風の案内人

「入港先のアルバルテから少し行った所に星療協会のコミュニティがあって、そこに帰る途中なんですよ。船の船医はちょっとしたお小遣い稼ぎみたいなもので」


 珈琲を啜りながらリチアは自分の身の上を話し始めた。何でも長期間の派遣任務からようやく解放され、アルバルテ近郊にある星療協会の拠点に帰る途中らしい。

 星療協会が医師を派遣するのは医療が乏しい辺境の地が多い為、行くのも帰るのも一苦労なんだそうだ。


「協会自体が慈善事業のような物ですからあまりお金が無くて、行き帰りの旅費を稼ぐために船医の仕事や旅商人に同行して小銭稼ぎをする人が多いのです」

「大変ですね」

「ええ。派遣先の村や集落もお金がある訳ではないので、私達の活動資金はほぼ寄付や持ち寄りによって賄われていて。他の組合に所属をして副業をしながら活動をしている人がほとんどですね」


 まさに慈善事業そのものだ。


「旅の道中にお小遣い稼ぎ、私も駆け出しで貧乏だった頃は良くやりましたよ」


 リーシャは懐かしそうに言う。


「今のように鉄船が無かった頃の話ですが」

「もしかして、『風の案内人』をされていたんですか?」


 リチアは驚いたような表情を浮かべた。


「『風の案内人』とは?」

「帆船に乗船して風を読んだり与えたりする職業の事です」


 今は鉄船に取って代わられたが、一昔前は帆船が主流だった。帆船は風を帆に受け、その力で推力を得る船である。その仕組み上、ほとんどの船が自在に風を操る事が出来る風魔法の使い手を「風の案内人」として雇っていた。


 「風の案内人」の仕事は多岐にわたる。風が無い日に風を起こして船を走らせたり、暴風雨から船を守ったり、風の流れを読んで船長に助言をするのも仕事の内だ。

 そして「風の案内人」のほとんどは金の無い旅人だった。仕事をする代わりに無料で船に乗せてもらうのである。枯渇熱を起こさない魔力量の多い者や、上手く風を操れる器用な者であるほど歓迎され、

 技量さえあれば旅費を節約できると当時の若者には人気の副業だった。


「昔の旅人にとって風魔法は必須魔法でしたね。風魔法さえ使えればタダで船に同乗出来てご飯まで食べれるんですから」

「先輩方も仰っていました。『昔はこんなにいい副業があったのに。鉄船に代わってしまったのが残念だ』と」

「荷や船を上手く守ったりすればお小遣いも貰えましたし、割と良い仕事だったんですけどね」


 リーシャがまだ旅を始めたばかりの頃、旅費について相談した組合の職員に紹介されたのがこの「風の案内人」の仕事だった。

 「風魔法さえ使えれば移動費用を節約できるうえに三食とお小遣い付き」という条件は貧乏な駆け出し修復師にとってとても魅力的で、あまり好まれない長距離便にも進んで便乗したものである。

 リーシャが今も風魔法を使っているのは、その頃の名残でもあった。


「風の案内人か……」


 一連の話を聞いたオスカーはある出来事を思い出していた。


(『冠の国』でリーシャが飛行船を誘導した時も同じような仕組みだったな)


 「冠の国」の飛行船レースでリーシャは飛行船が上手く上昇気流に乗れるよう風を読んで誘導した。特製魔道具「風見鶏」を使って飛行船を気流から守ったり、追い風を起こして速度を上げたり……。きっとそれが「風の案内人」の仕事そのものなのだろう。


「もしかしたら現代でも需要があるかもしれないぞ」

「風の案内人が……ですか?」


 オスカーの言葉にリチアは不思議そうな顔をする。


「鉄船には必要ないと思いますよ」

「いや、船は船でも空を飛ぶ船だ」

「ああ、飛行船ですか」


 リーシャはオスカーの言わんとする事が分かったらしい。


「確かに飛行船なら風使いの需要はあるでしょうね」

「どういう事でしょう」

「飛行船も帆船と同じ、風の影響を受ける乗り物だからです」


 風速や気流、天候の影響を受けるという意味では確かに飛行船も帆船と同じかもしれない。飛行船は主に山越えや長距離移動に使われる乗り物で、船を使える海側では無く内陸で運用されている事が多い。


 飛行船自体の歴史が浅く、帆船が使われなくなり「風の案内人」という文化そのものが廃れてしまったのもあり、これまで飛行船と「風の案内人」を結び付けて考える者はいなかった。


「私、あまり内陸には行った事が無いので飛行船に馴染みがなくて……」

「海を渡るだけならば船で十分賄えますからね。内陸部は山越えや平地の長距離移動が多いので導入する国が増えているんです。馬車や徒歩で移動するよりもずっと便利で楽ですから」

「なるほど……」

「で、飛行船はゴンドラに大きな風船をくっ付けているような構造なので風の影響を受けやすくて。気流の激しい場所を通るのが難しかったり、天候の影響で飛べなくなったりするので風魔法で飛行船を補助出来る『風の案内人』は一定の需要がありそうだとオスカーは言っているのです」


 「風船」という言葉を聞いて飛行船に馴染みのないリチアにも意図を汲み取れたようだ。衰退してしまった帆船とは異なり飛行船は今一番勢いのある交通手段だ。これからどんどん導入する国も増えるだろう。

 そこに「風の案内人」を乗せる事が出来ればかなりの儲けになる。再び旅人の副業として人気が出るのではないだろうか。


「『風の案内人』にも組合はあるのか?」

「昔はありました。でも、随分前に廃止されたと聞いています」


 「確かここに……」と言ってリーシャは収納鞄の中を漁ると古びた金属プレートを取り出した。


「正式名称は風詠み師組合。そこに所属していた際に使っていた身分証です」


 茶色く錆びたプレートはそれが長年潮風を浴びていた事を物語る。組合自体が廃止されたのでもう使う事は無いが、なんとなく捨てられなくてとっておいたらしい。


「案内人組合には副業として様々な職種の方が所属していたので、人脈を作るのにも丁度良かったんです。今でもその繋がりで情報や仕事を貰ったりしているんですよ」


 リーシャが「昔」と言うくらいだ。当時駆けだしだった組合の案内人達も今やそれぞれ中堅の職人になっているのだろう。宝石修復師組合とは別の、普段関りが無いような組合の人間と知り合える貴重な場だったのだそうだ。

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