赤い糸と遅い初恋

あきこ

赤い糸と遅い初恋

 

「私は,石原くんと別れたくない」

「俺もしおりんとは別れない」


 ――はい?

 予想外のセリフに、私は一瞬固まる。

 

 今この弁護士事務所の会議室には、二組のご夫婦が居る。

 相談者の依頼を受け、浮気した相手側も交えた話し合いに弁護士として立ち会っているのだが、その浮気をした当人達が堂々と「別れない」、そう言ってのけた。


 当然、伴侶たちは黙っているわけはなく、

「いい加減にしなさいよ、あんたたち」

「お前ら、ふざけんなよ!」

 と怒りの声をあげた。


 私の相談者は、この浮気されて怒っている女性の石原美弥さん。

 彼女は浮気した旦那の恭一と、相手の女性のしおりんに対し慰謝料を請求したいと言っている。

 そして浮気相手の女性の旦那さんは、逆に恭一を訴えると脅していた。


 この4人、高校生の時からの友人だと言うから驚きだ。

 

「元々しおりんが俺の初恋だったんだ。でも、美弥が積極的に言い寄ってくるから、俺、仕方なく美弥と…」

 恭一のこの言葉に全員が絶句した。



 私は、「彼氏はいらない。結婚もしないし。キャリアウーマンになるの」と、中学生の頃から公然とそう言ってきた。

 成長し、弁護士になった今もその考えは変わらない。


 淋しくないかと聞かれる事もあるが、淋しいとは思わない。

 いや…、中高生の頃は、孤独感から不安に襲われていたな。

 自分は普通の人のように、誰かに愛されることはないのだろうと考えて、涙が出たこともあった。

 でも、思春期のそういう感情も勉強に没頭する事で克服出来た。


 だから私は、こんな恋愛のゴタゴタは、ばかばかしくて嫌悪感すら感じてしまう。


「和解できると思いますか?」

 会議が終わった後、私は同席してもらっていた宮原弁護士に何気なく聞いた。

 彼はどんな状況でも、やんわりと人を黙らせる技術をもっていて、非常に助かる。

 何かコツがあるのなら、是非教えて欲しいものだ。


「友達同志だし、可能性はあるのかなぁ」

 宮原弁護士は、考えながら答える。

 私は,このタイミングで彼に気になっている事を謝っておこうと思った。

「今回、サポートに入って下さってありがとうございます。こういう案件、宮原先生はあまりやりたく無い案件ですよね」

 私がそう言うと、彼は微笑んだ。

「心配してくれてありがとう。一年前だったら無理だったかもしれないけど、今はもう平気ですよ」

「そうですか、それなら,よかったです」

 私は心の底からそう思った。


 宮原弁護士は,二年前に病気で奥様を亡くされた。

 一時期は見てわかる程やつれてて、事務所も気を使い、彼には恋愛絡みや、夫婦間のトラブル案件は回さないようにしていた。

 が、なんとか復活を果たしたようで、よかった。


 恋愛音痴の私でも、彼がどれ程の悲しみだったかぐらいは分かるつもりだ。


 彼のようにひとりを深く愛した人もいると言うのに、まったく世の中は、不公平というか…色んな人が居るものね、と、由梨はそう思った。


 ◇◇◇


「あれぇ??これ、7本しか出てないんですけど??奇数なんておかしいです!」

 ダマになった赤い糸を持ち上げた天使のミウが声を上げる。


 人間の恋愛をサポートする部署で働く天使、リオンとイブとミウは小さな赤い糸の絡みを見つけて対応しようとしていた。その小さな毛玉から、7本の赤い糸しか出ていないことにミウが気づいたのだ。


「まあ…アンラッキー7ね」

 イブが少し暗い声でいう。

「アンラッキー7?」

「絡む7本目の赤い糸をアンラッキーセブンと呼んでる。誰とも繋がらない糸は、普通より絡みやすくて、6本絡んだものが近くに出来ると必ずと言っていいほど静電気に引っ張られるように、糸の先が引き込まれてしまうんだ。」

 リオンがミウに説明した。


「でも…この糸なら大丈夫、引っ張ってみて」

 リオンに言われ、ミウが糸を引っ張ると、スルスルっと赤い糸が引き抜かれた。


「このアンラッキー7の人は意志が強く、簡単には絡まないようだな」

 リオンがミウから引き抜いた糸を掴み情報を読み込む。

「この子、わずか13歳の時に交通事故で相手を亡くしてる。でも出会う前だったから、何も知らず孤独に耐えて来たんだな」 

「13からって、また繋ぐ課の怠慢ですか?」

「いや、計画的だろう、繋ぐ課の優先順位の決め方は、副作用に弱い人優先だから」


「あ、近くに保護糸があるわよ」

「保護糸って?」

「相手が天命を全うした為に切れた糸だよ。予定された切断だから、アンラッキー7にならないように切れると同時に保護されるんだ。ほら、このカプセルを被してるやつだよ」

「へえ、始めてみた」

「僕らが扱う事はまずないからな」


「職権発動して繋いじゃう?」

 イブが期待した目でリオンを見た。


「ああ、やってしまおう、魂のレベルもあっているし、どちらも新しく繋がる準備は整っている状態だ。わざわざ繋ぐ課の手を煩わす必要もない」

 そう言い、リオンはカプセルで先を保護されている糸を持ち上げた。そして、先ほど引き抜いた糸の先を、カプセルの中に差し込む。

「え?それでいいんですか?」

「ああ、これで、中で少しづつ繋がっていくはずだ」

「こっちはどうする?6本が絡んでいるやつ」

 イブが言う。

「これは赤い糸の相手を間違えちゃって絡んだケースですよね」

 僕にもわかるという感じでちょっと誇らしげにミウが言った。

「ああ。イブ、ほどけるか?」

「6本だし、なんとかやってみるわ」

 イブはそう言うと、糸を滑りやすくするスプレーをかけた、糸をほどくための長い針を出して作業に取り掛かった。


 ◇◇◇


 あの会議から2日後に美弥さんが訪ねてきて、訴えを取り下げると言い出した。

 私が驚いた顔をしていると、美弥さんは「高校生の時に自分があのふたりを引き裂いてしまったんだ」と言った。

「子供だった私は、二人を見てうらやましくて腹が立ったから・・・私のせいでみんなを不幸にしたと、今は反省しているわ」

「慰謝料は?どうされますか?」

 私がそう聞くと、彼女は微笑んだ。

「貰うわよ!向こうも正当な額を払うって言ってるし、先生、請求額の計算をおねがいできますか?」

「わかりました。お任せください」

 吹っ切れた笑顔をみせた彼女に私も微笑み返した。


「やあ、あの案件、解決したんだって?」

 コーヒを淹れてるところに宮原弁護士が声をかけてきた。

「ええ、驚くほどあっさりと」

「不思議だけど、そういう時ってあるんだよね。ふっと吹っ切れる瞬間が。まあ、それまでの間、沢山考えるからかもしれないけどね」

「そうかもしれませんね」

 そういい、私は彼の分もコーヒーを淹れる。

 そして「どうぞ」と、カップを差し出した時、偶然、彼の手と私の手が触れた。


 その時、驚いたのか、体が、ビクンとなる。

 そして、急にあたたかく、心地よい風が私の体の中に吹いた。


 あれ?わたし・・・、もしかして、今、ときめいたのかしら?


 End




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