アンラッキー食堂
しほ
それは男の前に現れた
急に降り出した雨。
男は昼食を求めオフィス街を歩いていた。二つ先の交差点を曲がった所にお目当ての蕎麦屋があるのだ。しかし、無情にも雨脚は強くなり、信号で足止めをくらう。
雨粒は男の肩を滴り、ジャケットの下まで忍び寄る。
このまま濡れたのでは次の営業に支障がでる。どこか別の店に入ろうかと辺りを見渡した。すると見かけない食堂が目に入ったのだ。
看板には『アンラッキー食堂』と書かれている。
新しくテナントに入った店なのだろうか。考えを巡らせるより、この雨だ。さほど財布に負担をかけそうもないその店へ向かった。
のれんをくぐる前、しばし男は考えた。
(アンラッキー食堂?)
半歩下がりもう一度看板を見た。
雨は更に強くなる。
まぁ、気にすることはあるまい。男は店へ入ってしまった。
「いらっしゃいませ」
威勢のいい店長が迎えてくれる。
店内はカウンター席と小上がりが用意されていた。それにしても大繁盛だ。満席に近い。男はどこに座ろうか思案していると、スタイルの良い女が目に入った。
(よし決めた。彼女の隣に座ろう)
男は彼女を目指しカウンターへ近づいた。その時だ、タイミングを計ったように声がかかる。
「こちらへどうぞ」
小さなおばちゃん店員がにっこりと笑っている。まるで心を見透かされた気分だ。
(くそっ!何てタイミングだ)
今しがた会計を済ませた客のテーブルを片付け、小さなおばちゃん店員は男を案内した。
(まぁ小上りも悪くないか)
男は濡れたジャケットを裏返し、席に着こうと靴を脱いだ。すると靴下のつま先に穴が。必死に穴を隠そうと、つま先を引っ張った。
それを小さな男の子に見られてしまった。ヤバっ! と思った時にはもう遅かった。
「おじちゃんの靴下穴あきだ! 穴あき、穴あき~」
子どもは大きな声で騒ぎ立てた。頭が真白になるほど恥ずかしかった。男は雨でびしょ濡れのハンカチを取り出し、脂汗を拭いた。
母親は気まずそうに男の子の口を塞ぎぺこぺこ頭を下げた。
(まぁいい、子どものしたことだ)
男はすました顔で、壁に貼られたメニューを見た。
『本日のおすすめ から揚げチャーハンセット』
店員を呼んだ。
待ってましたとばかりにおばちゃん店員が現れた。にっこりと笑っている。
「から揚げチャーハンセット一つ」
男は注文した。
「すみません売り切れです」
「じゃあ、かつ丼」
「売り切れてです」
「じゃあ、カレー」
「売り切れです」
男はかなりイライラしている。
(いったい何ならあるんだ。この店ヤバいだろ)
「じゃあ、チャーシューメン」
「あ・り・ます!」
おばちゃん店員に遊ばれているようだ。それに何だか、店内中の目が男を見ているように感じる。
男は周りの様子を伺いながらチャーシューメンが来るのを待った。
それにしてもこの店の名前が気になる。男は相席の老人に声をかけた。
「あの、この店よく来るんですか」
男の問いかけに老人は不敵な笑みを浮かべた。
「あぁ、見つけた時は必ず来るよ。この店はアンラッキーが起こりやすい店だからな」
「アンラッキー?」
男は悲鳴のような声を上げた。客の手が止まり、一斉に男を見ている。老人は背中を丸め小声で説明を始めた。
彼が言うには、人生のラッキーとアンラッキーの数はほぼ同一。稀に偏りはあるというが大体一緒なのだそうだ。
だからこの店でアンラッキーにたくさん出会えばその分ラッキーが増えると言う。
この店の位置は古来よりアンラッキーポイントとして登録されているというのだ。
なんでも、卑弥呼が占いの道具を失くした場所だとか……。一休さんの悪だくみがバレた場所だとか……。
「はい、チャーシューメン」
肉厚のチャーシューが五枚も入っている。ついでにおばちゃんの指も入っていた。
(汚いなぁ、いや、これはアンラッキー)
男は急に嬉しくなってきた。
割り箸を割ろうとしたが、運悪く片方が折れてしまった。これもまた嬉しい。肉厚のチャーシューがたまらない。一枚、二枚と食べ進めたが最後のチャーシューが極薄だった。
会計を済まそうと男は立ち上がった。
何と靴が無い!
さっき話を聞いた老人が履いて行ったのかもしれない。しかし、直ぐに喜びが込み上げる。
(かなり、アンラッキーを稼げたな)
油まみれのお釣りを受け取ると店を出た。雨はすっかり止んでいた。
その後男には思いがけないラッキーが迷い込んできたと言う。
アンラッキー食堂 しほ @sihoho
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