切れない縁
「君と腰を据えて話すのは初めてだね」
飛行船のラウンジでオスカーとヴィクトールは同じ机を囲んでいた。目の前に座るヴィクトールをオスカーは得体の知れない物を見るような目で睨む。
(どうも苦手だ)
ヴィクトールと話すと調子が狂う。と言うより、会話のペースや流れを全て掌握されているような妙な威圧感がある。夜会の時もそうだ。リーシャが彼を主演俳優と例えたように、まるで決めれられた台本を読まされているような気になるのだ。
「何が目的だ?」
「何とは?」
「フロリアへ来た目的だ。招待された訳でもなく、自分から手紙を寄越したと聞いたぞ」
「ふむ」
相手のペースに持ち込まれないようにオスカーは自ら話題を切り出した。
「母の故郷へは以前から一度訪れたいと思っていてね。そこにたまたまリーシャが立ち寄ると聞いて丁度良いと思ったんだ」
「……」
「本当だよ」
あからさまに「信用できない」というような顔をしているオスカーにヴィクトールは柔らかく微笑んだ。
「それに、リーシャが立ち寄るなら尚更釘を刺しておかないといけなかったからね」
「釘?」
「リーシャを母のようにはしたくない」
ヴィクトールは酒を呷ると小さくため息を吐いた。
「君の御母堂は幸せだよ。オスカーを見ていると嫁いだ先で大事にされているのが良く分かる。けれどそれは運が良かっただけだ。私の母は……」
「……ヴィクトール」
「あの国はそういう国なんだ。今回の事で良く分かっただろう」
「……」
(やはりリーシャの言う通りなのか?)
肉親が信用出来るとは限らない。比較的親族間の繋がりが強いイオニアでは身内こそ信用出来る存在だった。だからこそ、実母の姉である大公妃は信用できる人物だと思っていたが……。
『幼い頃から憧れたお兄様と結婚出来たらどんなに幸せか……』
涙を流すアイリスの顔が頭を過る。
(母上もああしてイオニアに嫁いできたのだろうか)
確かに、オスカーはローザからフロリア公国の話をあまり聞いた事が無かった。交易のやり取りで連絡を取っている姉が居る事は効いていたが、それ以外の姉妹や親族についてオスカーは何も知らない。
「望まぬ結婚はそう珍しい事じゃない。むしろ我々は親が決めた相手と結婚をする人間の方が多いだろう。問題はその目的だ」
「家と家の繋がりを強固な物にする為……ではないのか?」
「大抵はそうだろうね。だが、あの一族の場合それは表向きの理由だ」
「なんだと?」
「あれだけ狭い国土だ。嫁ぎ先だってそう多くある訳ではないだろう。全ての子らに国内での嫁ぎ先や婿入り先を用意するのは不可能だ」
「つまり、厄介払いをするためだと?」
「ああ」
(信じられない)
だが、一国の姫君が遠く離れたイオニアへ嫁いできた理由がそれならば納得が出来る。そして、ローザが母国について語りたがらない訳も。
「証拠はあるのか?」
それでも尚、その事実を認めたくは無くてオスカーはヴィクトールに食い下がった。
「私の母が存命の頃、連絡を取ろうと手紙を寄越したのは母の実母……つまりは私の祖母だけだった。母は返信を一度も返さなかったようだが、それについて祖母以外に心配の手紙を寄越すような人間は誰もいなかったよ。使者も手紙も、何もね。
興味が無いんだよ。嫁ぎ先と交易が出来れば嬉しいが、別に出来なくても問題ない。その先でその娘がどうなろうと関係ない。彼女たちはそう言うものだと思っているんだ」
「それは……失礼だが貴方の母上だけ……という訳ではないのか?」
「大公妃は他にも行方不明者が居る事を認めたよ。『狭い土地を奪い合うような無駄な争いを避けるための習わし』だそうだ」
「……そうか」
「習わし」と言いきるほどならば昔から行われてきたことなのだろう。大公妃の一族に生まれた者は皆、それを見て来たし受け入れてきた。きっとオスカーの母もその一人なのだろう。
『フロリアの大公女である以上、避けて通れない道だもの。未練無い方が良いの』
(まるで道具のような言い方だ)
政略結婚とは本来そういう物なのかもしれない。
(けれど、まるで捨て置くようなやり方だ)
「君の母上の事ばかり考えているようだけれど、君自身も同じ目に合わされそうになったんだよ」
「何?」
「甥の『イオニアの王子』という肩書を餌にして周辺諸国との関係を深めようとする。そんな目にあったばかりだろう」
「……」
「何の気も無しにやったことならば門の前に群がる蠅を追い払う位はするだろう」
「……」
『残念ね。リーシャさんにご紹介したい方も沢山居たのだけれど……』
別れ際に大公妃が言った言葉を思い出す。
(紹介? 誰に?)
