鼠を焼く

八軒

鼠を焼く

 ロシアの田舎はこんなに貧しいのです。道路も舗装されていません――そんな英語のツイートが流れてくる。添えられた写真には、ドロドロの道路に深い轍。見慣れた光景だった。貧しさはともかく、この道路に限れば普通ではないか。十年や二十年の遅れなど、地方であればありふれている。


 高校を卒業して地元を出るまで、俺が育った区域は、ちょうどそのロシアのクソ田舎の写真のようなクソ道路しかなかった。

 冬には歩くのに熟練を要する氷の轍となり、無駄に運転技術を鍛えた車が際限なく凹凸を磨いてゆく。汚さなら冬が終わってからが本番だ。雪解けのクソさは言うまでもなく、雨が降れば無数のうねりが水溜まりを生み出し、そこいらの小学生のふくらはぎにお約束のように泥跳ねを作る。

 そんなクソ道路をママチャリで猛スピードで駆ける俺たちは自然と抜重によるコントロールを学び、その延長で木々の根が這い回る林の中を走破することさえ可能にしていた。ママチャリで。

 MTBブームというものがあったが、あんな高級品を持っていたのは少し離れた所に住んでいる教育ママで有名な優等生くらいで、そいつの家の前でさえクソ道路は健在だった。


 当時はそれが当たり前で、クソだとも思わなかったのだが。俺はどうしてかあの区域の道路が舗装される光景を想像出来なかった。想像しようとも思わなかった。中学に上がる頃になると、家から十分程のそこそこ広い道路が舗装されたが、それでもだ。

 だからして、実家を出て十数年後、法事で戻った時には言葉を失った。クソ道路は無くなっていた。隅々まで灰色に塗りつぶすように舗装されて、俺が高校まで過ごした土地は、知っているが知らない風景に成り果てていた。


 綺麗になった。便利になった。だが、俺の記憶の縁は失われた。そんな気がして、放心のまま酷く平らな道路を歩いた。かつてママチャリで暴走した林は不釣り合いに健在で、見れば林の入り口からよく日焼けした夏休みのガキどもが虫取り網を担いで走ってくる。なぁんだ、大して変わってないではないか。そう、安堵した。安い。俺のセンチメンタルなどその程度の安いものだ。

 すれ違ったガキどもの声が遠くなったのを確かめ、振り向く。子供三人を収めたその光景には、遠く横津の稜線が見える。空と山の境目が作る形は、薄れかけていた記憶を励起する。

 一瞬で感傷は吹き飛び、平日の昼間に普段着でほっつき歩いている成人男性――つまり現代の基準でいう所の不審者と疑われるのも厭わず、林の中を歩いてスマホのシャッターを数回切った。


 それが、ずっと写真嫌いだった俺が、あの土地で初めてフレームに収めた光景である。


 


 あの日、俺たちは鼠を焼いた。


 あれは、約束だった。秘密だった。だが、所詮子供のそれだ。そこに特に深い意味もない。数十年経った今なら、文章に綴った所で問題ないだろう。それよりも、どうしても思い起こしておきたかったのだ。意味もなく。元々、子供の頃の記憶はかなり曖昧なたちで、微かに残るものもこうもしなければ薄れてゆくばかりだ。


 何を思い起こそうとしても、轍の酷さと雨後の泥濘ばかり鮮明になる。あの頃の大体の記憶はみな、この道路から繋がっている。再生される風景には常にクソ道路がある。仕方なく、俺はクソ道路のクソさをしるべに、消えかけた記憶を手繰り寄せる。


 そもそも、あの鼠はどこから来たのだろう。ガタイの良い偉そうな六年生が持ってきたのだ。持ってきた――つまり、俺が目にした時、その二体の鼠は既に死んでいた。


 どのように捕まえたのか、殺したのかもわからない。ただひたすらにその六年生が偉そうだった。自慢していた。鼠を殺して持ってきたことを。死んだ鼠を二体持参したことが、近所の子供達にどんなカリスマを発揮したというのか。クソ道路に置かれた鼠の周りにガキどもは一人二人と増え、その六年生の演説に聞き入っていた。


