大公女の告白

 昼の鐘が鳴る少し前に大公妃へ別れの挨拶をする。謁見の間には大公と大公妃、そして大公女達が揃っていた。


「急な出立ね。もう少しゆっくりして行っても良いのよ」

「申し訳ありません。先を急ぐ旅ですので」

「残念ね。リーシャさんにご紹介したい方も沢山居たのだけれど……」


(紹介、ね。一体誰に紹介するつもりだったんだか)


 頬に手を当てて「困ったわ」と呟く大公妃にリーシャは笑顔を崩さないように「またいつか機会があれば」と社交辞令を返した。


「お兄様……」


 オスカーの元へアイリスが駆け寄る。今にも泣きそうな大公女は「行かないでください」とオスカーの腕を取った。


「やっとお会い出来たのに。私、もう十八になりましたのよ」

「すまないな。もう行かねばならんのだ」

「……オスカー、そうではありません」


(こういう事には鈍いんだから)


 憧れの王子を前に涙する可憐な乙女が可哀想になる。リーシャはたまらず助け舟を出した。


「彼女が言っているのは、もうという事です」

「それくらい大きくなったという事だろう?」

「そうではなくて……」


 リーシャとアイリスは思わず顔を見合わせる。アイリスも心なしかリーシャに助けを求めているような目をしていたが、勇気を振り絞りオスカーに伝わるようハッキリと言葉に出した。


「私、もう結婚出来る歳になりましたの。フロリア公国では大公妃の長女以外は結婚をして城から出なければなりません。私には姉がおりますから、近々お母様が結婚相手を決めると仰っていて……」


 アイリスの言葉にオスカーはハッとする。


「そんな時にお兄様が帰って来て下さったから、嬉しかったのです。幼い頃から憧れたお兄様と結婚出来たらどんなに幸せか……。私、ずっと夢見て来たのです。お兄様の事が好きです。私と結婚して下さいませ」


 アイリスの頬をとめどなく涙が流れる。フロリア公国の大公女にとって結婚とは必ずしも幸せな物ではない。「そういうもの」だとは分かっているが、幼い頃に「恋」を知ったアイリスにとってそれは耐えがたい事だった。

 アイリスには姉が居る。大公妃の地位はその姉が継ぎ、アイリスはラベンダーやローザと同じように他所へ嫁ぐ事が決まっている。だからこそ、オスカーとの再会に夢を見たのだ。


「……」


(残酷なことをしてしまった)


 オスカーは涙するアイリスを前にして思った。オスカーがフロリア公国へ立ち寄らなければ、アイリスは初恋を「思い出」として消化できたかもしれない。十八になった時、彼女は決意を固めていたはずだ。

 ただ、タイミングが悪かったと言うしかない。オスカーとの再会は彼女に一瞬だけ夢を見せた。「もしかしたら」という希望を与えてしまった。それがどれだけ残酷な事か。


「結婚は出来ない」


 長い沈黙の後、オスカーはアイリスにはっきりと明言した。


「俺にはリーシャという『婚約者』がいる。俺はリーシャを愛している。だから、アイリスと結婚する事は出来ない」

「……」


 力なくその場に座り込んだアイリスは侍女たちに抱きかかえられるようにして広間から立ち去った。去って行く後ろ姿を見ながらオスカーは「これで良かったのだろうか」と考える。


「それで良いのよ」


 オスカーの考えを見抜いたのか、大公妃が声を掛けた。


「はっきりと断る方があの子のためになるわ。フロリアの大公女である以上、避けて通れない道だもの。未練無い方が良いの」

「同情して希望を与える方が酷だと」

「ええ」


ゴーンゴーンと正午を報せる鐘が鳴る。


「時間ですので、我々はこれで失礼致します」

「またいらしてね。いつでも歓迎するわ」


 迎えに来たヴィクトールの侍女に連れられて飛行船が係留されている飛行場へ向かう馬車へ乗り込む。馬車が走り出した所でようやくオスカーはホッとしたような顔をした。


「もしもリーシャが居なかったら、俺は絆されてアイリスと結婚していたかもしれない」

「同情で結婚をするなんて彼女に対しても失礼ですよ」

「分かっている。だが……」

「この国では当たり前の事なのでしょう。彼女だってそれを分かっているはずです」


(分かっているからこそ、オスカーに縋りたかったのだろう)


 別に珍しい事ではない。アイリス自身何度もそうして嫁いで行った娘たちを見て来たはずだ。叶うはずのない夢と決別するための儀式。彼女自身にとって役目を果たすために必要な事だったのかもしれない。


「オスカーは優しすぎです。そんな調子だといつか悪い女に騙されますよ」

「なっ! そんなことは……」

「騙されて身包み剥がされた挙句行き倒れていたのは何処のどなたでしたっけ」

「……そんなこともあったな」

「オスカーみたいに人が良すぎる人間は契約で縛っておくくらいが丁度良いのかもしれませんね」

「そういえば、あの契約はいつまで有効なんだ?」

「え? 契約期間なんてありませんけど」

「何?」


 リーシャは収納鞄から婚約の契約書を出して見せる。


「ほら、仕事内容と金額しか書いてないでしょう?」


 契約書を改めて見てみると、そこに書かれているのは「婚約者として振舞う」という仕事内容と契約金金貨100枚という事だけで、契約の有効期間についての記載は一切ない。


「つまり、この契約に契約期間は設けられていない。無期限なのです。契約書はしっかり確認しないと駄目ですよ、オスカー」


 自慢げな顔でリーシャが掲げる契約書をオスカーは「信じられない」といった顔で見つめる。何度確認しても契約期間は書かれていない。署名を交わした際には気がつかなかった。


「まぁ、今回みたいにお誘いを断る時の『言い訳』にはなるでしょう。便利だと思いますよ。色々と」

「だが、リーシャはそれで良いのか?」

「……」


 未だに不安そうにするオスカーにリーシャは若干の苛立ちを覚えた。あれだけちゃんと示したのに、まだ不安そうな顔をする。「鈍い」とはまた別の、自信を持てない訳でもあるのだろうか。


「正直、『婚約者』という立場は私にとっても便利なんです。依頼主によっては修復技術目当てに『結婚をしろ妾になれ』と迫って来る人も居ますから。そういう意味では心強いというか、突っぱねる理由があると有難いというか……」

「なるほど」


(これだとオスカーを利用しているみたいに聞こえるかな)


 リーシャは少し考えた後に言い直す。


「でも、契約としての婚約者だと味気ないので……いつか堂々と『婚約者』だと言えるようになれば良いなとは思っています」

「……」


(あれ?)


 ちらりとオスカーの顔を覗くと何か考えているような表情をしている。


(深読みしてる? もっと単純な言葉じゃないと駄目かな)


「オスカーがさっき言ってくれた言葉、嬉しかったです。だから、早く指輪を下さい」


 リーシャにしては可愛らしく言ったつもりだった。オスカーは先ほど大公夫妻やアイリスの前で発した自分の発言を思い出した。


『俺はリーシャを愛している』


 思い返せばそんな事を言った気がする。


『オスカーがさっき言ってくれた言葉、嬉しかったです』


 それを踏まえてリーシャの言葉を心の中で反芻する。


(つまり、そういう事なのか……!?)


 感情に体が追い付かなくて固まってしまったオスカーにリーシャは呆れた顔で「聞いてます?」と声を掛けた。


「あ、ああ。聞いているとも」


 そう返事をしつつも「心ここにあらず」という顔をしている。「オスカーは色々と鈍すぎです」というリーシャの小言も今は聞こえていないようだった。

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