日本文化における数字「7」の考察

久世 空気

アンラッキー7とは

 KAC2023の第6回目のお題「アンラッキー7」は一見「ラッキー7じゃないの?」と思わせるちょっと意地悪なテーマだが、実は似たような言葉が私の住んでいる地域にある。といっても最近あまり聞かない、お年寄りが言っているイメージのほぼ死語になりかけている言葉だ。

「七の境目」

 聞いたことある人はおそらく同郷だ。

 八が末広がりで縁起が良いと言う話は、おそらくたくさんの人が知っているだろう。「七の境目」はそれの前振りのような言葉だ。7を境に好転する、ような意味合いもあるが「7が最も良くないが、8以降は福に転じる」というイメージが強い。だから7はあまり良くない数字なのだ。

 そもそも「ラッキー7」の語源は(諸説あるが)「7(セブン)」と「ヘブン(天国)」を掛けた駄洒落であり英語圏の考え方だ。

 日本ではもともと7は逆。一時流行った言葉で表現すると「有り寄りの無し」なのである。

 例えば七五三。子供の成長を節々で祝う行事だが、実は一番喜ばれるのが7歳を超えてからだ。子供は病気になりやすい。「7歳までは神のうち」と言われ昔はここまで成長するまで気を抜けなかった。さらに7歳は誘拐されることが多い年齢だと言われた。誘拐犯もそれなりに成長してる子供が良く、かつ、担いで行ける程度の大きさが7歳までだったそうだ。

 文化面だけではなく身体的な特徴でも日本人には7はあまり良くない。実は一週間7日が日本人の生活には微妙に向いていないという研究結果も出ているそうだ。体内サイクルというらしい。細胞の代謝や脳の活動のリズムが住んでいる場所によって人間は違うそうだ。これは地球の自転軸からの距離と関係があるということだが、私は論文を読んでもよく分からなかった。

 と、ここまで読んでさすがにおかしいと思った方も多いだろう。実はこの文章は嘘八百。いや、嘘777字なのである。ゆめゆめ信じるべからず。

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