 鼠の死体を囲むガキどもは続々と増える。十人程になった頃には風向きが怪しくなり、口論が始まっていた。議題は目下、死体をどうするかである。

 六年生は途端に保身に走り始め、大人にバレないように死体を処理すべきだと主張する。しかも、それを実行するのは下級生なのだと。何か屁理屈を捏ねて、母親が若いというクソみたいな理由でPTA経由でハブられていた俺に、鼠の死体を処理しろと命令するのだ。

 ただでも学年の差がある上に俺は早生まれ。中二で急に伸び始めるまで背の順では常に先頭だった。(あれは本当に悪習だ。何故先頭の生徒だけが運動会や集会など全ての移動を覚えなければならないのだ)

 とにかく、六年生は絶対に逆らえる相手ではない。言語能力的にも物理的にも。日和見をしていた連中でさえ、俺に貧乏くじを引かせる流れに乗っている。最早、俺が死体処理係になるのは決定事項であった。


 死体処理係が決まれば、次の議題は処理方法である。バレなければゴミ捨て場に捨てていい派とバレたら誰が責任を取るんだよ派で熱い論争が始まる。鼠の死体はバイキンが云々派とゴミ捨て場は可哀想派がそこに加わり、更に話をややこしくする。俺はそれを黙って見つめるしかなかった。

 子供の考えとはいえ、不自然に思うだろうか。隠すならその辺の林の中にでも捨ててくれば良いのだ。そもそも、うじゃうじゃ野良猫がいるので、鳥や小動物の死体は珍しくもない。その猫でさえも。真冬の早朝など、寒さに耐えられなかった猫が凍りついてクソ道路に張り付いて死んでいるのは見慣れた自然の摂理だった。それをスコップでガリガリと剥がすのにも、そこまで感情は動かなかった。


 凍る猫と、あの鼠と何が異なるのか。俺たちはきっとそれに気づいていた。だから、不自然な論争を始めたのだ。つまり、死んだか殺したかの違いだ。

 殺すだけなら、珍しい経験ではない。釣りをすれば魚を殺す。シャケは棒で殴って殺す。キジは追いかけて殺す。カエルの卵はアリの巣に詰めて遊ぶ。あの頃はカジュアルに鶏を飼っている家も多かったので、鶏やウサギを絞める経験もあった。近所の子供も似たようなものだろう。では、鶏と鼠の違いは何か。食物として頂くという目的があるかどうかだろうか。

 自然の摂理で死んだわけでもない。目的があって殺したわけでもない。そんな死から子供なりに逃避していたのかもしれない。


 議論は一向に進まない。うるさい犬と、ろくに手入れもされていなさそうな鳩小屋の匂いが記憶に残る。きっと、あのみったくない犬のキャンキャン言うのを聞いて、俺は気を紛らわせてあの時間を耐えていたのだ。

 あの家には偏屈で有名な老人が住んでいた。鳩小屋の悪臭には苦情が出ていたが全く改善されなかった。ただ、夕方に八の字を描いて鳩の群れが戻ってくる光景は美しいものとして覚えている。臭くても鳩は戻ってくるというのが子供心に不思議だった。

 なんでだって、そんな所で俺たちは鼠の死体を囲んでいたんだろう。あまりにも場当たり的だ。いよいよ、偏屈鳩老人が出てきて叫んだ。ガキどもはまさしく蜘蛛の子を散らすように走り去った。


 二体の鼠の死体と、俺と。もう一人、名前も知らない女子だけを残して。




 とにかく、偏屈老人に難癖をつけられる前に移動しなければならない。俺は鼠の死体を掴んで通りの奥へ急いだ。女子は当然のようについてきた。

 鼠は大きかった。子供の感覚ゆえかもしれないが、一ヶ月の子猫くらいはあった。ずしりと、やけに重かった。


 バイキンだなんだと上級生が騒いでいたが、例え衛生的な意識抜きでも死体を運んだ俺は暫く「バーリア」や「バーッチ」の対象になるのは明らかだった。子供というのは残酷なほど、ケガレに敏感だ。初めに運んできた六年生は英雄扱い。そしてこれが俺の役回り。こんな事は初めてではない。クラスの雑巾を洗うなどケガレを感じる作業は大体俺の仕事だった。