相手と言ったら門の前で待っていた馬車の持ち主、国内の有力貴族や周辺諸国の王侯貴族の他はあるまい。ただ、リーシャの「蒐集物」を集めるという目的を考えるとそれも悪い選択肢ではないので真意を測りかねる。
「分からん」
確かに「そうかもしれない」と思う部分はある。ただ、これはヴィクトールの主観が入った話だ。母親を悲惨な目に合わせたフロリア公国への恨み、大公妃への嫌悪の情が入った話をそのまま鵜呑みにしてはいけない。
(危うく流されるところだった)
「オスカーはお人好しすぎる」とリーシャにまた叱られそうだ。ヴィクトールは話の流れを作るのが上手い。彼の話を聞いているとつい「そうかもしれない」と思ってしまう。
「そうか」
ヴィクトールはそれ以上話を押し通そうとはしなかった。
「私は大公妃を信用しないが、オスカーが彼女とどう付き合うかは自由だからね。ただ、リーシャに何かするようであれば……その時は私にも考えがある」
「……」
(「冠の国」と同じような目に合わせる。そう言いたげだな)
実際、「偉大なる帝国」の力をもってすれば軍事力を持たないフロリア公国はあっという間に陥落するだとう。ラベンダーの持ち込んだ薬草がある「偉大なる帝国」にはお得意の「人」と「薬」を使った懐柔も効くまい。
「冠の国」を落とし、どの国にも「偉大なる帝国」の名が知れ渡った今こそ一番効力を発揮する脅し。わざわざ招待客リストへ名前をねじ込んでまでやってきたその理由がここにあるのかもしれない。
「何故そこまでリーシャに拘る」
リーシャは確かに博識で利発な賢女だ。見目も良く高貴な家の出だと言われても疑われないような所作や作法も身に着けている。だが、それでも彼女は一介の宝石修復師だ。「リーシャの為に国を落としても構わない」と言う程ヴィクトールが入れ込む理由は一体何なのだろうか。
「それを君が言うのか」
ヴィクトールが言うとオスカーはなんとも言えない顔をする。
「それはそうだが」
「金で妻は買えても、腹を割って話せる友は買えまい。いくら金や地位や名声があっても死ぬまでに出会えるとも限らない。そんな相手に出会ったのだから、一生手放したくないと思うのは当たり前のことではないのかな」
「一生手放したくない」という言葉にオスカーはむっとした。それに気づいたヴィクトールは小さく笑う。
「どちらにせよ、もうその心配は無さそうだ」
「どういう意味だ」
「君と私は血縁者だ。つまりリーシャが君の妻になれば、私とリーシャは親族関係になる。私の妻になろうがなるまいが、私達の縁は切っても切れないんだ」
「あっ」
言われて初めて得た気付きにオスカーは驚きのあまり声を上げた。ローザとラベンダーが親族である事は理解していたが、それがリーシャと繋がるとは全く考えていなかったのである。
(なんだか掌で上手く転がされたような気持ちだ)
オスカーは目の前で楽しそうに酒をくゆらせる皇帝に一杯食わされたような、なんとも言い難い気持ちになった。
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