いいわけ
奈月沙耶
いいわけ
「ええ、三千円くらいで……そうですね、明るい色合いで……ああ、青系の方がいいかな……はい、ああ、それはお任せで……はい、大丈夫です。では、四時くらいに行きますので……」
通話を終えた後、メッセージアプリを開いて「四時半に行けるから」と聡美に送った。
「パパー!」
呼ばれてベンチから立ち上がりながらスマホをしまう。既読が付かないままだったが大丈夫だろう。
「パパー、こっちこっち」
娘のあかりが総合遊具のすべり台の上で手を振っている。
僕が手を振り返すと、いきおいよく滑り降りてそのままの勢いで走り寄ってきた。がばっと抱き着かれ小さな頭が食い込んでボディブローをくらったようになる。
「うおっ、痛いよ」
「あかり、クモの巣のぼりたい!」
「はいはい」
遊具のロープを握ってあぶなっかしく足をかける娘のおしりをもちあげてやる。少し前までは怖がって近付きもしなかったのに今ではこうしてチャレンジしたがる。いいことだ。
ほんの一か月前まで住んでいた都市には、こうした遊具のある大きな公園がなかった。
『小さな子どもがいるならなおさら住み良いと思うよ』
聡美が言った通りだった。
あちこちに駐車場完備のアスレチック公園があるし、保育園もすぐに見つかった。
土地の価格は安いし広さに余裕のある家を建てることができた。
朝晩は駅までのバスの本数が多く通勤に時間はかかるが不便というほどでもない。
大きなショッピングモールが数か所あって買い物にも困らない。
自宅は新しい開発区の一角だから、住人はうちと同じく新参者ばかりで気を遣うこともない。
本当に、良いことづくめだ。聡美の言う通りに思い切って転居して良かった。
「あ、ママ来た、ママー!」
あかりは今度は、駐車場の方から歩いてくる妻に向かってぶんぶん手を振っている。
「よし、じゃあバトンタッチな」
「パパはお友だちと遊びに行くんだよね? 遅くなる?」
「うん、多分……。今日はママとお風呂に入ってくれな」
しょうがないなぁとませた口ぶりでもったいぶるあかりの頭を撫で、妻にも「先に寝てていいから」と自然に笑顔で手を振った。
クルマに乗り込み、予約の電話を入れておいた坂の下の花屋に向かう。
渡されたのは、ブルー系の切り花を金色のリボンでまとめた豪華な花束だった。思った以上に見栄えがすることに嬉しくなった。聡美はきっと喜ぶだろう。
花束を丁寧にクルマに積み、下ってきたのとは別の坂道を上っていく。知らせた通り四時半に聡美の部屋に到着できそうだ。
聡美は学生時代の僕の恋人だ。六年近く付き合ったけれど結婚はしなかった。理由はある。
交通事故で障がいが残った父親の介護で苦労している彼女を、僕が十分に支えてやれなかったこと。僕によくしてくれていた聡美の母親が闘病の末に先に亡き人となったこと。
ほどなく父親も亡くした聡美は、とっくに僕に見切りをつけていた。
『ひとりで生きてく方がマシ』
言い捨てた彼女に僕は何も言えなかった。そうして別れた。
別れた理由は、既婚者となった僕がこうして再び聡美のもとへと向かういいわけにもなっている。
ずっと彼女のことが気にかかっていた。人生経験の乏しい若造の僕では彼女を支えられなかった。
そんないいわけはしこりとなって悔いになり。悔いは未練と同じだった。
人づてに近況を知ってはいたが、連絡を取るほどのことはなく。
僕は僕で、結婚して娘が生まれて、マイホームをさてどうしよう、とライフステージの移り変わりに必死になっていた頃。
聡美と再会して、その夜はお互いのことを細々語り合った。
『私が頑固なのがいけなっかたんだよね』
『僕が君の言うことをもっと聞くべきだった』
十年越しにわかりあえた気がして嬉しかった。彼女の言うことをなんでも聞いてあげたくなった。
『引っ越すなら思い切って転居するのもいいんじゃない? 私はそう思ってここに転入したの。四十歳以下の若者世帯に転入お祝い金がもらえるんだよ。都心から少し離れるけど不便はないし』
自治体のアンテナショップで転入案内をもらってきて見せると、妻もその気になった。
伝えると、聡美はとても喜んだ。
『そしたら、しょっちゅう会えるようになるね』
どういうつもりで彼女がそう口にしたのか。わかってる、僕もそういうつもりだった。
いいわけならいくらでもできる。月並みないいわけをいくらでも。
大都会のように罪も罰も呑み込んではくれないけれど。
こんな暮らし良い街は、月並みなしあわせを描いて営む人々の日常を抱きとめ、つまらないいいわけすら受け流して日々を刻む。
少し傾き始めた西日を受けて、僕は聡美の待つ部屋に向かう。
いいわけ 奈月沙耶 @chibi915
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