アンラッキーセブンの乗り越え方

あおいたくと

アンラッキーセブンの乗り越え方

まずそもそもでアンラッキーセブンってなんやねん。

リスペクトする関西の風を取り入れようと思ってみるけど、たぶんエセ的にしか取り入れられていないと思う。はてさて。


ラッキーセブンという言葉は、そもそもで、野球の7回の攻撃にチャンスあり、みたいな感じで生まれたものらしい。

その逆でアンラッキーセブン、まあ公式の表記だと「アンラッキー7」になるわけだけど、それってどういう状況の何なんだろう?と広げてみた。

まあ、うん、ラッキーの反対のアンラッキーなわけだから、幸運ってより不幸なのかな、と、考えてみるわけだ。

そこから自分が、自分にとってのアンラッキーセブン期(またなんか言葉生んじまった気がする)、不運期ともいえる時期を、どう乗り越えてきたか?というのを、つらつらと書いてみることにした。べ、別に文字数稼いでいるわけじゃないんだからねっ!



第一に、連日4時間残業で精神的にだいぶすり減っていた時期があった。

時期があった、というより、長く続いていた。

それなりに好きな仕事だったので、好きな仕事を最後のほうに回して、というか回さざるを得なくて消化して帰る、みたいなこともよくやっていたけれど、そこまでの時間に「他人に苦手な仕事を教える」という、プレッシャーを感じる仕事を長い時間やっていた。ずっと息苦しいような感じがしていた。

そこから、家計がギリギリの中で、家族に税金の工面を言われたけれど、本当にギリギリで本当に追い込まれた。自分自身の支払いではないため、そこまで抱えずでよかったんだけれど、言われたらどうにかしないといけない、みたいな、どうしようもなさがあった。

そこに作業量と人を見守っている時間が膨大に膨れ上がる時期がやってきて、仕事が終わる頃には立ち上がれなくなった。

一回は布団から起き上がれなくなって、半日ぼーっとしてから仕事に向かった。

毎日フルスイングで向かいすぎていたことにすら、気付けていなかった。

そこから子供が体調不良になり、繁忙期の中で強制的に休まざるを得なくなって、忙しいのに休まなきゃいけない罪悪感でわけがわからなくなって、突き抜けすぎて近所の橋から飛び降りたくなった。

貯金がギリギリすぎに無さすぎて、仕事がしんどすぎて、ひたすら依存されるだけでどうにもならなくて、それでもいろんなことを現状維持でいようとしてもがいていた。

結局その後に、10年以上信じてきた価値観が覆って、裏側を知ることが苦痛になって、橋から飛び降りたいとかそういうのも思えなくなるくらいに燃え尽きてしまって、人間関係は本当に恵まれていたけれど長年続けてきた仕事を手放すことにした。

後先考えず、と言われそうだけど、心の底から燃え尽きたときに、もういいかなと思えたのだ。今がこの先に行くときなのかな、と思えた気がした。


そこからいろんなことをやってみたけれど、うまくいったこともあればうまくいかないこともあり、あれやこれやまたもがいているうちに、思いもかけない方向から声をかけてもらって、今、とある事務所に所属させてもらうことになり、占い(カードリーディング)を少しずつ人前で行う機会が増えてきている。

そういう声を掛けられるとは思ってもいなかった場所やタイミングだったけど、意外とそれを楽しめるようになり始めている。

そこからさらに新しい可能性も見えてき始めているんだけど、なんだか結局よく分からない毎日だ。


さて、前置きが長くなったけれど、アンラッキーセブン期を乗り越えるのに、僕が自然とやってきていたことを、書いてみようと思う。

一番に、「今がクソだ」と認めることだ。

なんかしんどいけど、まだまだいけるいける!とか、

大丈夫、いつかなんとかなるさ!みたいな、

自分で自分の本心をごまかしていくエセポジは本当に要らない。

ポジティブでいましょうってよく見かけるし、グチは言わないようにしましょうっていうのも見かけるけれど、それは他人と向き合ったり関わる必要がある時だけだ。

自分自身では、クソだという現状を認めたほうが楽だったりする。

クソはいつか洗い流して、まっさらに始めることができるものだと僕は定義しているからだ。

ただ、だからこそ、というわけではないけれど、

二番に、「悲劇のヒーロー、ヒロインを演じなくていい」というのも大切だったりする。

いや、今がクソだ、っていうなら、その今の自分って「大変な主人公役」でいるんじゃないの?って思うかもしれないけど、たとえ自分を取り巻く環境がクソであっても、自分自身まで悲劇のヒーロー・ヒロインで居させなくていいのだ。

物語はフィクションだけではなく、現実のあなたの人生だって物語。

最高にイケイケな人生を生きていく主人公で居てはいけない理由はどこにある?

三番に、「人生という物語の理想を思い描き続ける」こと。

下剋上する物語をフィクションだけに留めなくていい。

良質な物語から人生を切り拓くエッセンスをいただいて、それを自分の毎日や人生に活かしていくことだって、可能かもしれない。

それは、ここカクヨムなどの小説投稿サイトや書籍などで、数多くの物語に触れているあなたにだったら、テンプレというものをどこかで嫌いながらも理解して、もしかしたら活用して書いてもいるあなたにだったら、そのテンプレを自分の人生に置き換えて人生設計をするということすらも、クリエイトすることも可能かもしれない。


少なくとも、僕は価値観が思いっきり変わった、いや自分の価値観を全否定してしまった時期に、神話のストーリー展開にとても励まされたことがある。

ストーリーテンプレというものに、救われたことがある。

どう生きていったらいいのか、これまでの価値観を自分で全否定してしまったときに、じゃあどんな価値観だったらいいの?つかもっと他に価値観持ってなかった?と、考える軸やきっかけを得るために、ストーリーは、物語に触れることは、とても思考活動に役立ったのだ。


もちろん、物語を物語として、フィクションとして楽しむことを否定するつもりもまったくない。最近僕は昔書いていたお話を読み返すことも、新しい物語を書いてみることも結構楽しい。長編を書く体力は付けている最中だけれど。


自分の人生の理想を思い描く、ということが、どういうことかよくわからない、となったら、物語を読んでみてほしい。それを受けて、自分だったらこうしたいな、が、理想の一部だったりする。


フィクションを描くことに夢中で、つい現実がおろそかになってしまうことだって僕もしょっちゅうあるけれど、まず創造主である自分自身がハッピーな状態でいることが、あらゆる物語を生み出していくための原動力になっていくのかなと信じて。


アンラッキーセブン期を完全に抜け出しているのかは分からないけれど、ちょっと抜け始めたような気がしている人間からの不思議なエッセイでした。

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