星堕ちる村
星療協会の医療魔法師
「うっ……おええ」
「落ちないように気を付けて下さいね」
旅客船の上部甲板でオスカーは海に向かって嘔吐していた。波に揺られて落ちないようにリーシャは後ろで背中をさすりながらオスカーの体を支えている。
「偉大なる帝国」の租借地である「西の港」から出ているアルバルテ行きの定期便、旅客船と言うにはやや小さく、多少揺れやすい船の上に二人は居た。
皇帝の口添えでどんな船にも乗れる。その中でリーシャが選んだのは西方にある「アルバルテ」行きの定期便だった。
「おかしいですね。薬を飲ませたはずなのに」
真っ青な顔でぐったりとしているオスカーの横でリーシャは不思議そうな顔をしている。「お守り」のお陰で船酔いとは無縁の体ゆえ、上下左右に揺れ続けている船の中でもぴんぴんしているのだ。
一応乗船前に手持ちの酔い止めをオスカーに飲ませてはいたが、それが効かない程時化ているらしい。
「……あとどれくらいでアルバルテに着くんだ……?」
「二週間かかるそうなのであと十三日と半分ですね」
「……」
絶望的な宣告を受けたオスカーはがっかりした様子で甲板に寝転がった。
(これがあと十日以上も続くのか……)
「船」と言う物に馴染みが無いわけでは無かった。イオニアにも川はあるし、そこを渡るための船もある。リーシャに「船酔いは大丈夫か」と聞かれた時、その経験を思い出して「大丈夫だ」と答えた自分を呪った。
(問題は船ではなく波だったのだ)
「船酔い」と言うのは波が起こす揺れによって起こるものだ。内陸の国で生まれ育ったオスカーにとって、「波」は未知の存在だった。
港にやってきて初めて海を見た時、その穏やかさに「湖とおなじような物なのだな」と思ったが、沖に出てそれは間違いだったことに気づいたのだ。時すでに遅し、とはこの事である。
「大丈夫ですか?」
オスカーが甲板で横たわっている姿を見て一人の女性が心配そうにやってきた。
「ああ、少し船酔いをしてしまったようで」
「そうですか。薬はお持ちですか?」
「はい。一応出港する前に飲ませたのですが」
「なるほど」
リーシャは女性の胸元に光るブローチに目をやる。ゴツゴツとした石が留めてある星を模した意匠が特徴的だ。
「少し拝見しても?」
「ええ」
女性はオスカーの横へ寄るとオスカーの胸のあたりに手を当てて目を閉じた。ふわりと僅かに暖かな風を感じたかと思うと、オスカーと女性の体が微かな光に包まれる。
宝石を修復する時よりももっと柔らかくて包み込むような温かい光だ。それに呼応するかのように少しずつオスカーの顔色が良くなっていった。
(医療魔法、久しぶりに見たな)
女性が使っている魔法の正体をリーシャは知っていた。そして、彼女の正体も。
「……どうですか? 少し楽になったと思うのですが」
二人を包み込んでいた光が収まると女性はオスカーに尋ねた。
「ああ、随分と体が楽になったよ。これは一体……」
「申し遅れました。私は星療協会のリチアと申します」
「教会というと、聖職者の方か」
「いえ、宗教の教会ではなく医療魔法師の集まり、星療協会の者です。このブローチをご存知ありませんか?」
そう言うとリチアは自らの胸に輝く星のブローチを指さした。
「彼はここよりもずっと東の国の出身なので星療協会には馴染みがないのでしょう」
リーシャの言葉にリチアは「なるほど」と納得する。
「その、何なんだ? 星療協会とは」
「先ほども申した通り、医療魔法を扱う医師の集まり、組合の一種です」
「医療魔法とは回復魔法とは違うのか?」
「回復魔法と言うのは大きな括りで、医療魔法はそれをもっと専門的に行う魔法を指します。治療するのにも知識が必要ですから、専門医が自分の専門分野の治療を魔法で行う。それが医療魔法と呼ばれる物なのです」
「つまり貴女は医師だと」
「はい」
白いローブに星のブローチ、それが星療協会の医師である証だ。リチアも漏れなく同じ装いをしており、ここらでは誰が見ても一目で「医師」だと分かるのだと彼女は語った。
「偶然お医者様が乗り合わせるとは、助かりましたね。オスカー」
「ああ。こんなにも体調が良くなるとは。感謝する」
「いえ。これも仕事の内ですから。長距離便ですと船内医として乗り合わせる事も多いのです。狭い船内ですと魔法の方が便利なので」
「大量に医療器具や薬を持ち込むよりも効率的だということでしょうか」
「はい。ただ、魔法と言っても万能ではないので応急処置程度にはなってしまいますが」
「医療魔法」と言っても全ての病気や怪我を直せるわけではない。自然治癒しない病気に対しては外科治療をするし、風邪などの軽い病気ならば薬での治療が一般的だ。
医療魔法が治せるのはあくまでも自然治癒する範囲の病や怪我で、例えば縫わなくても治る程度の怪我や手術後の縫い傷の治癒速度を速めたり、薬と魔法を併用して体の回復速度を速めたりとそんな程度なのだ。
第一、医療魔法を使える医師自体が少ないので元から庶民は医療魔法に縁遠い存在である。医療魔法を的確に使用するには適用する病症や部位に対する専門知識が必要で、それに関する技術をしかるべき機関で習得するのが好ましい。
医療魔法は「あったら便利」程度の物だという認識の医師も多く、医療魔法師になろうという人材そのものが少ないのだ。
「私が薬箱を持ち歩いているのもそれが理由です」
リーシャがトランクに入れている薬箱。魔法が発達した今、このような薬箱やフロリア公国の薬草貿易が現役なのは医療魔法の使い勝手の悪さが原因だった。魔道具のように一般人に使えないのであれば魔法が無いのも同然なのだ。
「なるほど。そうだったのか」
「こんな場所で立ち話するのもなんですので、宜しければ私の部屋へ来ませんか? 大したおもてなしは出来ませんが……」
「冷たい潮風が当たる甲板に居ると風邪を引いてしまう」とリチアは二人を自室へ案内した。医務室に隣接した専用個室で、寝台と小さなテーブル、ソファーがある。備え付けのポットで湯を沸かし、温かい珈琲を淹れてくれた。
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