「東の花の乙女」と翡翠の指輪

乙女小説

「そういえば、オスカーは『東の花の乙女』を読んだ事はあるかい?」


 話にひと段落ついた所でヴィクトールは唐突にオスカーに尋ねた。突然の質問にオスカーは目を丸くする。「東の花の乙女」。まさか皇帝の口からそんな言葉が飛び出てくるとは思わなかったのである。


「いや。確か『乙女小説』という物だったか。女性向けの小説だと聞いて読むのが気恥ずかしくてな」

「なるほど。確かに乙女向けの小説だと言われれば読むのを躊躇う気持ちも分かる。だが、君はだよ」

「どういう意味だ?」

「その指輪」


 ヴィクトールはオスカーの指に嵌っている翡翠の指輪を指さした。


「何故リーシャは君に翡翠の指輪を贈ったと思う?」


 「翡翠の」と強調するあたり、そこに何か意味が含まれているのだろうか。


(てっきりイオニアの風習に乗っ取ったものだと思っていたのだが、違うのか?)


 オスカーは記憶を遡る。確か、リーシャが指輪をくれたのはイオニアの事件を解決する前だ。指輪を前に苦い顔をするオスカーに「別に深い意味は無い」と彼女は言っていた。


(だが、マリーはリーシャがイオニアの風習を知っていない訳がないと……)


『リーシャさんは聡明で博識な方なんでしょう? だったら尚更「意味」を知らずに渡したとは思えません!』


 妹は確かそんな事を言っていた気がする。


『もしかして、リーシャさんは東方にある国のご出身とか?』


 そして姉はこんな事を……。そこまで考えてハッとした。


(もしや、『翡翠の指輪』はリーシャの祖国と何か関係があるのか?)


 「東の花の乙女」というタイトルから察するに、物語の舞台は東方の国だろう。姉も妹もこの乙女小説の大ファンらしく、手紙のやり取りをするたびに「東の花の乙女」を読んだかしつこく聞いて来た。

 今まで「俺には合わない」と言い訳をしてきたが、まさかリーシャと何か関係があるのだろうか。


「本が手元にないなら貸そう。ロウチェに借りた物がある」


 ヴィクトールから借りた本を手に割り振られた客室に戻る。飛行船の中とは思えない立派な客室だ。窓際に置かれた大きな椅子に腰を掛けてページを捲った。


は東方にある小さな島国で生まれた』


 薄いピンク色の遊び紙を捲るとそんな一説が目に入る。大まかな内容はこうだ。

 東方の島国で生まれたリーニャは花のように美しい娘で、年の離れた妹と二人、家業を手伝いながら慎ましく暮らしていた。ある日、リーニャの元に神殿からの使者が訪れる。何でもリーニャは「花の巫女」という特別なお役目を与えられた巫女に選ばれたらしい。


 「花の巫女」とは旅をしながら各地の神殿に納められた宝石に「祝福」を与える役目を行う女性を指す。巫女に選ばれるのは大変名誉な事で、リーニャの一族は喜んでリーニャを神殿に送り出した。


 「花の巫女」となったリーニャは早速祝福の旅に出る。従者一人を連れて様々な国を巡り、事件を解決しながら神殿の宝石に祝福を与えた。

 そしてある国に立ち寄った際に、ついに運命の相手である王子と出会うのだ。


「……」


 乙女向けの小説なだけあり、夢見る少女が好みそうな設定だ。特にこの小説の主題である「王子との恋」は読むのも恥ずかしくなるような甘い言葉や少し色っぽい表現があり、オスカーは何度も「読むのを止めよう」と思った程だった。


(姉上もマリーもこんな小説を好んで読んでいるのか……)


 シルヴィアはまだいい。未成年であるマリーが読むのには少々刺激が強いのではないかと不安になる。


(皇帝は俺に『読むべきだ』と言ったが、これの一体どこがどう役立つというのだろう)


 半分ほど読んだ所で休憩をし、再び続きから読み始める。


 リーニャは王子と恋に落ちた。しかし、リーニャは「花の巫女」としてお役目を果たさなければならないため、二人は離れ離れになってしまう。何度も愛の言葉を交わし逢瀬を重ねた二人が離別するシーンに多くの乙女が涙したという。


 月日が流れ、役目を終えたリーニャは再び王子の元を訪れる。手には揃いの翡翠の指輪を持ち、彼女の母国では想い合う相手に揃いの「翡翠の指輪」を渡す風習があるのだと王子に伝える。翡翠は尊い石であり、互いの身を守る「御守り」の意味があるのだと。

 そうして再開した二人は愛を確かめ合い、生涯幸せな生活を送るのだった。めでたしめでたし。


「……」


 小説を読み終えたオスカーは眉間に手を当てて目を閉じた。


(なるほど。姉上たちが読め読めとうるさかった訳が分かった)


 そして、オスカーの指に嵌る「翡翠の指輪」を見て大騒ぎしていたわけも。


(だが、果たしてリーシャは初めからそのつもりだったのだろうか)


 小説によると、翡翠の指輪は想い合う相手に揃いで用意する物だ。彼女が用意したのは一つだけだしそれ自体が「御守り」の意味を持つのならば、やはりただの「防御用魔道具」として用意しただけなのではないか。


(いかん、ますます分からなくなってしまった)


 オスカーは混乱していた。

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