ラッキーセブン

ぱんのみみ

アンラッキー7

「私はね、自分はついている方だと思うんですよ」

 日曜日の昼下がり、とある喫茶店で一人の男が静かにそう呟いた。男の身なりは気品があったが、仕草はありふれたそこを行く通行人とさして変わらないように見えた。カウンターの向こうでグラスを磨くマスターの少女は次のグラスを手に取った。

「働かなくても暮らしていける巨万の富を得ました。最高の女性を妻にすることができました。欲しいものはなんでも手に入れて来ましたし、創業した会社の業績はまるで輝ける星のようです。断言しましょう。私の人生は他人の誰が見てもきっと、順風満帆と言えるでしょう」

「そんな話を相談しに来たのですか?」

 マスターの少女は、とうとう飽きたようにそう告げた。男は肩をすくめる。

「いや、まさか」


 そもそも男がこの喫茶店を訪れたのには理由があった。

 人は完璧なものを前にした時、それについているたった一つの瑕疵が異様に気になるものだ。その傷ひとつが完璧なものの価値を全て損なうと言っても過言では無い。

「だからこそ私は今日こそ、私の人生の一点の瑕疵をどうにか直したいと思ってここに来たのです」

「瑕疵、ですか? 貴方の人生は完璧なのでは?」

「そうです、完璧ですよ。ですが瑕疵というのは時に製作者にしか分からないものです。それを知っている当人だけが瑕疵だと分かるのです」

 それは珍妙な話だが、さておき。少女は静かに言葉にされなかった、言外の疑問に答えを出すことにした。即ち。

「ですがええ、貴方の言う通りです。この喫茶店に悩みを抱えて訪れたのならば、その悩みは必ずや解明されるでしょう」

 男は笑みを浮かべ、その言葉を心底から喜んでいた。


「実の所、私がこれほどまでに恵まれた環境にいるのには理由があるんだ。つまり、私は早いうちに自分の『幸福の切符』を見つけることに成功してね」

「へえ。お帰りはあちらです」

「続きを聞きなさい――いわゆるジンクス、と言うやつだ。私はね、七にまつわるものを手にした時に、決まって最良の結果を得ることが出来るのだよ」

 例えば受験番号は決まって末尾の桁が七だった。競馬では七番の馬を選ぶし、七番目に付き合った女性と結婚した。会社の名前ももちろん七にまつわる名前にしたし、出席番号や口座番号だって七だった。そのことに気がついてからは全てを意図的に七にすることにした。

「携帯電話の番号やパスワード、クレジットカードの暗証番号だって七にまつわるものさ。メールアドレスだって同じ。靴は常に七足、スーツも七着、腕時計も七つ、戸建ての部屋の数も七部屋……車を選ぶ時は七台の車の中から選ぶことにしている。七は私に幸運をもたらしてくれる。そう、私にとって七はまさにラッキーセブンということだよ」


 幸せぎて気が狂ってるとでも言うつもりなのだろうか。少女は飽き飽きして、半ば狂人を見るような心地で男を見た。

「だが……そう、だが。私が何かひとつ最良の結末を得る度に必ず恐ろしいほどの凶事に巻き込まれるのだ。競馬で単勝したその瞬間、私の妹が亡くなった。交通事故だったそうだ。結婚式をした翌日に親友が交通事故で下半身不随となった。会社で大きなプロジェクトを成功させた帰り道は階段で滑って骨折。今もまだ右足に麻痺が残ってる。それだけじゃない。子供が生まれた日に両親が亡くなり、宝くじが当たれば家が全焼する。ああ、ありえないだろう。どうしてこうも立て続けに不幸に見舞われなければならない!? 私がようやく幸福の絶頂にたったと思えばそこは……」

 手が力無く空を掴む。

「……不幸の絶頂に立っている。こんなのはもう懲り懲りだ。私はもう何も失いたくない……」

「なるほど……概ねわかりました。しかしながら……恐れずに申し上げますと、お客様。それは紛れもなくあなたのせいでは?」

「……は?」

 男は侮辱をされたかのように顔を顰めた。少女にとってそれは別に恐れるべきことでは無い。故に彼女は淡々と言葉を紡ぐ。


「禍福は糾える縄の如し、と言うでしょう。人生において幸福と不幸の総量というのは決まっています。もしも身を滅ぼすほどの大きな幸運を自らの手元に手繰り寄せれば……その反動は想像にかたくないはずです」

 大吉転じて凶となる。薬も過ぎれば毒となる。

 どれほどに良いものでも、それを過度に得ればたちまち害悪となるのだ。

「そんな……だが誰だって幸福に生きていきたいだろう」

「ええ、勿論。それを否定するつもりはありません。ただ……ただ、そうですね。世の中で本当に幸福になれるのはどんな人間だと思いますか? 足りないからと貪欲に器を満たそうとする人間でしょうか。他者から搾取することで自らを満たす人間でしょうか。自己を肥大化させその影を他者に認めさせる人間でしょうか。いいえ、いいえ、まさか。そんなものでは無いのです。そんな者では人は本当の幸せを掴むことはできません」

 ではどういう人間こそが幸福に選ばれるのか。

 そんなもの決まっている。


「謙虚に、日々の怠惰を許し、ありふれた営みを愛し、自らに足るを知る、謙虚な人間だけが本当の幸福を知ることができるのです」

「……」

「今なら間に合うと思いますよ。貴方はもう十分すぎるほどに幸福になりました。これ以上失いたくないというのであればここらで身を引くというのも賢い人間のやり方です」

「……なるほど」


 男はコーヒーの最後の一滴を流し込んだ。

「禍福は糾える縄の如し……か。確かに謎は解明した……マスター、お会計を。実に身をつむ話だった」

「いえ。お客様のお役に立てれば幸いです。またのお越しをお待ちしております」

 会計を済ませて立ち去る男の背中を見届けてから喫茶店の扉を閉ざす。


 ……彼はこれからも七を選ぶだろう。

 人は確かに賢いが、同時に楽を覚えればそれから逃げることの出来ない人間だ。一度獲た経験を無視することはできない。それは獣としての生存本能。痛い目を見ても学ばないあたり、彼はまた同じ過ちを繰り返すに違いない。

 そしてその時彼は何を失うのだろうか。

 会社や貨幣であればまだましだ。運命の女神にも恩情はあったらしい。だが……だが、彼は次は妻や子供を失うのかもしれない。その可能性から目を逸らしている以上、十分に有り得る話だ。過ぎたるは身を滅ぼす。身の程を弁える。そういう意味ではこう言うべきだったのかもしれない。

 初心を忘れるべからず――と。


 まあどちらでもいい。忠告はしたのだ。ここから先は彼の個人的な判断に過ぎない。だが運命の女神は心優しいがその取り立てはもう容赦がないものだ。故に、既にそれは始まっているのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ラッキーセブン ぱんのみみ @saitou-hight777

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