 この差別はPTAのハブりが主な原因だと後々気づく。PTAの催し物にはうちだけ呼ばれない。他所の親はそれを子に話すので、子もそれで俺にマウントを取る。他所の校区のゲーセンという、クソPTAの情報網から切り離された世界では、このような差別はリセットされたかの如くなくなった。なんてこった! 俺は普通に扱われていい存在だったのだ。

 ともかく、程々に自分の身を守り、黙って嵐が過ぎ去るのを待つのが、確固たる生存方法なのだと俺はその頃から自覚していた。それは歪な優越感でもあった。そんなしょうもない感情だけは思い出せるものだ。


 名前も知らない女子はケガレた俺を追いかけてきて言った。燃やそうと。燃やすのが一番いいよと。ゴミ捨て場は見つかったら悪戯と思われるし、燃やしたらバイキンもなくなるし、死体は燃やすものだから。そんな感じだったろうか。

 橋の向こうの河原で焼こう。そう女子は俺に提案して、火をつけるマッチを取りにいなくなった。近所なのだろうが、どこの子なのかも知らない。


 通りの行き止まりは小さな川にかかる壊れかけた木造の橋だ。俺が四歳の頃までは渡れたそこは、有刺鉄線で雑に封鎖されていた。予想に反して、マッチを取りに行った女子は戻ってきた。本当に燃やす気なのだ。

 一人ずつ、穴の空いた橋をそっと渡った。小学生二人さえ同時に渡るのは躊躇われる橋――の残骸だった。今思えば、何もかもが無法だ。鼠の死体を運んでいることも、侵入禁止の橋を渡ることも、知らない子供と行動していることも、何より火を扱おうとしていることも。インターネットの今時代なら文字通り炎上の役満コースだ。

 大人に隠れて火で遊んだ事は幾度かあった。金ケシを燃やす遊びは近所の中学生に教わった。大量のロケット花火を束にして飛ばしたりもした。釣りに行って焚き火を起こすのも。そのどれよりも、橋を渡って鼠の死体を燃やすことはヤバかった。

 当時の俺が、そう感じていたかは怪しい。そこまで精細な記憶はない。この出来事を頑なに秘密にしていたのは、背徳的だからではなく親にバレたらぶん殴られるからかもしれない。


 河原の手前は背丈よりも高いススキで埋まっていた。よく燃えそうなそれを俺たちは沢山集めた。あとは林の方から木端を拾ってきたりして、焚き火の要領で組んで火をつけた。鼠の死体がすぐに燃え上がるわけもなく、横から上から燃えそうなものをひたすら積み上げた。包み隠すように。

 鼠はしっかりと燃えたのか。これは定かではない。俺には海や川で燃えるものを集めて焚き火を起こした経験はあったので、それっぽい形にはなっていたはずだ。

 そう、記憶の中では焚き火なのだ。記憶というのは曖昧で、俺が燃えない鼠にイライラしてグチャグチャにした可能性さえある。真相はわからない。ただ記憶は言う。燃やした。焚き火を。名前も知らない女子と焚き火を眺めた。俺が、今も昔も好きな焚き火を。中の鼠が生焼けだとしても。だから、そういうことにしておこう。


 女子と別れ、家に帰っても親が仕事から戻る時間はまだまだ先だった。言うまでもなくほっとしたはずだ。

 終わった。なのに、別れたはずの女子が家に来た。何故か俺の家を知っていた。こっちは名前も知らないというのに!

 呼び鈴を鳴らさず、台所の窓を叩いて俺を呼んでいる。開けると、彼女は手にトウキビを二本持って立っていた。その黄色さをやけに覚えている。窓越しに彼女は言った。「トウキビを焼こう!」


 結局、俺はそいつを家に入れた。鼠を焼いたのだ。今更トウキビを焼くくらいと思ったのか、食べ物に釣られたのか。ガス台を使って大丈夫なのか聞けば、うちでは自分で料理もするからと言う。


 醤油を塗って焼いたトウキビは文句なしに美味かった。目の前の女子が、どのような順序で歯形をつけてトウキビを攻略するのか観察した。別に、自分と大差ない食べ方だった。二人でトウキビを食べ、別段何もしないで俺たちは別れた。


 未だに、その女子の名前は知らない。





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