアーを、ジョイはあまりにも見慣れている。


「くみ子か。何があった、俺に」

「多分これっすかねー」


 くみ子は申し訳なさそうな声音で、テーブルから何かを拾い上げた。

 彼女が手にしていたのは、先日の依頼で倶楽部が預かることになっていた、呪いのキーホルダーだった。


「センパイがこれ処理するって言って、もう呪力みたいなのも感じないし大丈夫かなあって任したっすけど、やっぱりちょっと残ってたみたいっす……。センパイ、呪力耐性クソザコっすから、きっとそんな残り火でもアてられちゃったのか。ま、またこれ貸しっすよね」


 くみ子が嫌そうに唇を噛んだ。

 ジョイは、そんなくみ子を見て、思わず笑う。


「いや、悪夢を食べてくれたんだろう、お前は」


 尾々間くみ子。怪異喰い。

 彼女は怪異を食べることができる、百目鬼倶楽部のエースだ。


「……そうだ、プリンは?」

「プリン?」

「冷蔵庫の中に、お前のプリンが入っていたろう。それは?」

「それは、って? え?」


 くみ子は急いで倶楽部共有の冷蔵庫の扉を開けた。


「あれ!? ない!?」


 ジョイは失笑した。どうやらそこは夢ではなかったらしい。


「すまん、俺が食った」

「はあああ!?」

「悪い。だがお前が悪いんだぞ? 名前が書いてあることに気付かなかったのは俺の落ち度だが、あのプリン、共有棚に置いてあったからな」

「うえええ!? そんなわけ??」

「すまんすまん。今度、同じものを取り寄せておく。それにそうだな。さっき悪夢も食べてもらったことだし、またパフェでもご馳走しよう」

「え、本気で言ってるっすか? センパイなのに? センパイなら『俺が誤って食べるようなところに置いたせいだ。借りだな』とか言いそうなのに?」

「そこまでは言わん。むしろ今回の件に関しては俺の方に大きな借りがある」

「え、じゃあじゃあ。パフェも確かに良いんすけど、ちょっと遠出しても構わない……っすか? この間、若い子の間で評判のヘルシーなラーメン屋があるってアゲハさんに教えてもらって」

「構わんぞ。連れて行こう」

「やったー」


 さて。ジョイは自分の手を見た。さっきの夢の中とは違い、手も足も、自由に動かすことができる。


 ジョイは立ち上がると、先程自分を苛んでいたらしい呪具を指さした。


「だがお前の言う通り、こいつのせいで酷い目にあった。しっかりと処理しておけ。ヘルシーラーメンとやらもそれが終わったらだ」

「うええ。はーい、わかったす」


 気怠そうに返事をするくみ子を確認して、ジョイはさっきまで我慢していた分、大きく欠伸をした。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

特製プリンと悪夢 宮塚恵一 @miyaduka3rd

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